![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/de/c4409566992da479c12b90655ab5fd0d.jpg)
藤井聡氏のディスり
(1)安倍内閣は既に、橋下氏に「入閣」を打診しているらしい
自民党が都議選で、これまでの常識を大きく覆す「歴史的大敗」を喫しました。
この歴史的敗北を受けて、今、急速に注目を集めるに至っているのが「内閣改造」。
現政権にとって非常に厳しい現状から脱却するために、内閣改造での「サプライズ人事」が画策されている、と言う次第です。
その中で取り沙汰されている最大の目玉が「橋下入閣」。この報道によれば……
『政府関係者によると、内閣改造の目玉として、政権が新たに掲げた看板政策「人づくり革命」担当相に日本維新の会創設者の橋下徹・前大阪市長を充て・・・るという。
橋下氏に対して、菅官房長官を通じて、再三にわたり、「国政出馬、入閣要請を行っているが、『本人が首を縦に振ってくれず困っている』」と語ったという。』
つまり、既に官邸から橋下氏に入閣を打診済み、だとのこと。
この報道が出る以前から、当方は「憲法改正の目玉」としての「橋下入閣」が、如何に恐ろしい悪夢であるかについて警告して参りました。
しかし、彼の入閣が仮に憲法改正と無関係であったとしても、日本人にとってそれは「悪夢」に他なりません。
今日はその点について、簡潔に解説したいと思います。
(2)「橋下入閣」は、日本に巨大被害をもたらす。
まず上記報道で言われている、「政権が新たに掲げた看板政策」である「人づくり革命」担当相に橋下氏を起用する、という話ですが、少しでも彼のこれまでの発言を知っている者にとってみれば、トンデモ人事としか言いようがありません。
彼はかつて、知事時代に「小さい頃からギャンブルを。国民を勝負師に」と公言。
あるいは、いじめを訴えていた貧困に苦しんでした高校生との討論の場では、
「いじめられた時になんで転校しなかったんですか? 転校すればよかったじゃないですか・・それが嫌なら、いまの政治家を選挙で落とせばいい・・自分が政治家になってこの国を変えるか、日本を出て行くしかない」
と、ダメなやつは淘汰されればいい、とでも言わんばかりに、高校生を論難。
こんな発想で「人づくり改革」がなされれば、弱者を切り捨てるのが当たり前で、鼻息の荒いギャンブル好きばかりが増えてしまうことでしょう。
普通に考えれば、誰もが「人づくり革命」担当相に一番してはいけない部類の人物だと言うことが見えてきます。
ただしより恐ろしいのは、「橋下総務大臣」の誕生です。
総務大臣と言えば、地方自治と同時に、「テレビ放送」も所管する超重要閣僚。その政治権力は、「人づくり革命担当相」よりも圧倒的に大きなものです。
おそらく、橋下大臣を期待する人たちは、そんな超重要閣僚に橋下氏が就任した時、一体何が起こるのかを十分に「想像」できていないように・・・思います。が、彼が総務大臣に就任した時、彼はその「国家権力」を駆使して、メディアや言論人は徹底的に「弾圧」を始めることが、真剣に危惧されます。
例えば、その一例として、こちらの文書をご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/48/4b3c245e86d7dfc25060052566966f95.jpg)
この文書は、今から2年前、「大阪都構想」の住民投票に向けて、都構想を巡る議論がネットやメディア上で盛んになる頃に出された文書です。差出人は、当時橋下氏が代表を務めていた政党の幹事長、送付先は在阪の主要テレビ各局でした。
この文書の内容は要するに、「都構想を批判している学者がいるが、こういう人物をTVに出すな」というもの。
そして、その根拠として次のような恐るべき理由を挙げています。
「藤井氏の存在が広く周知されること自体が、大阪維新の会、大阪都構想について反対している政党および団体を利することになるからである」
これは要するに、「藤井がTVに出ていると、自分たちにとって不都合だから、TVに出すな」と言う趣旨。つまり、市長率いる公的政党が、自らの政治目的のために、その公権力を駆使してTV局に出演者を改変させるように圧力をかけたわけです。
まさに、公権力による言論弾圧。
