天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

子供を亡くした親の会

2012-06-10 23:14:16 | Weblog
なんて悲しい響きなんだろう。
なんて悲しい集まりなんだろう。
なんて悲しい出会いだろう。

だけどその存在価値は大きい。

まいこを亡くして初めてたどり着いた子供を亡くした親の会のサイトで
たくさんの友達が出来た。
ちょうど同じ時期に子供を亡くしていたり、子供の年齢が近かったり、
亡くなる原因が同じだったり、
いろんなキーワードで強く結びついた友人がたくさんできた。

それは闇の中を生きていく上での光だった。
お互いの思いを共感しあい時に叱咤激励しあい、一緒に歩く仲間がいることのありがたみを実感した。

それまでの友人関係を見事なほどにばっさり切り捨てた私にとっては
どれだけの支えになったかしれない。

江原さんの講演会やサイン会、旅行も行った。

そして悲しいかな、仲間が増えていく。

そんな中、一人の友人が仲間の手助けを受けて名古屋で子供を亡くした親の会を立ち上げた。

月の光の会
私は確か2回目だったかな、
たった1度顔を出しただけの幻の会員(苦笑)
会が立ち上がって1年余、会員数は30人ほどになった。

それだけ・・悲しいけれどそういった場所を求めているということですね。
名古屋で開催されている会ですが、県外からもたくさん参加されています。

私は岐阜で交通事故遺族の会にも携わっていますが、
岐阜には悲しいかなそれ以外のグリーフケアの集まりはありません。
県外でも、そういう場所を求めて足を運ぶ人が現実にいるのです。
岐阜にも・・事故だけでなく、どんな原因であれ子供を亡くした親の会があればな・・と思います。

今回は、お泊まり旅行を計画してくれ
地元岐阜のホテルにて宿泊ということで参加してきました。
迷っていた私の背中を押してく入れたのはパパでした。
『行っておいで・・・美味しいもの食べて、たくさんお喋りしておいで・・』と。

半日の仕事を済ませ、夕飯の準備をして出掛けました。
長良川沿いの河原町を散策中の仲間たちと合流。久しぶりの再会を果たし、
町家のカフェでスゥイーツを頂きました。





ホテルに入り、岐阜城を眺められる露天風呂に入り宴会。
食べるのもそこそこにお喋りが弾む。


お喋りが忙しくお食事の写真はこれのみ(苦笑)
宴会場からはライトアップされた岐阜城と、
長良川の鵜飼が始まる合図の花火を眺め、鵜飼船や漁火が眺められた^^


宴会を終えてからは部屋に戻りまたお喋りが続く続く(苦笑)

みんな同じ苦しみや悲しみを抱えながら・・
前向きに頑張ろうとしてる姿に刺激を受け、
私も何か楽しみ見つけようって真剣思いましたね。

そして1つ大きな出会い。
名簿でお近くの方なのは確認済みだったのですが、なんとその方は
私の会社の近くにお勤めの方だったのです。
なんと歩いて30秒かかんない場所です。
びっくりでした。
名古屋の会でご近所の方と知り合うなんて不思議なご縁です。

朝ごはんはバイキング。



他人には心の中までわかんないよね・・とお喋りしながら、
でも、私たちも周りの人たちから見たら・・
お泊まり女子会を楽しむセレブとはいかぬが幸せな主婦たちの集まりにしか見えない。
子供を亡くした親の会などではなく違う出会い方をしたかったといつも思う。

私は朝ごはんを頂いてチェックアウトの時間ぎりぎりまでお喋りを楽しんでそこでみんなと別れ家に。

たくさんの癒しと、
そして刺激と、
新しい出会いと、、
優しさのいっぱい
詰まった時間でした。

出掛ける前にパパが言った。

『我が子を亡くした悲しみをぶつけ合うだけでなく、
何か、前を向けるきっかけになるような集まりになるといいね。』

子供を亡くした悲しみや苦しみは誰にでも本当の意味では理解出来るものではない。
だからこそ、
思いを素直に口に出せる場所を求めている。
でも、やっぱり、悲しい苦しいだけで終わってしまっては意味がない。
お互い叱咤激励し合い、刺激し合うことは大切な事だよね。

