高須氏の特攻の美化とその考えに反吐が出る新潟県知事米山隆一氏のツイッター上でのやり取りに注目が集まっている。知事は考え方自体に反吐が出ると至って冷静であるが、自分のツイートを引用された高須氏にとって英霊への侮辱と戦後続いてきた因襲的な行き過ぎた反省が逆鱗に触れたのだろう。知事がやり取りから逃げたことに批判が集まっている。
逃げても更に追いかけツイートする高須氏、この米山氏のツイートで私が気になったのは、何故大叔父のお墓が別にあるのか?おそらくは助けられた戦友が墓を建てたとも推測出来ますが、そんな戦友のことなど来なくなって久しいぐらい無頓着で、消息も不明とは余りに無情な話であると感じた。
特攻を美化し英雄と考えることをやめてから72年戦後の平和の中で無謀な作戦を批判し続けてきたことは紛れも無い事実、どちらが正しいかではなく、どちらの考え方も正しいのであり、高須氏の考え方をしても許される時代となりつつあるということだろう。
問題は知事の考え方で靖国まで否定しまうこと、被害性のみを重視して戦争責任を指導者だけに押し付けるドイツ国民と同じになっていくことであろう。
特に特攻に関しては議論が別れ特攻に関する嘘も後付けで批判し易くなっている。夜間爆撃の名手で特攻の父大西中将ともぶつかって特攻を反対した美濃部正氏が戦後特攻を回想している。
wikiより
『美濃部は、特攻に反対した人物として知られているが、夜間攻撃を重視してのことであり、特攻戦法には否定的ではなかった。美濃部は戦後、特攻について「戦後よく特攻戦法を批判する人がいるが、それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎない。当時の軍籍に身を置いた者にとって負けてよい戦法は論外である。不可能を可能とすべき代案なきかぎり特攻もまたやむをえないと今でも思う。戦いの厳しさはヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではない」と語っている。また「ああいう愚かな作戦をなぜあみだしたか、私は今もそれを考えている」とも語っている。』
ところで冒頭の星条旗を掲げる写真は硫黄島陥落の印として米軍が戦費調達の為に利用した写真である事はクリントイーストウッド監督の映画硫黄島で有名になったが、後日談がある。
米軍の本土上陸を1日でも多く稼ぐ為に50度もある塹壕を掘り抵抗した、日本側の死傷者1万8千米軍1万9千であったことは有名だが、この星条旗を降ろし日章旗に二度も掛け換え抵抗した日本兵がいたことがわかっている。
100%負けるとわかっていても1日でもそれを遅らせる抵抗をしたのは彼等だけではなく、沖縄戦に於いての特攻はその瞬間だけ鉄の暴風と呼ばれる島への攻撃が止み、その間島民は防空壕を出て避難や移動が可能だったのである。
勝ち負けやパーセントではない、冷静に考えても「忘恩の徒」は知事のほうである。逃げるしかない。