もちろん、各局はこうした不当な圧力をスルーしたわけですが・・・そうすると今度は、国権の最高機関たる「国会」の場で、維新の国会議員を使って、総務大臣に対して、「藤井を出演させているTV局は、放送法の公平中立性に反しているのではないか?」と国会質問させたのです。
もうこれは徹底的な、不当な「圧力団体」の手口で、完全な「言いがかり」に過ぎません。そもそも放送法四条は、「放送における中立性」であって、「出演者の政治的意見の中立性」ではないからです。もし、彼らのロジックが許されるなら、橋下氏を含めた全ての政治家はTVに出演禁止、それどころか少しでも政治的意見を持っている人間は全てTVに出演禁止となってしまいます。
この時、当時の高市総務大臣はもちろん、この質問には賛同しませんでしたが・・・これが橋下大臣なら当然、公平中立性に問題ありと答弁していた疑義が超濃厚、です。
そうなればもちろん、今後の放送内容が大きく改変されることになります。つまり、かつては「一市長」による弾圧でしたが、今度は「大臣からの弾圧」という途轍もないものへと進化してしまうわけです。
そうなれば、国益の毀損はすさまじい水準に達するでしょう。なんと言っても、権力者に対するメディアのチェック機能が喪失されてしまうわけですから───。
だからこそ筆者は、こうした「圧力団体の手口」を常用する政治家が、国政のど真ん中でその政治権力を駆使する状況が訪れてしまうことを、政府内外の関係各位にアドヴァイスを差し上げている学者として、心の底から憂慮しています。
是非ともこうした「事実」を、官邸内外の一人でも多くの人々に認識いただきたいと思います。
(3)「入閣しないしない詐欺」にご注意を
ところで、橋下氏は、2年前の都構想の住民投票時、その投票日前日、次のように演説をして、支持者から喝采を浴びていました。
「明日の大阪都構想の住民投票,どうか皆さんのお力で,今非常に劣勢になってますけど,どうか大阪都構想,賛成多数,可決させてくださいよ,皆さん!・・・。明日,負けたら,まあほんとだったらこれは僕死ななきゃいけないんでしょうけど,まあ民主主義の国ですからね,まあこれは,まあ,政治家やめるっていうところで許してもらいたいなぁと思うんですが。」
つまり彼は当時、「負ければ永遠に政治家にならない」と宣言し、その上で「僕を永遠に辞めさせたくないなら賛成票を入れてください」と、有権者に懇願したに等しい演説を行ったわけです。
実際、都構想が否決された夜、彼は、記者から政界復帰の可能性を問われたとき、
「政治家は僕の人生から終了です。」
と断定しています。さらにそれに被せて「将来にわたってもう一度政治家に、という可能性は?」と問われた時、彼は、
「ないですよ。・・・僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。課題が出た時に解決する実務家。政治家の原理原則は嫌われちゃいけない。僕みたいな政治家が長くやる世の中は危険です。敵がいない政治家がやらなきゃいけない。」
と、丁寧にその「理由」まで申し添える形で、重ねて強く否定しています。
つまり、彼は「住民投票運動の時に有権者に約束したように、もう二度と政治家にはならない」と強く強く断定したわけです。
だとすると、彼は入閣すれば有権者を騙して、都構想の投票活動をやっていたことになります。
そもそも多くの人々が「民間大臣」という言葉に騙されているようですが、民間大臣も当然「政治家」です。単に大臣になる「前」が、民間人だというのが「民間大臣」という言葉の意味であり、政治家であることには代わりありません。
だからどんな形であろうと、彼が入閣したら、都構想否決会見にて、誠実そうな潔さそうな顔をして日本中に対して途轍もない「大ウソ」をついたことになるのです。逆に言うなら、彼が嘘つきでない限り、これからもずっと、入閣を断り続ける事になるはず、なのです。
ただし、もし彼が入閣を目論んでいるのなら、冒頭の記事で書かれていたように、少なくとも今は「入閣なんてしない」と、最後の最後まで言い続けるでしょう。
そうすることで、第一に最後まで引っ張れば引っ張るほど、入閣後の影響力の拡大が望めますし、第二に入閣時の「サプライズ感」が大きくなるからです。要するに、どうせ入閣するなら、自分を高く売るために、易々と入閣するとは言わない方が彼にとって得なのです。