私にはとても有意義な時間だった。
急きょ参加を決めた私を喜んで受け入れてくれた友人、お仲間に感謝してます。


私も・・なにか始めてみよう。
さて、何が出来るか分かんないけど一歩足を踏み出してみよう。

そんな私にパパが言った。

『無理はしなくていいよ。あなただっていろんなことに挑戦もしてきたし、頑張ってきたんだから、、、
だけど、何かを初めてみようかなって思えただけですごい進歩だよ。』と。

いつも背中を押してくれるパパに感謝。





あれから・・1ヶ月・・・

2012-06-06 22:45:04 | Weblog
薬の過剰摂取で病院に運び込まれてから・・1ヶ月になる。

当初はご飯も食べられず、体重も減って、
毎日ただボーっと布団に横になってた毎日。
家事もお姉ちゃんとパパさんにまかせっきりで、
身体を休めることだけで精一杯の毎日でした。

今回のことで薬の怖さを知りました。

毎日何種類もの薬を飲む。
どれだけ飲んでも体調は全く改善されない。
それどころかどんどんどんどん自分がおかしくなって行くのが自分でもわかった。

そこに、追い打ちをかけるような出来事があり、
私は壊れた。

あの日わけもわからず手当たりしだいの薬を飲んだ。

でも、それが今になってみればよかったのかもしれない。


私が飲んでいたのは即効性のある薬ばかりで、
中毒性のある薬が4種類も含まれていた。

私は内科で安定剤を処方してもらってることもあり、
内科医では副作用を把握できず処方していることが多いと知ったし、
私の担当医は研修医だった。
だから、診察さえちゃんと受ければ私が望むままに・・薬を処方してくれていた。
1日1回と処方されたいた頓服も、最終的には1日3回分まで出してくれていた。


頭痛も肩こりも、生理不順も、排尿困難も食欲不振も、
睡眠障害も、めまいも、耳鳴りも、もしかしてパニック障害も、
すべてが薬の副作用だった・・みたいだ。

これだけの不調を抱えながら、薬の大量摂取で病院に運びこまれて
いろんな処置をされ、あらゆる検査が繰り返され・・・
それで、見つかったのが極度の貧血だけだった。

退院しても、体調は全く改善されず、自分でも不安になってネットで病状を調べて、
自分が薬の中毒症状に陥り、入院によって薬を一気に止めたことで、
離脱症状、つまりは禁断症状が出ていることを知った。

この離脱症状から抜け出すには、医師によっては1~3週間とされているようだが、
実際には、薬を飲んでいた期間の半分の時間がかかると言われている・・らしい。

離脱症状は、まるで病状が再発したかのような症状が多く、
また、薬の服用のくり返しをすることが多いようだ。
私自身、今になって冷静に考えれば、その繰り返しをしていたと言うことなのだろう。

本来は薬を一気に止めるのではなく、少しずつ量を減らしていくのがよい方法なのだが、
今の私は、また薬に振り回される恐怖があり、苦しいのを承知で薬を絶った。

だが、離脱症状と言うのは苦しいものだ。

苦しくて薬を飲んでいた時に近い症状も出るし、
体温調節が出来ないとか、精神的なダメージも大きい。

幸いにして、自分の状態を目の当たりにしたことで、
自分はどうしたらいいのか・・と真剣考えた。

私はただ・・パパと子供たちと心穏やかに生きていきたいだけだ。
だから、ゆっくりゆっくり無理をせず、本来の自分を取り戻せたら・・と思っている。

何をどうしても、まいこは帰って来ない。
帰って来ないけど、いつも私のそばにいる。
姿は見えないけど、いつも私のそばにいる。

いつの間にか・・まいこがいない生活が当たり前になり、
普通に笑ってる私がいる。
自分の楽しみもあるし、穏やかな時間もある。
感動することも、幸せを感じることももちろんある。

