石原慎太郎を代表とする超党派の議員が西郷隆盛、新撰組、白虎隊等の合祀を靖国の宮司徳川氏に申し入れ、「直ちにそうしますとは言えない」と、つまり難色を示した。
私の感想は「鎮霊社に合祀されているし、今更合祀しても情勢に変化はないだろう。分祀がだめなら合祀しなという稚拙な行動に思える」
一方池田信夫氏のツイートは
『そんなことしたら靖国神社を根底から否定することになる。ナショナリストを自称する連中に限って、靖国の意味を知らない。 』
と批判的なコメントですが、靖国神社に関しては私と池田氏は解釈が大分違います。
今回の石原氏の目的はこの違いにあるのかもしれません。
以前ブログにした『やすくにじんじゃ』をベースに新しい池田氏の靖国史観をコピーして探って見たいと思います。
池田氏ブログのコピペ-------------------
靖国神社って何?より
安倍首相の靖国神社参拝が話題になっています。実際に行った小学生は少ないと思いますが、これは東京の九段にあります。都心なのに静かで緑の多い、美しい神社です。
これは幕末に天皇家の社としてつくられ、「東京招魂社」と呼ばれていました。明治時代に靖国神社という名前になり、政府が運営するようになりましたが、これは昔も今も国のために命をささげた人をまつる神社ではありません。それは天皇家のために死んだ人をまつる私的な神社なので、勤王の志士として死んだ坂本龍馬はまつられていますが、彼らを殺した新撰組はまつられていません。しかし明治維新までは徳川幕府が正式の国で、勤王の志士はそれを暴力で転覆しようとするテロリストでした。新撰組は京都を警備する警官だったので、国のために死んだのは彼らです。
要するに「勝てば官軍」なのです。だから明治維新の最大の功労者である西郷隆盛もまつられていません。西南戦争で政府(天皇家)と戦って負けたからです。靖国神社は正式の国営施設になったことはありませんが、明治政府はこれを国家神道という国営宗教の中心にしました。これは宗教といっても教義も教会もなく、「万世一系」の天皇家を崇拝する以外に中身のない宗教です。
日本は明治時代に西洋の国をまねて近代国家になろうとしたのですが、制度は輸入できてもキリスト教は輸入できない。その穴を埋めるために伝統信仰を「神道」と名づけ、それと関係ない天皇家を一緒くたにして靖国神社を国の精神的な中心にしようとしたのです。
このように天皇家の私的な問題と国の公的な目的をごちゃごちゃにして「天皇のために死ぬ」という形で国を統合したことが、明治国家の特徴でした。西洋では18世紀までに、そういう私的な家の権威で国を治める絶対君主は全滅しましたが、明治憲法は100年遅れでそういう公私混同の国をつくってしまったのです。
そこでは国としての目的がはっきりしないまま、私的な「気持ち」で政府の方針が決まり、いったん決まった「空気」は国会などできちんと議論されないまま、「英霊に申し訳が立たない」といった心情で戦争に突っ込んで、第二次大戦ではボロ負けしました。
「勝てば官軍」というご都合主義は、敗戦で大混乱になりました。国にも天皇家にも大損害を与えた東條英機は「賊軍」ですが、1978年に靖国神社にまつられました。このときは天皇家は常に正しいということにしないと辻褄が合わないので、靖国神社の中にある遊就館では、軍事的には負けたが、あの戦争は正しかったと書いたパンフレットが配られています。
安倍さんが今回、アメリカなどの反対を承知の上で参拝したのは、遊就館と同じ歴史観を世界に向けて発信したことになります(そう受け取られてもしょうがない)。「鎮魂」のためなら、国の所管する千鳥ヶ淵墓苑に行ってもよかったはずです。彼が昔のように戦争を仕掛けるとは思えませんが、明治時代を理想とする自民党の右派の代表であることは間違いないでしょう。
度浮き世和卯本当に大日本帝国はそんな立派な国だったのでしょうか? 日本が戦争に負けたのはやり方が悪かっただけで、「大東亜共栄圏」などの目的は正しかったのでしょうか? そういう問題をあらためて考えるには、今回の参拝も勉強のきっかけになるかもしれません。
池田信夫
テロリストの神社 - 『靖国史観』アゴラより
きょうは「あの日」から69年目の8月15日である。あの日をリアルタイムで記憶している人も少なくなったが、あの日をめぐる論争はやまない。今年は朝日新聞が新たな「燃料」を提供して、また火の勢いが強くなった。どこの国でも敗戦体験は複雑なのだろうが、日本のそれはとりわけ屈折している。
その最大の原因は天皇である。独裁者ヒトラーがヨーロッパを征服するという明確な目的をもって始めた戦争とは違い、日本の戦争は何のために始めたのか、いまだにわからない。その責任者とされる昭和天皇は、最後まで開戦に反対していた。だとすれば「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった兵士は、いったい誰のために死んだのだろうか。本書は、その謎を解く鍵を靖国神社に求める。