これはつまり彼は今、「都構想はこれで最後です!」詐欺や「辞めれば引退します!」詐欺と同じ手口の、「入閣しないしない」詐欺を仕掛けている疑義が濃厚にあるわけです。
もちろん筆者は、筆者のこの見立てが全て勘違いであることを心から祈念していますが───まずは皆さん、この国に(2)で述べたような日本への巨大被害を回避するためにも、彼が本当に「入閣しないしない」詐欺を目論んでいるのかどうか、しっかりと監視いただきたいと思います。
追伸:本書で論じた話は、以下のページで詳しく経緯を解説しています。ご関心の方は是非、改めて下記をご一読ください。
* * *
橋下徹氏ツイート
『内閣官房参与の藤井氏は話を相当盛るタイプの人物ですね。自分が絶対的に正しいと病的に信じ込んでいるタイプ。問題の記事では、浜田さん、原田さんが自分の誤りを認めて藤井氏の方が正しかったと謝りに来たと書いています。常識のある大人はこんなこと公にしないでしょ。公人として不適格な人物。』
『内閣官房参与藤井氏は、話を盛り過ぎるどころか虚言癖がありそうですね。僕のことを散々詐欺師だ、嘘つきだと言っておきながら、自分が一番の嘘つきという落ち。ネタですかね。自分が一番賢いと信じ込んでいるタイプ。内閣官房参与に不適格です。』
『内閣官房参与の藤井氏、僕を誹謗中傷する記事の中で、原田さんは自説が間違っていて藤井氏の方が正しいと謝ってきたようなことを記事にしています。完全に虚言癖ですね。内閣官房参与に不適格。こんな人物が内閣官房参与だったら安倍政権は危ない。』
『内閣官房参与藤井氏。もし仮に浜田さん、原田さんが何らかのメッセージを藤井氏に送ってきたとしても、それを公にして「浜田さん、原田さんが藤井氏の方が正しかったと謝ってきた。だから自分が正しい」なんてことを常識ある大人は言わない。藤井氏が内閣官房参与だと日本は危ない。』
『内閣官房参与藤井氏は僕を中傷する記事の中で、浜田さん原田さんが「自分は間違っていた。藤井氏の方が正しい」と謝ってきたと書いています。橋下も同じようなもんだろうと。しかし浜田さん原田さんは全否定。この藤井氏は話を盛るどころか虚言癖のレベルですね。彼が内閣官房参与なんて日本も末。』
『内閣官房参与藤井氏。大阪都構想の議論が激しくなっていた当時、ABC放送正義のミカタで彼は大阪都構想には中立の立場で発言していると明言。「それは嘘だろ。明確に反対論者じゃないか」とクレームを入れたら次の放送で反対の立場ですと釈明。虚言癖。こんなのが内閣官房参与なら日本も終わりだ。』
『内閣官房参与の藤井氏。かつて彼は「橋下は議論の密度が濃いホーリーなる大学というものを恐れている」旨発言。どこまで自分ナンバーワンやねん。そして浜田さん原田さんという経済の専門家に対して「彼らは藤井が正しかったと謝ってきた」旨発言。しかしそれは事実と異なる。虚栄心の塊の虚言癖。』
『内閣官房参与藤井氏。彼はこんなことばっかりやっている。とにかく人格攻撃。いい大人がするようなことではない。それで自分が批判されると人格攻撃は許さんと吠える。誰か藤井氏に社会人のマナーを教えてやって欲しい。内閣官房参与に不適格』
『(内閣官房参与藤井氏)①僕が藤井氏のことを「権力の犬」とメルマガに書いたことを人格攻撃だと藤井氏は怒っている。このメールを見て欲しい。宛先の先生とは自民党の大阪市議会議員・府議会議員。「恐れながらコメント差し上げます」って自分が仕える権力にはこの低姿勢。 』
『(内閣官房参与藤井氏)②このメールは自分がいかに頑張って自民党に尽くしているかのアピール報告書。他方相手の維新は「きゃつら」。これを「権力の犬」と言わずして何と言う?こんな二重人格者が今どき本当に存在するとは驚きだ。他人のことは人格攻撃しまくり、自分がやられたら怒る。子供だ。 』
『(内閣官房参与藤井氏)③彼は自分が公人であることの認識が全くないようだ。他人を罵りそれをもって公への露出を目指す。仕える権力には平身低頭で擦り寄り肩書を維持する。自分こそが一番賢いと信じ込み民主主義を否定するような言動に自己陶酔する。僕はやられたらやり返すだけ。自分からはやらない』
* * *
かつて藤井聡は百田尚樹氏の永遠の0をディスっていた。以下
本日は,皆様ご存じの『永遠の0』についてお話したいと思います.
