特攻は戦艦、自爆テロは民間人などとその対象が大きく異なることには今回は触れない。
宗教と死生観の観点から違いを見ていきたい。
アッラーフ・アクバルと叫ぶシーンをイスラム圏での戦いで耳にしたことがあるだろう。アッラーフは偉大なり、神は偉大だという意味であり、祈りの言葉、歓喜、歓声、悲鳴の時にも使われる。
イスラム教の戒律が厳しく感じるのは豚肉を食べてはいけない、酒は飲んではいけないのように、
してはいけない規制が存在する。
イスラム教では死ねば天国か地獄へ行くようで、 その振り分けは唯一神のみが決めるようである。
一方、日本では仏教徒ならば宗派によって様々であり、言葉は違うがやはり天国か地獄でイスラムよりは早目に生まれ変わるぐらいであろう。
そもそも日本には宗教と呼べるようなものではなく神道と呼ばれるアニミズムから習俗化したもであり、それだけに仏教の良い所を取り込んでいった。
以外にもこの頃の日本人は死んだら終わり、天国や地獄なんか無いと思う日本人は以外に多かったのではないかと感じている。
この神道は先祖崇拝であり、死んだら神となって子孫達を見守るのが靖国神社の特殊性だが、当時の死生観であろう。
つまり、テロリストにとって厳しい戒律で酒が飲めない代わりに死後は酒の飲み放題の天国が保証されており、特攻隊員は家族や国を守る為にそういうことなら死んで神様となって再び子孫達を守ってやろうと思っていた者は少なくないように思う。
この差は非常に大きなもので、どちらも同じ自死だが前者は個人的欲求の為繰り返し易く対象への憎悪が残り終わり難い、後者は家族を守る為、家族にとっては繰り返さないとの力が働く為戦争への憎悪が高く平和も続きやすいのだ。
本来昔の特攻と現代のテロを比較すること自体おかしいな発想であるが、この様な比較をして同一視する日本人がいる程靖国神社への風当たりは強くなっているように感じる。
今となっては英霊という神々は信教の自由や政教分離という欧米化によって70年以上の効力も限界にきているようだ。自分一人が天国のような平和な暮らしが出来れば良いなどと考えていてはそれこそ軍靴の音も聞こえよう。