でも、いつもどんな時もまいこも共にだ。
私の中に麻衣子は一体化している。

もちろん・・まいこを思って泣くこともあるし、
逢いたくて抱きしめたくて声が聞きたくて切なくなることはいつもだし、
なぜ、こんなことになったんだと言う怒りは消えない。

でも、そういう感情も含めてのわたしでいい。


私が壊れてしまった時、パパは言った。
あなたがいてくれればそれでいい。
親も、兄弟も、会社も、そんなものは後回し。
あなたがいて、子供たちがいて静かに暮らせればそれで十分。

あれもこれもいろんな事を考えすぎることはない。
長男の嫁とか、本家の嫁とか、そんな肩書き捨てればいい。
いつまでも親兄弟が親密に仲よくなんて出来ない、
みんなそれぞれの家族があって自分の家族が一番大切なんだ。
周りの事なんか考えるな・・
身内の繋がりや地域の繋がりなんて考えなくていい。

俺のことと子供のことだけ考えてればいい。
それは究極だが、でもそれでいいんだよねと今は思う。

家族が仲良く生活できて、静かに生きていけたらそれでいい。

今は自分の事がやっとで病気静養中の義父を思いやる余裕もないし、
仲違いしたパパと義妹の仲を取り持つ気力もない。
いろんなことを気に病んだけど、気に病んでいた時はまだ自分がまともだったのだろう。
結局、今の自分には自分のことがやっとで、それらの事が自分自身を追い込んだことも事実で、

でもパパと子供の事だけ考えてればいいの・・・
そうだよね。
まずは自分が何を守るか・・だもの。

パパとそばにいる子供と、そしてまいことの生活を大切にしよう。

時々・・深く落ちるけど、
時々・・とてつもない空虚感にみまわれるけど、、
時々・・当たり前に生きてる自分が嫌になるけど、、
でも頑張ってみよう。

お見舞いの電話をくれた友人が言った。

『いろんな事はあるけど、最後は夫婦だけになるの。
その時、あなたがいなかったらご主人はどうなるの、
あなたが元気でいなきゃご主人がかわいそうよ・・・』

パパも言った。

『あと何年かして二男も独り立ちしたら、
その先は、2人の時間を大切にしてゆったりと生きていくのが俺の夢。
その時、あなたがいなかったら・・俺の夢は叶わない、
俺も生きていく意味がない。あなたの命は俺の命・・・』と。

あなたはどう生きたいの?と聞かれた。

そう、私は今を心穏やかに生きたい。
何年後の事ではなく、まずは今を心穏やかに生きたい。
それが一番の願い。


今は心穏やかな時間を過ごすことにつとめる。
何でもないことだ。
食後にパパと一緒にお喋りをしながら食器を片づけたり、
食後にわんちゃんを伴って思ってることや感じることを話しながら
月や星を眺めながら散歩を楽しんだり、
寝る前の少しの時間写経をしたり、、

パパはやりたいことを先送りして休日には非日常の空間に連れ出してくれるし、
一生懸命、私にとっていい時間を送ることを考えてくれる。

週末は、子供を亡くした親の会主催の温泉旅行がある。
迷っていたけど・・・
宿泊先のホテルは地元岐阜。
みんなとお食事だけでもしてこようかな・・と思ってたけど、
せっかくだからゆっくりみんなと楽しんでおいでよとパパが言ってくれるので
出掛けてこようと思う。


今は、パパの何気ない思いやりや、子供たちの言葉に支えられて
いろんなことでパワーを養えてる感じ。

これもみんなお薬止めたおかげかもしれない。
離脱症状はいろいろあって、でも今のところなんとか我慢できる範囲だし、
時間はかかりそうだけど
ゆっくりゆっくり生きてみようと思う今日この頃。