天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

首相の靖国参拝許さない 関千恵子

2017-07-28 15:28:11 | 時事




《朝日》

被爆死の級友は「英霊」か 首相の靖国参拝、許せぬ女性



「私のクラスメートはみな、『小さな兵士』として靖国神社に入れられ、首相に参拝されるなんて思わなかったはず。憲法無視は明らかなのに、裁判所は認めず、とても心外です」


「私も学校を休んでいなかったら、被爆死が『名誉の死』になり、英霊としてまつられていたと思うと、ぞっとした」


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ふぇみん

安倍靖国参拝違憲訴訟の原告


関千枝子さん
戦争の始まりって分かりにくいのよ
 
 ・2013年12月26日、関千枝子さんはニュースを見ていて安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことを知り、すぐさま電話を手にした。「安倍は必ず靖国に行く。参拝したら裁判をやるぞ、と思っていたから」
 
・首相の靖国参拝を違憲とする訴訟の原告になるのは小泉元首相に続き2回目。今回は原告代表として第1回口頭弁論で意見陳述を行った。関さんが靖国にこだわるのは、憲法第20条が規定する政教分離と信教の自由が民主主義の根幹だから。安倍首相の違憲行為を許すわけにはいかない。  靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。「かつて日本は、すべての宗教の上に国家神道があって、その『軍事部門』の大本が靖国だった。20条のことを意識しない人が多いけど、『政教分離』は9条と並んで非常に重要なもの」
 
・小学校の頃から本好き。東京の私立校ではそれを褒めてくれる先生もいた。1944年に父の仕事で広島に転居、県立の女学校に入り「皇国精神」のための厳しい規則に驚いた。髪型まで決められていた。教科書以外は持ち込み禁止。小説を読むと不良になると言われた時代だった。当時はこれが当たり前だったのだが、「本の禁止」はどうしても納得できなかった。
 
・2年生になった45年、戦況の悪化とともに勤労奉仕の日が増え、授業は減っていった。8月6日の朝、関さんはひどい下痢をしていた。学校を休むなんてよほどの理由でない限り「非国民」と言われる時代。しかし母親は頑強に休めと引かず、同じクラスの親友が迎えに来てくれたが、まどろんでいるうちに彼女は行ってしまった。  そして8時を過ぎたころ、閃光が光り、轟音と爆風が広島をおそった。  関さんのクラスはこの日、建物疎開の後片付け作業に動員されていた。爆心地から南に1キロほどのところで全員が被爆、全滅した。自宅にいた関さんは無傷で「命を拾った」


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まず第一に政教分離を理解しておられない。こんな裁判は何回やっても勝てない。つまり、裁判に勝つことが目的でないことがわかる。

二つの文章を読むと靖国に英霊として祀られること、そこに首相が参拝すること、この二点が気にいらないようだ。

結局はナベツネと同じルサンチマンで、友達の命を奪った原爆、戦争への憎悪を只の慰霊施設とそこに参拝する首相へと転嫁させているだけだ。

だから政教分離などというGHQが置いていった土産にこだわるのであろう。要するにWGIPに完全に支配されている証とも言える。

休んだ自分以外が亡くなるという事が相当のトラウマになるのは理解出来るし、戦争をしてはならないとの思いも当然である。だから、友達の分まで声を上げ続けることがある種の使命感から原告となることも立派に思う。

ボケるまで平和な日本で首相の靖国参拝を反対して戦争が防げるのかとの至ってシンプルな私の疑問を晴らす答えは何度読み返しても見つからない。

恐らく彼女の目的は自分の思いを少しでも多くの人々に理解して貰いたいだけなのかもしれない。

朝日新聞は反安倍の為だけに関氏を利用し、関氏は自分の思いを理解して貰いたい為に友人の死、戦争の記憶を利用しているのだろう。


関氏の「戦争の始まりって分かりにくいのよ」の中の一節

『靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。』

は反靖国派の教授が多用する決まり文句である。

国家神道はGHQの占領と供に廃止されている。つまり、靖国神社は宗教施設ではないということ。

冒頭の「英霊」はまさしく当時の言葉であるが、英霊と呼ぼうが、御霊と呼ぼうが、ヒデキと呼ぶのも其々の勝手であり、日本、日本人、地域の人の為に建物を国策で壊していたのだから恐らくは遺族の希望で合祀されているのだろう。

東日本大震災の時津波の襲来を身を賭して伝えた遠藤未希さんとお友達は同じ立場だと思う。

このようにワーギルトインフォメーションプログラムによって日本が悪かったと洗脳された人々は180度方向転換した朝日新聞と共に、日本軍が悪い、戦争が悪い、戦争を止めるために原爆を落とした、との虚構を戦争と現政府と日本軍へと自虐的に向けさせ、靖国神社を戦争神社とするのだ。

関氏は友達が眠る靖国神社に参拝したことがあるのだろうか、英霊と呼ばなくてもいい、是非友達の名前を全員唱えながら参拝されてみては如何だろうか。

今年も8月15日が近づいて来た。

軍艦島

2017-07-28 10:56:18 | 時事


戦艦土佐に似ていることから端島はそう呼ばれた

韓国による歴史捏造所謂歴史修正は人権をテーマに留まる所を知らない。

大正5年に日本で初めて鉄筋コンクリートで建てたビルは当時としてはさぞや未来都市の様相を呈していたことだろう。

渋谷の同潤会アパートを思わせるが大正末期であり、1999年には、日本の近代建築20選、日本におけるモダン・ムーブメントの建築と聞けば、軍艦島に対する見方はガラリと変わる。

炭鉱というイメージは確かに過酷、重労働、危険
であり、江戸時代から罪人をその労働力にしており、見た目のモダンとの乖離は当時からあったようだ。

しかしながら韓国人が描く軍艦島は強制連行、人権蹂躙と慰安婦と同じプロパガンダ映画である。

昭和12年~20年の戦時中

昭和14年からは朝鮮人労働者の集団移入が本格化し、最重労働の採鉱夫のほとんどが朝鮮人に置き換えられたほか、昭和18年から中国人捕虜の強制労働が開始された。

国・長崎県・三菱マテリアル・三菱重工を相手に損害賠償を求めて起こした訴訟では、長崎地裁が2007年3月27日に、賠償請求自体は請求権の期限(20年)が経過しているとして棄却。
だが強制連行・強制労働の不法行為の事実については認定してしまった。

昭和12〜20年『火葬認可証下付申請書』を見れば状況が把握出来る。端島における死亡者は日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人であり、死因は主に爆焼死・圧死・窒息死などで、1940年の端島の推定人口が3333人なので、住人の半数近くが事故で死んでいる計算になる。

ともあれ、同時期の三井三池炭鉱との比較でもそれ程大差のない事が理解出来る。盆踊りにもなり、全国的に定着していることからも、炭鉱は当時の花形だったのかもしれない。

韓国にも地獄島という拉致監禁し強制労働させた島があるらしい。問題は韓国が史実を捻じ曲げ反日プロパガンダとすることと、架空のファンタジーに日本の司法が捻じ曲げられている現状だろう。

反日は殊更捻じ曲げるのが好きなようだ。日本人は歴史を知り鋼の心を持つことが必須である。