このブログを訪ねてくださる方はきっと、、
大切な、愛おしいわが子を失くされた方でしょう。
その中には私のように長い時間を経た方もいれば
失くされて間がない方もいらっしゃるでしょう。
まだ間がない方にとったら、、
私のことを我が子を亡くしてもなんて能天気に生きてるだろうと思われるかもしれませんね。
ここでは苦しさとか切なさとかさみしさとか
やりきれなさ虚しさ吐き出していますが
もう一つの独り言のブログでは能天気な日々を綴っていますから。
まいこママの独り言
私は時々思います。
9年の月日を生きてきてやっとここまで来たと。
大きな苦しみの中、底なし沼の中でもがいて生きてた日々。
どうやって死のうか、、
なぜ生きていかなきゃいけないのか意味も見つからない。
どうやって息をしたらいいのかも、どうやって笑ったらいいのかも、
何もかもがわからなくなっていた。
時間を経て進歩したのかと聞かれるとそれも危ういのだが
それでも、、
うまく気持ちをごまかし周りの人と普通に付き合えるようにもなったし
当たり前に日々を過ごせるようにもなった。
それは、、
無理をすることも頑張ることもやめて
いろんな流れに身を任せてゆらゆらと生きることを心がけているからかもしれない。
付き合いたくない人とは付き合わない。
行きたくないところには行かない。
友達がいなくても生きていけることに気が付いたし
仮面をかぶってまで笑う必要もないことに気が付いたし
私は私のやり方で生きていくと開き直れば
なんと楽なことだろう。
そこまで開き直れるようになったのは
末っ子が高校生になり地元のママ友とのお付き合いが減ったことが大きい。
小さな町の小さな学校、親同士が親密に付き合っていなければやっていけないことは多い、
でも高校生になったことによりそういったしがらみもなくなった。
思い返してみれば、次男の学校行事が一番私にとってきつかった。
それから解放されたことは私を楽にさせてくれた。
そうやって少しずつ楽になっていくんだろう。
これから先も、、
本当に苦しかったなぁと思う。
それでも、、
今でも私は死ぬために生きているのは同じだ。
早く次男が独り立ちしてくれないかな、、と思う。
親の責任を果たしたら早く命を終えたいと思う。
いくら穏やかな時を取り戻しても
一度壊れた心を元通りには出来ない。
笑うことも思い出した。
楽しむことも思い出した。
だけど笑った後でまいこを思う。
楽しんだ後でまいこを思う。
お母さん、こんな能天気でごめんね、、と。
能天気に生きることにも罪悪感が伴います。
でも、
能天気に振る舞うことでやり過ごせることもたくさんあります。
どう生きるかなんて人それぞれで
どうやって進むのかも人それぞれで、、
試行錯誤で私は私のやり方で生きるしかない。
そう思います。
大切な、愛おしいわが子を失くされた方でしょう。
その中には私のように長い時間を経た方もいれば
失くされて間がない方もいらっしゃるでしょう。
まだ間がない方にとったら、、
私のことを我が子を亡くしてもなんて能天気に生きてるだろうと思われるかもしれませんね。
ここでは苦しさとか切なさとかさみしさとか
やりきれなさ虚しさ吐き出していますが
もう一つの独り言のブログでは能天気な日々を綴っていますから。
まいこママの独り言
私は時々思います。
9年の月日を生きてきてやっとここまで来たと。
大きな苦しみの中、底なし沼の中でもがいて生きてた日々。
どうやって死のうか、、
なぜ生きていかなきゃいけないのか意味も見つからない。
どうやって息をしたらいいのかも、どうやって笑ったらいいのかも、
何もかもがわからなくなっていた。
時間を経て進歩したのかと聞かれるとそれも危ういのだが
それでも、、
うまく気持ちをごまかし周りの人と普通に付き合えるようにもなったし
当たり前に日々を過ごせるようにもなった。
それは、、
無理をすることも頑張ることもやめて
いろんな流れに身を任せてゆらゆらと生きることを心がけているからかもしれない。
付き合いたくない人とは付き合わない。
行きたくないところには行かない。
友達がいなくても生きていけることに気が付いたし
仮面をかぶってまで笑う必要もないことに気が付いたし
私は私のやり方で生きていくと開き直れば
なんと楽なことだろう。
そこまで開き直れるようになったのは
末っ子が高校生になり地元のママ友とのお付き合いが減ったことが大きい。
小さな町の小さな学校、親同士が親密に付き合っていなければやっていけないことは多い、
でも高校生になったことによりそういったしがらみもなくなった。
思い返してみれば、次男の学校行事が一番私にとってきつかった。
それから解放されたことは私を楽にさせてくれた。
そうやって少しずつ楽になっていくんだろう。
これから先も、、
本当に苦しかったなぁと思う。
それでも、、
今でも私は死ぬために生きているのは同じだ。
早く次男が独り立ちしてくれないかな、、と思う。
親の責任を果たしたら早く命を終えたいと思う。
いくら穏やかな時を取り戻しても
一度壊れた心を元通りには出来ない。
笑うことも思い出した。
楽しむことも思い出した。
だけど笑った後でまいこを思う。
楽しんだ後でまいこを思う。
お母さん、こんな能天気でごめんね、、と。
能天気に生きることにも罪悪感が伴います。
でも、
能天気に振る舞うことでやり過ごせることもたくさんあります。
どう生きるかなんて人それぞれで
どうやって進むのかも人それぞれで、、
試行錯誤で私は私のやり方で生きるしかない。
そう思います。