![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/92/1a4fde639a90f1b6ef1e998349de6e92.jpg)
今でこそ殴り合いの喧嘩で殴られ怪我をすれば負けた者が裁判すれば勝つ確率は高いだろう。
こと戦争に於いては如何なる大きな損害を被っても負けた国は賠償金を払い、領土を奪われる。
それを承知で侵略戦争を起こそうなどとする国があるだろうか。恐らく皆無だろう。つまり戦争とはどの国も自存自衛の大義名分のもとに戦い、負ければどんなに甚大な被害がでようが侵略戦争と断罪され、責任を問われるのだ。
ネット上で戦後保守を断罪する文章を見つけたのでコピペする。
戦後保守こそ国賊---------------------------
-東京裁判史観を利用してきた事実に目をつぶるな-
こだまともはる
『保守派は常套句として、「日本人は戦勝国の東京裁判史観に洗脳されてきた」という。私は父にそう叩き込まれ、そうして育ってきたし、そのことについて疑問を持たずにきたが、最近になって、おかしいのではないかと思うようになってきた。
東京裁判は白人種による日本への「リンチ」であり、ソ連という「強盗国家」が日本を裁く検事側に回っている時点で、茶番であることは確認するまでもない。筆者の中で、東京裁判に対する答えは出ているのだが、疑問なのは、本当に保守派が言うように、今の日本人がこの裁判の歴史観に洗脳され続けているのかということにある。
筆者の見るところ、実際のところ日本人は、この裁判を巧みに利用してきた。「日本は狂気の犯罪国家である」という東京裁判のメッセージを、国民自身そう信じ込むことが、戦後体制の維持にとって都合がよかったからだ。日本はアメリカに「マインドコントロールされた」のではなく、「セルフマインドコントロールしてきた」が正しい。そのことを忘れてはいけない。つまり、戦後体制はアメリカだけに強制されたのではなく、日本人自身が選び取った道であるということを。
東京裁判があるおかげで、日本は「犯罪国家」だから、「アメリカ様の監視つきのままでいなくちゃ悪い子になってしまう」と振舞うことができた。だから、自主防衛は検討せず、「日本の米軍駐留は絶対に死守しなくてはならない」というわけだ。その為に、「日米構造協議」(八九~九〇)では、アメリカの「公共投資をやれ」、「土地税制を改正しろ」、「大店法は緩和しろ」といった要求をのみ続けてきた。また、これ以後、提出されるアメリカからの「年次改革要望書」(九三~)にもただ黙って従い続けてきた。「年次改革要望書」はほとんどの新聞社が報道しないので、多くの日本人が知らないが、事実上の「第二次日本占領政策」である。これに手を貸してきたのが、親米保守という名の売国奴であった。
そのくせ、親米保守派は、「東京裁判史観からの脱却」とぬけぬけという。ということは、今までの日本人の「擬態」をやめるということになるのである。東京裁判があるおかげで、「わが国は、犯罪者国家だから、アメリカ様の言うことには何でも従います」ということができた。東京裁判あってこその、親米であり、戦後保守の利益であった。それを本気で捨てよと教えているのか。本来なら、東京裁判史観を捨てろというのは、アメリカ依存をやめろということだ。随分と人をバカにした話で、東京裁判での大川周明ではないが、「茶番」を見せられているようなものである。
坂口安吾は『続堕落論』(一九四六)で、「泣いて終戦の詔勅を受けよ」と教える人間に向けて、「嘘をつけ!嘘をつけ!」と吐き捨てた。本当は、国民は「泣く」どころか、「戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか」といいこれは「歴史的大欺瞞」であると記している。安吾にならっていうなら、東京裁判史観に洗脳されてきたという言い方そのものが、戦後の日本人の振る舞い(セルフマインドコントロール)を免罪した、「歴史的大欺瞞」であり、かかる表現は筆者にとって到底是認できないものなのである。』
----------------------------------------コピペ
恐らく筆者の思想は真正保守から右側であろう。決定的に欠落しているものがある。完全に蚊帳の外から俯瞰でしか日本を観ていないことである。
その時代に身を置いての歴史観が欠けているのだ。主張自体は私に近いが、戦後保守が必ずしも親米保守であるのかは甚だ疑問である。
CIAから資金提供を受ければ国賊である、と早合点するのは完全にこの歴史観の欠落なのだ。
鈴木貫太郎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ca/fa06dffe2727bd912f9460b9561dcdba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/71/ae34bfa7cb45e2fa06a9ca9c61f6942e.jpg)
阿南惟幾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e4/d81fa2301eced3eedafe7602bfa0a864.jpg)
ポツダム宣言を受諾するのかしないのか、つまり
どのように戦争を終結するのかという日本存続の危機を左右した二人である。
鈴木貫太郎は海軍大臣をつとめ幼少の昭和天皇を世話したたかと結婚し予備役で侍従長となる。226事件で4発の銃弾を身体に受け奇跡的に回復
昭和天皇の推薦で首相となる。
鈴木内閣が終戦のために組閣されたのではなく、あくまで徹底抗戦であり、受諾を黙認したから誤訳で原爆を落とされたなどとの詭弁が氾濫している。
軍の体裁の為や天皇制を守る為など軍国主義否定の延長線上に国民はどうなっても良かったと言う更なる貶めを付け加える。
原爆投下は鈴木貫太郎の黙認より以前から決定していたのである。
本土決戦への流れは軍人も国民も覚悟していただろう。それは原爆投下によってより高まったのかもしれない。
陸軍の反発も阿南惟幾でしか抑えることが出来なかっただろう。鈴木内閣では、和平派の鈴木と、本土決戦の阿南。対立することが多かったが、陸軍の倒閣運動を押さえ込むことで鈴木を支えている。
ここからはwikiが一番わかりやすいのでコピペ
-----------------------------------------------
終戦への基本方針が天皇の第一回目の聖断によって決まった8月9日の御前会議終了後に、鈴木首相に「総理、この決定でよいのですか、約束が違うではないですか」と激しく詰め寄る吉積正雄陸軍軍務局長に、「吉積、もうよい」と言って何度もたしなめている。