『靖国神社は「日本国のために心ならずも戦場で散った人たちを追悼する施設」ではない。あくまでも「天皇のためにみずから進んで死んでいった戦士を顕彰する施設」なのである。ここでは「朝敵」は祭られないので、戊辰戦争や西南戦争の「賊軍」側の戦死者は対象にならないのだ。(p.17)
「靖国史観」小島 毅』
靖国神社は「国家神道」によってできたものではない。その始まりは1862年に行なわれた「招魂祭」で、これは安政の大獄で幕府に殺された志士を慰霊する行事だった。日本の伝統には、戦死者が神になるという信仰はない。「英霊」の概念は、朱子学の理気論をもとにして藤田東湖がつくったものだという。幕末の招魂社は、幕府に殺されたテロリストをまつって同志の結合を強める施設だったのだ。
討幕運動は、祭政一致の「国体」を復興させる儒教的な革命だったが、そこに特定の政治理念があったわけではない。しいていえばバラバラの藩では外国に勝てないので統一しようというナショナリズムだが、それをまとめる政権は長州閥であり、「勝てば官軍」だった。その機会主義をカムフラージュするために「万世一系」の天皇家への大政奉還というフィクションが利用された。
明治期に靖国神社として政府が維持・管理するようになったが、国営化されず、一貫して皇室の神社だった。しかしそれは日清・日露戦争をへて「国体」を護持するシンボルになり、兵士は「靖国で会おう」を合言葉に散って行った。天皇のために戦えば、身分の違いを超えて神としてまつられることが、「皇軍」の大きなモチベーションになったのだ。
それは前近代的な非合理主義だが、戦争とはいつの時代にも非合理的なものだ。合理的に判断したら、誰も戦場には行かない。人々を戦争に駆り立てるには、ある種の宗教的熱狂が必要だ。それを実現したキリスト教徒やイスラム教徒が、神の名によって殺した人数は日本人の比ではない。
そういう一神教をもたなかった日本人が、短期間に「国体」に統合されたのは驚異的だ。もともと同質的で、日本語という「想像の共同体」を共有していたせいもあるのだろうが、儒教的な革命に日本の伝統信仰の装いをもたせ、休眠状態だった天皇を引っ張り出して「中心」にした明治国家のマーケティングは、きわめて巧妙だった。
今の靖国神社には、よくも悪くもそういう求心力はないので、首相が参拝しても実害はないが、それはいささか奇妙である。靖国はアーリントン墓地のような戦没者を追悼する国家施設ではなく、天皇家の私兵をまつる宗教法人にすぎないからだ。もちろん安倍氏個人が参拝するのは自由だが、首相が公然とテロリストを「尊崇」して、中韓に外交的カードを与えるのは賢明とはいえない。
以上----------------------------------------
小島 毅(こじま つよし、1962年5月 - )は、日本の思想史家、東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は中国思想史。
書籍の宣伝が目的なのか?と感じてしまいますが
、残念ながら現在の学会の主流なのでしょう。宣伝の為かはわかりませんが、池田氏の考えも大きくこれに影響されているようです。
靖国問題が錯綜している原因はこのような中道右派でも保守的な池田氏もが靖国を軽視している点です。つまり、皇室軽視、國體軽視、靖国軽視という占領政策の影響をダイレクトに思考や思想、歴史観に受けてしまったのでしょう。
この考え方は特に珍しいものではなく、主流となってしまっているのですから靖国問題をより複雑化してしまう根本とも言えるでしょう。
要するに『日本の戦争は何のために始めたのか、いまだにわからない』とあるように先の大戦の総括を日本人はしてこなかった、というよりも"出来なかった"のです。
日本政府の見解でさえ歴史家に丸投げせざるを得ない状況であるからです。
最近になってメディアが盛んに仏教を取り上げたり、靖国神社にNOなどと神社、神道を軽視する動向が見られますが、学会を含めこれら全ては東京裁判史観の影響で靖国神社を判断しようとするので池田氏のような明治政府まで遡って判断せざるを得なくなるのです。
靖国神社の本質は先の大戦から変化したことを以前のブログで散々かきましたが、戦争責任を軍国主義としたことによる弊害として宗教法人靖国神社はその批判を一手に背負わされているのだとも言えます。
靖国神社側にすれば東京裁判史観でいる我々こそが賊軍と感じているのではないでしょうか。
つまり、靖国神社問題とは寧ろ我々にとっての東京裁判史観問題なのかもしれません。
従って江戸末期まで遡って内戦の賊軍を靖国神社に合祀するという行為は東京裁判史観のまま行っても天皇陛下は御親拝なされないでしょう。
