《朝日》
被爆死の級友は「英霊」か 首相の靖国参拝、許せぬ女性
「私のクラスメートはみな、『小さな兵士』として靖国神社に入れられ、首相に参拝されるなんて思わなかったはず。憲法無視は明らかなのに、裁判所は認めず、とても心外です」
「私も学校を休んでいなかったら、被爆死が『名誉の死』になり、英霊としてまつられていたと思うと、ぞっとした」
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ふぇみん
安倍靖国参拝違憲訴訟の原告
関千枝子さん
戦争の始まりって分かりにくいのよ
・2013年12月26日、関千枝子さんはニュースを見ていて安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことを知り、すぐさま電話を手にした。「安倍は必ず靖国に行く。参拝したら裁判をやるぞ、と思っていたから」
・首相の靖国参拝を違憲とする訴訟の原告になるのは小泉元首相に続き2回目。今回は原告代表として第1回口頭弁論で意見陳述を行った。関さんが靖国にこだわるのは、憲法第20条が規定する政教分離と信教の自由が民主主義の根幹だから。安倍首相の違憲行為を許すわけにはいかない。 靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。「かつて日本は、すべての宗教の上に国家神道があって、その『軍事部門』の大本が靖国だった。20条のことを意識しない人が多いけど、『政教分離』は9条と並んで非常に重要なもの」
・小学校の頃から本好き。東京の私立校ではそれを褒めてくれる先生もいた。1944年に父の仕事で広島に転居、県立の女学校に入り「皇国精神」のための厳しい規則に驚いた。髪型まで決められていた。教科書以外は持ち込み禁止。小説を読むと不良になると言われた時代だった。当時はこれが当たり前だったのだが、「本の禁止」はどうしても納得できなかった。
・2年生になった45年、戦況の悪化とともに勤労奉仕の日が増え、授業は減っていった。8月6日の朝、関さんはひどい下痢をしていた。学校を休むなんてよほどの理由でない限り「非国民」と言われる時代。しかし母親は頑強に休めと引かず、同じクラスの親友が迎えに来てくれたが、まどろんでいるうちに彼女は行ってしまった。 そして8時を過ぎたころ、閃光が光り、轟音と爆風が広島をおそった。 関さんのクラスはこの日、建物疎開の後片付け作業に動員されていた。爆心地から南に1キロほどのところで全員が被爆、全滅した。自宅にいた関さんは無傷で「命を拾った」
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まず第一に政教分離を理解しておられない。こんな裁判は何回やっても勝てない。つまり、裁判に勝つことが目的でないことがわかる。
二つの文章を読むと靖国に英霊として祀られること、そこに首相が参拝すること、この二点が気にいらないようだ。
結局はナベツネと同じルサンチマンで、友達の命を奪った原爆、戦争への憎悪を只の慰霊施設とそこに参拝する首相へと転嫁させているだけだ。
だから政教分離などというGHQが置いていった土産にこだわるのであろう。要するにWGIPに完全に支配されている証とも言える。
休んだ自分以外が亡くなるという事が相当のトラウマになるのは理解出来るし、戦争をしてはならないとの思いも当然である。だから、友達の分まで声を上げ続けることがある種の使命感から原告となることも立派に思う。
ボケるまで平和な日本で首相の靖国参拝を反対して戦争が防げるのかとの至ってシンプルな私の疑問を晴らす答えは何度読み返しても見つからない。
恐らく彼女の目的は自分の思いを少しでも多くの人々に理解して貰いたいだけなのかもしれない。
朝日新聞は反安倍の為だけに関氏を利用し、関氏は自分の思いを理解して貰いたい為に友人の死、戦争の記憶を利用しているのだろう。
関氏の「戦争の始まりって分かりにくいのよ」の中の一節
『靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。』
は反靖国派の教授が多用する決まり文句である。
国家神道はGHQの占領と供に廃止されている。つまり、靖国神社は宗教施設ではないということ。
冒頭の「英霊」はまさしく当時の言葉であるが、英霊と呼ぼうが、御霊と呼ぼうが、ヒデキと呼ぶのも其々の勝手であり、日本、日本人、地域の人の為に建物を国策で壊していたのだから恐らくは遺族の希望で合祀されているのだろう。
東日本大震災の時津波の襲来を身を賭して伝えた遠藤未希さんとお友達は同じ立場だと思う。
このようにワーギルトインフォメーションプログラムによって日本が悪かったと洗脳された人々は180度方向転換した朝日新聞と共に、日本軍が悪い、戦争が悪い、戦争を止めるために原爆を落とした、との虚構を戦争と現政府と日本軍へと自虐的に向けさせ、靖国神社を戦争神社とするのだ。
関氏は友達が眠る靖国神社に参拝したことがあるのだろうか、英霊と呼ばなくてもいい、是非友達の名前を全員唱えながら参拝されてみては如何だろうか。
今年も8月15日が近づいて来た。