阿南は梅津美治郎参謀総長とともに戦争の継続と本土決戦を強硬に主張したが、昭和天皇の聖断によって最後には陸相として終戦の詔書に同意した。
終戦の詔書の作成においては陸軍の立場から「戦勢日ニ非ニシテ」を「戦局必スシモ好転セス」とするなどの字句修正を求めた。終戦の詔勅に署名したのち阿南は鈴木首相のもとを訪れ「終戦についての議が起こりまして以来、自分は陸軍を代表して強硬な意見ばかりを言い、本来お助けしなければいけない総理に対してご迷惑をおかけしてしまいました。ここに謹んでお詫びを申し上げます。自分の真意は皇室と国体のためを思ってのことで他意はありませんでしたことをご理解ください」と述べた。
鈴木は「それは最初からわかっていました。私は貴方の真摯な意見に深く感謝しております。しかし阿南さん、陛下と日本の国体は安泰であり、私は日本の未来を悲観はしておりません」と答え、阿南は「私もそう思います。日本はかならず復興するでしょう」といい、愛煙家の鈴木に、南方の第一線から届いたという珍しい葉巻を手渡してその場を去った。
鈴木は「阿南君は暇乞い(いとまごい)に来たんだね」とつぶやいている。また阿南は、最も強硬に和平論を唱えて阿南と最も激しく対立した東郷茂徳外相に対しても、「色々と御世話になりました」と礼を述べて去っている。
軍務局幕僚を中心とする強硬派は、11日頃から和平派閣僚を逮捕、近衛師団を用いて宮城を占拠するクーデター計画をねっていた。これに賛同を求められた阿南は、梅津の賛同を条件としたが、14日朝に梅津から反対の意を伝えられた。
14日正午過ぎに首相官邸閣議室において義弟の竹下正彦中佐らから陸相辞任による内閣総辞職、さらに再度クーデター計画「兵力使用第二案」への同意を求められたが、阿南はこれを退けた。
阿南の同意を得ぬまま8月14日深夜に始まった宮城事件は、15日のうちに失敗に終わった。阿南は8月14日の三長官会議で既に罷免が決まっておりクーデターを積極的に支援することができなかったとの意見もある。
阿南は8月14日午後には、陸軍省の道場で剣道範士斎村五郎と面会し、短時間剣道の稽古をしている。
8月15日早朝、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹。介錯を拒み早朝に絶命している。「阿南陸相は、5時半、自刃、7時10分、絶命」との記録もある。
遺書には、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ」と記されていた。
辞世の句は、「大君の深き恵に浴みし身は 言ひ遺こすへき片言もなし」とあり、これは1938年(昭和13年)の第109師団長への転出にあたり、昭和天皇と2人きりで会食した際に、その感激を詠ったものである。阿南は昭和天皇からは「あなん」と呼ばれていた。阿南の葬儀に昭和天皇は勅使を派遣していない。
阿南が自刃したと聞いた東郷茂徳外相は、「そうか、腹を切ったか。阿南というのは本当にいい男だったな」と涙ながら語り、鈴木貫太郎首相は「真に国を思ふ誠忠の人でした」と評した。
阿南と閣議において対立した米内光政海相は「我々は立派な男を失ってしまった」と語った一方で、「私は阿南という人を最後までよくわからなかった」と人格的な違いを浮き彫りにする感想を残している。
-----------------------------------------------
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【ポツダム宣言】現代語訳
1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
1.紹介
2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。
2,脅し
3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
3.ドイツを例に挙げた脅し
4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
4.宥めるような誘い
5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
5.譲らない態度
6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
6.戦争=悪、日本が悪という筋書
7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
7.占領する脅し
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
8.カイロ宣言を受け入れろ
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
9.メリット
10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
10.人権の誘惑
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
11.甘い誘惑
12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
13.属国への誘導
13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。
13,無条件降伏へ誘導
【カイロ宣言】ポイント
『右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ1914年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ』
『日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ』
『前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このような脅しにも近いポツダム宣言の受諾をするものなど当時の日本にはいなかっただろうし、そんな内閣はすぐさま倒れただろう。
全て御前会議の決断と御詔勅で本土決戦は免れたのだ。
この日本人が継続して戦後保守となるのであって
占領に耐え、東京裁判に耐えてポツダム宣言を忠実に履行したのであり、GHQに従い、散々戦争を煽ったマスコミも生き残る為に戦勝国の歴史観、所謂東京裁判史観を喧伝したのである。
この逆転現象で自虐的に、或いは逆手にとって現政府、日本を攻撃する輩こそが国賊であり、反日勢力なのである。
生前退位やご逝去を未だに使い続ける産経以外のマスメディアも国賊と同類なのだ。