然し乍ら僅かな望みの確率論から言えば、合祀しないよりはした方がましというレベルである、というのが私の結論です。
私の感想は「鎮霊社に合祀されているし、今更合祀しても情勢に変化はないだろう。分祀がだめなら合祀しなという稚拙な行動に思える」
一方池田信夫氏のツイートは
『そんなことしたら靖国神社を根底から否定することになる。ナショナリストを自称する連中に限って、靖国の意味を知らない。 』
と批判的なコメントですが、靖国神社に関しては私と池田氏は解釈が大分違います。
今回の石原氏の目的はこの違いにあるのかもしれません。
以前ブログにした『やすくにじんじゃ』をベースに新しい池田氏の靖国史観をコピーして探って見たいと思います。
池田氏ブログのコピペ-------------------
靖国神社って何?より
安倍首相の靖国神社参拝が話題になっています。実際に行った小学生は少ないと思いますが、これは東京の九段にあります。都心なのに静かで緑の多い、美しい神社です。
これは幕末に天皇家の社としてつくられ、「東京招魂社」と呼ばれていました。明治時代に靖国神社という名前になり、政府が運営するようになりましたが、これは昔も今も国のために命をささげた人をまつる神社ではありません。それは天皇家のために死んだ人をまつる私的な神社なので、勤王の志士として死んだ坂本龍馬はまつられていますが、彼らを殺した新撰組はまつられていません。しかし明治維新までは徳川幕府が正式の国で、勤王の志士はそれを暴力で転覆しようとするテロリストでした。新撰組は京都を警備する警官だったので、国のために死んだのは彼らです。
要するに「勝てば官軍」なのです。だから明治維新の最大の功労者である西郷隆盛もまつられていません。西南戦争で政府(天皇家)と戦って負けたからです。靖国神社は正式の国営施設になったことはありませんが、明治政府はこれを国家神道という国営宗教の中心にしました。これは宗教といっても教義も教会もなく、「万世一系」の天皇家を崇拝する以外に中身のない宗教です。
日本は明治時代に西洋の国をまねて近代国家になろうとしたのですが、制度は輸入できてもキリスト教は輸入できない。その穴を埋めるために伝統信仰を「神道」と名づけ、それと関係ない天皇家を一緒くたにして靖国神社を国の精神的な中心にしようとしたのです。
このように天皇家の私的な問題と国の公的な目的をごちゃごちゃにして「天皇のために死ぬ」という形で国を統合したことが、明治国家の特徴でした。西洋では18世紀までに、そういう私的な家の権威で国を治める絶対君主は全滅しましたが、明治憲法は100年遅れでそういう公私混同の国をつくってしまったのです。
そこでは国としての目的がはっきりしないまま、私的な「気持ち」で政府の方針が決まり、いったん決まった「空気」は国会などできちんと議論されないまま、「英霊に申し訳が立たない」といった心情で戦争に突っ込んで、第二次大戦ではボロ負けしました。
「勝てば官軍」というご都合主義は、敗戦で大混乱になりました。国にも天皇家にも大損害を与えた東條英機は「賊軍」ですが、1978年に靖国神社にまつられました。このときは天皇家は常に正しいということにしないと辻褄が合わないので、靖国神社の中にある遊就館では、軍事的には負けたが、あの戦争は正しかったと書いたパンフレットが配られています。
安倍さんが今回、アメリカなどの反対を承知の上で参拝したのは、遊就館と同じ歴史観を世界に向けて発信したことになります(そう受け取られてもしょうがない)。「鎮魂」のためなら、国の所管する千鳥ヶ淵墓苑に行ってもよかったはずです。彼が昔のように戦争を仕掛けるとは思えませんが、明治時代を理想とする自民党の右派の代表であることは間違いないでしょう。
度浮き世和卯本当に大日本帝国はそんな立派な国だったのでしょうか? 日本が戦争に負けたのはやり方が悪かっただけで、「大東亜共栄圏」などの目的は正しかったのでしょうか? そういう問題をあらためて考えるには、今回の参拝も勉強のきっかけになるかもしれません。
池田信夫
テロリストの神社 - 『靖国史観』アゴラより
きょうは「あの日」から69年目の8月15日である。あの日をリアルタイムで記憶している人も少なくなったが、あの日をめぐる論争はやまない。今年は朝日新聞が新たな「燃料」を提供して、また火の勢いが強くなった。どこの国でも敗戦体験は複雑なのだろうが、日本のそれはとりわけ屈折している。
その最大の原因は天皇である。独裁者ヒトラーがヨーロッパを征服するという明確な目的をもって始めた戦争とは違い、日本の戦争は何のために始めたのか、いまだにわからない。その責任者とされる昭和天皇は、最後まで開戦に反対していた。だとすれば「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった兵士は、いったい誰のために死んだのだろうか。本書は、その謎を解く鍵を靖国神社に求める。
