誰も見ていないとは言え、2ヶ月前のこんなデマが今頃ネットで話題になっている。
「本土の人は知らないと思いますが、沖縄は捨石、見捨てられたんですよ」
とはっきり言っている。これがなんの炎上もしないのは、その通りだ、多分沖縄の人はそう思ってる、というように、なんの疑いもなく、信じているか、最後まで見ていないかのどちらかだろう。
この大東亜共栄圏の地図を見てわかるように太平洋の島々、中国大陸へと武器を手に兵士は日本本土から出払っている状態である。
日本軍はこの地図のパプアニューギニアから島々を戻るように敗れていく。硫黄島、沖縄への戦いがアメリカにとって沖縄を落とせば勝ちであるというよりも本土決戦は避けていたと思われる。
大本営は「沖縄島に尺寸の土地が残る限り一兵まで戦え」と打電
長参謀は南京攻略戦に参加し、捕らえた捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った松井石根中支派遣軍司令官に窘められたとの逸話がのこる人物でもある。
この第32軍の長参謀長は、「結局我々は本土決戦のための『捨て石部隊』なのだ。尽くすべきを尽くして玉砕するしかない。」と沖縄守備軍参謀らに対して語ったといわれている。
大本営に見捨てられたとの絶望感から発した言葉であり、「日本兵が捨石とされた」が本来の意味である。
沖縄戦に詳しい元海上自衛隊二等海尉である
恵隆之介『沖縄戦の真実』より抜粋した。
『当時、沖縄県は、硫黄島など小笠原諸島、奄美諸島、千島列島、台湾などとともに「前縁地帯」と呼ばれて帝国本土とは区別され(『帝國陸海軍作戦計画大網』など)、連合国軍の本土進攻を阻止する最後の防衛線とされた (「前縁地帯」が天号作戦の対象地域となった)。』
『(正確に言えば、勝てるとは思っていませんでしたが、「沖縄決戦」で、よい条件の講和に持ち込めるかも(『一撃講和』)と考えていました)』
『昭和19年11月。
大本営は、沖縄守備軍の反対を押し切って、精鋭部隊の第9師団を台湾へ移動させました。』
『そもそも第32軍は、編成当初には大本営直轄だったものが、九州の西部軍、さらには台湾の第十方面軍の指揮下にと移されていた』
『牛島司令官は、長参謀長に「沖縄作戦は、これで負けと決まったね」と語った。
長参謀長は、それから毎日、酒ばかり飲んでいた』