天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ヤマトとウチナー

2017-08-18 19:36:19 | 時事

前回、文子おばぁを取り上げたが、日本が安倍政権と沖縄基地移設反対派に二分している。
極めて単純に二分している。

反安倍派の貼ったレッテルは〈安倍=戦争〉である。

つまり左からの視点では〈戦争対平和〉と見えているらしいが、共産党の思考の〈戦争法案〉、左翼メディアの〈戦前回帰〉は明らかに保守、右派を戦争と直結させる為の印象操作だ。

右からの視点では〈平和対共産主義〉であり、実態としては〈平和対平和〉で二分して衝突していることが解るはずである。

沖縄の基地移設反対は県外への移設を訴えているのだが日本の平和は沖縄に基地がある事で保たれているのは周知の事実だ。

このことからも沖縄基地移設反対の運動は平和を脅かす行為でもあるとも言える。

つまり、文子おばぁの言う


「もし日本が負けずに勝っていたら私は死んでいた。米国が勝ったからこそ野戦病院に連れていってくれた。ウジ虫を取ってくれた。怪我を手当てしてくれた。命の恩人はアメリカ人です。でも、アメリカ人を1人でも殺さないと死ねない気持ちです」

とは反日本軍と反米軍の感情を併せ持ち戦争自体に憎悪を生む沖縄県民の体験者として当時感じたままの感情を72年も継続していることになる。

文子おばぁの体験があまりにも壮絶であっただけに天皇メッセージや安保条約、本土の主権回復、沖縄返還はその気持を鎮めることはなかったのであろう。

平和への思いと平和への思いが対立してしまうのはその背景に中国、共産主義、共産党がある。
そもそも昭和天皇がメッセージを米国に送ったこと、また違憲状態と言われた自衛隊が存在するのも全て共産主義から本土と沖縄を守る為である。

純真無垢な若者が文子おばぁの話に感化され基地移設反対の運動に参加し、反安倍に転じる行為はあたかも、暴力反対と叫びながら刀を振り回している様なものであり、日本に侵略戦争と南京事件を訴えてチベットやウイグルを侵略する共産主義国と大差はない。

文子おばぁ この紋所が目に入らぬか

2017-08-18 11:51:10 | 時事


沖縄の活動家で逮捕歴もある山城博治は文子おばぁの事を『辺野古のマドンナ』と名付けた。
このことで文子おばぁが何者であるかが良くわかる。辺野古テントの常駐者、つまり基地移設反対派にとって文字どおりマドンナ的役割りを果たす
活動家のリーダー的存在である。

彼女の口から出る戦争の被害体験談は地獄のような修羅場をくぐってきただけあって、若者の純真無垢な心に突き刺さり戦争への恐怖と憎悪はそれ程間をおかずに日本軍、日本政府にたいしての不信感と警戒へと変換されるのだ。

ユーチューブを見れば数多い文子おばぁの体験談に混じって彼女の暴力シーンが出てくる。
和田政宗議員等に怒りのあまり手が出てしまい、暴行で告発されてもいる。これを巡っても右と左特に左の罵りはしばき隊まで加担して目に余るものとなっている。

文子おばぁをマドンナとして広め、安倍降ろしの道具に利用している反対派寄りのツイートとメディアの記事を見てみよう。




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「私ができることは、基地建設を止めることぐらい。それができたら、今すぐにでも天国に行ってもいいです。思い残すことはありません。でも、この海を埋めるなら、海に入ってでも止めるよ」 島袋文子。彼女の身体には火炎放射器による火傷の痕や手榴弾によるケガの痕が今も頭から足まで全身に残る。

【ツイート美鈴】




 島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風」下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。

 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。

 講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない。本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。

【斎藤良太】



 「安倍晋三に会いたい」それが島袋文子さん(88歳)の第一声だった。

 「辺野古の“文子おばぁ”がやってくる!島袋文子さんを迎え沖縄に連帯する市民のつどい」は、8月17日、参議院議員会館の講堂で、「辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク」、「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」、「一坪反戦地主会・関東ブロック」、「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志」、「安保関連法案に反対するママの会@東京」らの協力で開催された。

 「安倍首相は『国民の命と財産を守る』ときれいごとを言うが、どう守るのか。私は沖縄戦で親兄弟を救いきれなかった。安倍さんはあの弾の中を、国民をどう守るんですか」

 「自衛隊の命も安倍晋三の命も余分な命は一つもないんですよ。余分な命を持っている人、誰かいますか。命の予備を持っている人はいますか。私は持っています。私は一度死んでいます。
 もし日本が負けずに勝っていたら私は死んでいた。米国が勝ったからこそ野戦病院に連れていってくれた。ウジ虫を取ってくれた。怪我を手当てしてくれた。命の恩人はアメリカ人です。でも、アメリカ人を1人でも殺さないと死ねない気持ちです」

 島袋さんは、ガマで母や弟と共に、米軍に火炎放射器で焼かれた身だ。
 その先を聴いて欲しい。

 「食べる物もない水もない。死んだ人間の血の泥水を飲んできた。安倍さんは戦争をやりたいなら、死んだ人間の血の泥を飲んでからにしろ。
 私は戦争体験者です。15歳でしたけど目の見えない母と10歳の弟と2人を連れて逃げた。生きるために。食べ物はなし、水はなし。水を飲んだのは人間が浮かんでいる水たまりだった。夜だった。人間が浮かんでいると知っていたら飲まなかったと思う。朝振り向いたらそこには人間が浮いていた。」

「日本軍は、戦争に負けると分かっていて、ガマから住民を追い出した。いつか日本軍は私たちを助けてくれると思っていた。でも日本軍は私たちを助けずに殺した。殺したが、その人を憎むのではない。戦争をやると決めた人を憎む。戦争をして何ができたか。それを私は問いたいです。
 私たちは2度と戦争をやってはいけない。命をかけてゲート前に座っている。機動隊にごぼう抜きされても。1回は頭を打って、救急車で運ばれた。88歳ですが、基地を止めるまで死ねない。」
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三年前のものだが、
最後に三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会のカンパのための記事より


『「あたしはね、命からがら、壕から這い出したんだよ」そう言って文子さんはシャツの左袖を大きくめくって見せた。
 
火炎放射器に焼かれた左肩。放射状に引き攣ったその肌からは、69年前の地獄絵が立ち上って来るようだった。』

の記事は「地獄絵が立ち上って来る」と見えるらしいが、私には見るものを同情させ、ひれ伏させる水戸黄門の印籠に見えた。