『靖国神社は「日本国のために心ならずも戦場で散った人たちを追悼する施設」ではない。あくまでも「天皇のためにみずから進んで死んでいった戦士を顕彰する施設」なのである。ここでは「朝敵」は祭られないので、戊辰戦争や西南戦争の「賊軍」側の戦死者は対象にならないのだ。(p.17)
「靖国史観」小島 毅』
靖国神社は「国家神道」によってできたものではない。その始まりは1862年に行なわれた「招魂祭」で、これは安政の大獄で幕府に殺された志士を慰霊する行事だった。日本の伝統には、戦死者が神になるという信仰はない。「英霊」の概念は、朱子学の理気論をもとにして藤田東湖がつくったものだという。幕末の招魂社は、幕府に殺されたテロリストをまつって同志の結合を強める施設だったのだ。
討幕運動は、祭政一致の「国体」を復興させる儒教的な革命だったが、そこに特定の政治理念があったわけではない。しいていえばバラバラの藩では外国に勝てないので統一しようというナショナリズムだが、それをまとめる政権は長州閥であり、「勝てば官軍」だった。その機会主義をカムフラージュするために「万世一系」の天皇家への大政奉還というフィクションが利用された。
明治期に靖国神社として政府が維持・管理するようになったが、国営化されず、一貫して皇室の神社だった。しかしそれは日清・日露戦争をへて「国体」を護持するシンボルになり、兵士は「靖国で会おう」を合言葉に散って行った。天皇のために戦えば、身分の違いを超えて神としてまつられることが、「皇軍」の大きなモチベーションになったのだ。
それは前近代的な非合理主義だが、戦争とはいつの時代にも非合理的なものだ。合理的に判断したら、誰も戦場には行かない。人々を戦争に駆り立てるには、ある種の宗教的熱狂が必要だ。それを実現したキリスト教徒やイスラム教徒が、神の名によって殺した人数は日本人の比ではない。
そういう一神教をもたなかった日本人が、短期間に「国体」に統合されたのは驚異的だ。もともと同質的で、日本語という「想像の共同体」を共有していたせいもあるのだろうが、儒教的な革命に日本の伝統信仰の装いをもたせ、休眠状態だった天皇を引っ張り出して「中心」にした明治国家のマーケティングは、きわめて巧妙だった。
今の靖国神社には、よくも悪くもそういう求心力はないので、首相が参拝しても実害はないが、それはいささか奇妙である。靖国はアーリントン墓地のような戦没者を追悼する国家施設ではなく、天皇家の私兵をまつる宗教法人にすぎないからだ。もちろん安倍氏個人が参拝するのは自由だが、首相が公然とテロリストを「尊崇」して、中韓に外交的カードを与えるのは賢明とはいえない。
以上----------------------------------------
小島 毅(こじま つよし、1962年5月 - )は、日本の思想史家、東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は中国思想史。
書籍の宣伝が目的なのか?と感じてしまいますが
、残念ながら現在の学会の主流なのでしょう。宣伝の為かはわかりませんが、池田氏の考えも大きくこれに影響されているようです。
靖国問題が錯綜している原因はこのような中道右派でも保守的な池田氏もが靖国を軽視している点です。つまり、皇室軽視、國體軽視、靖国軽視という占領政策の影響をダイレクトに思考や思想、歴史観に受けてしまったのでしょう。
この考え方は特に珍しいものではなく、主流となってしまっているのですから靖国問題をより複雑化してしまう根本とも言えるでしょう。
要するに『日本の戦争は何のために始めたのか、いまだにわからない』とあるように先の大戦の総括を日本人はしてこなかった、というよりも"出来なかった"のです。
日本政府の見解でさえ歴史家に丸投げせざるを得ない状況であるからです。
最近になってメディアが盛んに仏教を取り上げたり、靖国神社にNOなどと神社、神道を軽視する動向が見られますが、学会を含めこれら全ては東京裁判史観の影響で靖国神社を判断しようとするので池田氏のような明治政府まで遡って判断せざるを得なくなるのです。
靖国神社の本質は先の大戦から変化したことを以前のブログで散々かきましたが、戦争責任を軍国主義としたことによる弊害として宗教法人靖国神社はその批判を一手に背負わされているのだとも言えます。
靖国神社側にすれば東京裁判史観でいる我々こそが賊軍と感じているのではないでしょうか。
つまり、靖国神社問題とは寧ろ我々にとっての東京裁判史観問題なのかもしれません。
従って江戸末期まで遡って内戦の賊軍を靖国神社に合祀するという行為は東京裁判史観のまま行っても天皇陛下は御親拝なされないでしょう。
然し乍ら僅かな望みの確率論から言えば、合祀しないよりはした方がましというレベルである、というのが私の結論です。