『永遠の0』は百田尚樹氏の処女作で,2006年に出版後,売れに売れ続けその文庫版が300万部以上売れるという空前の大ヒットとなりました.その後マンガにもなり,昨年には映画も公開され,それぞれ大ヒット,今度はテレビドラマにもなる予定です.
そのあらすじは,20代の若い姉弟が,自分の祖父が特攻隊で命を落とした事を知り,その祖父の生前の姿を,祖父と共に戦った方々に一人一人話を聞いていく,というもの.
その中で,祖父は凄腕のゼロ戦乗りである一方,卑怯者と誹られても「必ず生きて帰る」という妻との約束を守り続けたにも関わらず,最後の最後に「特攻」する事を選んだ,その祖父の真実を,終戦から60年を経て明らかにしていく,というストーリーです.
作家の百田氏は,関西人ならおおよその人達が長年慣れ親しんできた『探偵!ナイトスクープ』の放送作家をされていた方で(当方もこの番組は,上岡龍太郎局長時代,大ファンでした!!),独特の番組づくりをされ,放送作家として高く評価されていましたが,この小説のヒットを皮切りにさらに著名になり,今やNHK経営委員にも就任しておられます.
ただし,この『永遠の0』は,主として「サヨク」系から批判されており,例えば,同じくゼロ戦を扱った映画を作った宮崎駿氏は,その「戦争賛美的側面」を「嘘八百」という言葉で切って捨てつつ,大批判をしています.
一方で,いわゆる「保守」と呼ばれる人々からは,大変にこの物語が愛され,「偉大な作品」とまで言われ,すこぶる高く評されることがしばしばです.
かくして,いわゆる「右vs左」の構図としてその賛否が論じられていることもしばしばで,そのヒット現象は,日本の「右傾化」の象徴と言われることもあるようです.
ただしこれはあくまでも当方個人の見解でしたが,この物語がどうしても好きになれませんでした.その根本的理由は,「これだけの大ヒットは,今日の日本を覆う『大衆社会』の大衆人の『俗情』と結託せずして生じ得るはずなどないだろう...」というだけの安易な理由でしたが,それだけでは批判する根拠も十分でもありませんし,この物語に対して批判を差し向けると,世論,とりわけ,いわゆる「保守」陣営の方々を中心として,かなりの反発があるだろう….と予期し,面倒なので,取り立ててこの物語について論評する事を避けてきました.
が,先日,とある雑誌の原稿で,ある映画作品を批判し,その最後に「『永遠のゼロ』においても、同様の構造を見いだす事ができる。」と一文を追記したのですが,この一点がやはり,一部,批判を呼ぶこととなりました.
確かに『永遠の0』がなぜ,「批判されるべき構造にあるか」については一切言及しておりませんでしたので,ここに至っては致し方無し...ということで,本日は『永遠の0』について,改めてどの様に当方が感じているかを,記載することと致した次第です.
(以下に論ずることは,『永遠の0』に好感を持ってられる方は,少々気分を害する内容が含まれているかも知れませんので,読むことはお勧めしません.が,もちろん,ご関心の方はご一読下さい.なお,一部ネタバレがありますので,ご注意下さい.)
ただし本メルマガを書くにあたっては改めて,この映画を観ることにしました.観るにあたっては,我が家の中三の息子がいるのですが,このボーズと鑑賞いたしました.どうやら彼はこの作品の事が,小説がバカ売れしていた頃から気になってたみたいなので,喜んで一緒に付き合ってくれました.
このボーズからはこれまで,『進撃の巨人』や『マドまぎ』,『ノラガミ』『東京喰種』など,全くもって世間から蔑まされても致し方無いB級マンガ(しかしながら,その内容は芥川賞や直木賞等の小説よりは遙かに深みのある物語,と当方が勝手に評価している物語)の存在を当方に教示してきた経緯もありますので,彼がこの映画を見てどんな反応をするかに興味があったからです.
