
靖国NO3の発言の二つの解釈へのコメント
タイトル
この年の この日にも 「また
「また」 ですよ 四十年以上の 「また」
徳川侍従次長?の発言 か 富田の意思 でしょう はっきり否定しましょう
御製も 小役人のメモも しっかり読んで下さい
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いつも読んでいただきたいありがとうございます。
お叱りのコメント、ありがとうございます。
散々富田メモに関してはブログ化してきましたので、ご存知の方もおられるでしょうが、私としては久保さんと同じように考えてきました。ただこの回に関しまして『間違っている』と書いたのみで終わった事へのお叱りだったのでしょう。
宮澤氏はこの御製
『この年のこの日にもまた靖国の
みやしろのことにうれいは深し』
を聞いて富田メモが世に出た時に、本物であることを確信したと言っています。
富田メモが世に出たのは平成18年7月です。
御製は昭和61年8月15日のものです。
この御製は中曽根首相の参拝に合わせてよまれたものです。"また"は50年の御親拝を最後に11年間も御親拝が中断している期間の長さ、8月15日が11回もの"また"です。
この御製は御親拝が長く中断して靖国に行けないことを憂いておられるものです。
時系列で普通でしたら何故憂いていらっしゃるのか?
と考えるのが当たり前です。
つまり、御親拝が叶わないからです、
富田メモ肯定派(そもそも肯定派と否定派に別れる時点でおかしい)は政治的権能を有しない天皇の言葉や感情を政治利用している時点で戦犯と天皇を貶める合法的歴史捏造であることを強く断言します。
したがって、富田メモは本物かもしれないが、解釈が意図的に間違えている訳です。
在る時A級が"易々"と合祀されたそれが問題となり
御親拝が中断せざるを得なくなり、不快感なのです。戦犯に対しては祀るタイミングが悪かったとの感想レベルの言及に留まったでしょう。
それを戦犯合祀に不快感と解釈し政治利用したのです。ですから当事者が全て亡くなってからメモを歴史資料として歴史家がさも事実であるかのように太鼓判を押したのです。