この映画,さすが『探偵ナイトスクープ』の放送作家の作品ということもあり,部分部分には,私たちをうならせる「小ネタ」が満載です(ちなみに,当方が一番好きだった探偵は,言わずと知れた小枝師匠です 笑).この映画のオープニングと繋がるラストシーンも含め,その数々の「感動シーン」のツボの押さえ所故に大ヒットとなるのも,よく理解できる作品でした.
ただし,私たち親子がこの映画を見ていて一番盛り上がったのは,次のシーンでした.
映画の最後の方で,主人公の飛行機乗りが,特攻にまさに行く時,彼の若い後輩に「御願いがあります.私の家族が路頭にまよい苦しんでいたら,助けて欲しい.」というメモを(間接的に)渡します.
この後輩,実は,この主人公に命を助けられた恩義を持っており,恩人の頼みとあって,戦後,一生懸命,彼女たちを助けようとして,給料などを定期的にさし入れに行くこととなります.
そんな差し入れが程なく続いた後,この後輩,恩人の先輩の奥様に好意を抱くようになっていきます.そして,その思いがこらえきれなくなったある夜,この後輩は次の様に叫ぶのです.
「最初は義務でした.でも,喜びになりました.わたしは,あたなをはじめてみたときから....!」
このシーンで,当方と中三のボーズは,顔を見合わせて大爆笑してしまいました.
「なんでやねん!」
「んなアホなぁ...」
「そんなんしたら,あかんやろぉぉ」
などなど...ひょっとすると,藤井家が息子共々まるまる非難されるかもしれませんが,事実ですので,ここに暴露してしまいます.
この爆笑の渦の中,私たち親子の会話はこう続きました(笑い声は割愛致します).
父「おまえ,仮にこの主人公みたいな立場になったら,自分の奥さんと子供の事を助けて欲しい,ってメモ,渡すか?」
中三「そんなん,わたすわけ無いやん」
父「せやなぁ.まぁ,ここは普通,嫁さん宛の手紙やなぁ.それやったら逆に,このメモ,渡されたらお前,この奥さんに,こんな告白じみたこと言うか?」
中三「そんなん絶対ゆわんわ.だいたい,先輩に失礼やろ.まじキモい.」
親子(大爆笑)
この爆笑トークの後は,もう緊張感が切れてしまい,何を耳にしても目にしても,白けてしまいましたが,最後までもちろん,一生懸命,真面目に観続けました.で,最後に,主人公の特攻について,年老いた「後輩」が,「なぜ,彼は特攻に行ったのでしょう?」と問われたとき,こう言います.
「それは言葉なんかにできるもんじゃない」
これについて,中三のボーズは,
「そんなんホンマか?」
とツッコミをいれます.
このツッコミを受け,父親は,映画を観ながら,メモをとってたので,そのメモの一文を伝えてやりました.
「さっき,この主人公,特攻に行く前の段階で,自分が教え込んだ生徒達が特攻に行って,バタバタ死んでいくのを観続けてた時,こんなんゆーてはったやろ.
『おれは逃げた.彼等を見殺しにした.
おれは,彼等の犠牲の上に生きながらえている.
彼等が死ぬ事で,生き延びている.
おれはどうすればいい.』
こう言うとったけど,なんで特攻行ったか,言葉にできひんか?」
ボーズはこう言います.
「ああ,そういやそういうの言うとったなぁ.『おれはどうすればいい』ってゆーて,じゃぁ,特攻する,ってことなった,っちゅうことちゃうんかなぁ」(注:最後の一文は「それでは,特攻する,っていうことになった,ということではないのだろうか」の意)
ちなみに,この事の顛末,小六の息子にも,夕食の時に口頭で,上記の主人公のセリフを説明して聞いたところ,
「自分が教えた子供だけに行かしてぇ,自分が帰ってきたからぁ,情けないしぃ,せっかく教えた子供達が死んだんやからぁ,自分も行かなあかん,みたいな感じで,行かはったんちゃうのぉ」
との見解でした.
・・・・
さて,映画が見終わったところ,どうも父親の心に中に引っかかってたセリフがありましたので,それを中三のボーズに改めて聞かせてやりました.
主人公が,米軍機に追い詰められてまさに打ち落とされそうになった時,後輩がその米軍機に体当たりし,米軍機を撃墜.そのお陰で,主人公が九死に一生を得たのでした.ただし,その後輩もまた,九死に一生をえて,大怪我をするものの,生き残ります.
この直後のシーンで,その後輩は,自分よりも飛行機乗りとしてのレベルが格段に高い先輩に生き残ってもらいたかった,そのためには,自分は死んでもよかったです,と伝えたところ,主人公は,次の様に,大激怒しつつ叫びます.
「ちがう!! 生きてこの国のために立派な仕事をするべきだ!!」
父親たる当方は,この一言に大いなる違和感を感じていたのですが,これについて,次の様な会話を致しました.
父「このセリフ,お前,どう思う?」
息子「立派な仕事するべきって,『お前! 今オレ,お前助けるって仕事したんやけど,そのオレの仕事は,立派ちゃうんかぁ!?』って思う.」
このセリフと類似したセリフとして,次の様なものもありました.
自分が教えた特攻隊の生徒達が,バタバタと死んでいった事を思い起こし,後悔しつつ,次の様に口にします.
「みんな,こんな事で死ぬべき人間ではなかった....戦争が終わった後の日本のために,生き残るべき人間だった.」
これについての親子の会話です.
父「じゃぁ,このセリフはどう思う?」
息子「そんなん『戦争終わった後の日本』って,戦ってはった時,そんなんがあるかどうかなんてわからへんやん.日本が無くなるかもしれんかったんやろ?」
(なお,家内にも見解を求めたところ,「とりあえず勝たな,戦後があるかないか分からへんやん」と全く同趣旨の回答だった事も申し添えておきます) で,さらにこの中三の息子,先の台詞に続いて次の様なことも宣ってました.
息子 「それにそもそも,こっちからケンカうったんやろ? アメリカに. それやったら,とことんやらな,しゃあないやん」(注:標準語で言うと,最後の一言は「だったら,とことんやらなければ仕方が無いじゃ無いか」)
父 「なるほど,そらそやなぁ,だいたい,真珠湾で最初にイッたったんは,こっちやからなぁ….」
・・・・
といった会話をあれこれと重ねた後の最後の親子会話をご紹介して,本稿を終わりたいと思います.
父 「結局この映画,まどマギの百万分の一くらいやなぁ」
息子 「ホンマや (爆笑)」
父 「ホンマ,マジで,永遠のゼロ,やなぁ」
息子 「ホンマホンマ,永遠にゼロや」
親子 (大爆笑)
.....
以上,
「息子をダシに使うなど,言語道断!」
「藤井は,親父だけじゃ無くて,家族もコミで人間性くさってるぅっ!」
なんてお叱りを受けてしまうかも知れませんが,
「父が素直に感じた気持ち」
を,ここまで上手に
「代弁」
してもらえましたので,これらの息子達の発言をご紹介差し上げました.
しかも,以上の各シーンに基づいて,さらに深く評論を重ねることもできますが,むしろこの親子対話を(その雰囲気も含めて)ご紹介する方が,「偉大な作品」とすら言われたこの映画に対する当方の解釈をより容易にお伝えできるのではないかとの見込みの下,家族の了承を得た上で,ご紹介差し上げた次第です.
(ちなみに了承を得る過程で,上の息子は本稿について「おお,おもろいおもろい」とご満悦,下の息子は「えっ,それってみんなにメチャクチャ言われるんちゃうの? でも,思ってること書いたらあかんって,マジでぜんっっぜん意味わからへんわ」とも宣っておりました [←ありがとう!]).
なお,一言だけ本稿について誤解を避けるためだけに解説いたしておきますと,本稿は戦前に戦った方々を貶めるものでは断じてありません.本稿はあくまでも,かの大ヒット作品こそが戦った方々に対して礼を尽くしているに見えてその実,作家と観客総ぐるみで戦った方々全員を貶めているのではないかという疑義を描写申し上げているものとしてご了解願えますと幸いです.
とはいえもちろん,映画のミカタは人それぞれ,他の方々に我が家の映画解釈を無理強いは一切いたしません.そしてここに記載する責任は全て「藤井聡一個人にのみある」事を強く明記しつつ,本稿を終えたいと思います.
* * *
お疲れ様でございました。
今回はタイトル落ちでした。次回頑張ります。