天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

子供を亡くした親の体調

2013-04-29 21:39:52 | Weblog
子供を亡くした親の体調。
昨日のブログの検索キーワード。

子供を亡くした人は多かれ少なかれ、
身体も心も壊す・・・と思う。

私のそれが他の人と比べてどうだったのかは分からないが・・
多分、重度だったと思う。

まいこがいなくなって間がない時からすでに病院通いが始まった。

初めは、ドキドキする・・となんだったかな・・
血液検査やエコー検査をしたのを覚えてる。

その時は、身体の不調が心からきてるなんて思いもしなかったから、
何かしらの治療をしたら治るものと思ってた。

でも、検査結果はどこも悪いところはなし。
だが、体調不良が酷いため、医師が聞いた。

『何か強いストレスとかありますか・・・・』

その一言が心の病と出会った始まりかもしれない。


それから・・どれだけ病院通いをしただろう。
内科、整形外科、耳鼻科、婦人科、泌尿器科、、、、

めまい、動悸、不眠、難聴、耳鳴り、呼吸困難、生理不順、
排尿困難、、、、

かかった病院も1つや2つじゃない。

結局、どこでどんな検査をしても悪いところは見つからない。
どれだけの検査費をつぎ込んだかしれない。

医師が、これは心療内科、精神科の領域ですねと。

心療内科では
心を病む原因がはっきりしてるため
大鬱だと診断された先生が何人かいた。

ただただ大量に処方される薬を前に、薬によって余計に壊れて行く自分に気がつき
薬から遠ざかると
だから治らない!!と怒る医師。

でも、そんな医師が信用できなくていくつもの心療内科を渡り歩いた。
そして、
やっとあぁそうかと思える診断がPTSDだった。

あなたの性格ではうつ病にはならないと。
まいこの事故のショック、まいこの死のショック。
それが引き金になって起きた病気なのは間違いはない。

気持ちを紛らせるすべを見つけて楽に生きて行く方法を探さないと仕方がないね・・と。

その頃から、身体がキツイ時や気持ちが落っこちてどうしょうもない時に
薬を飲む方法に切り替えた。

薬を全く必要としない時もあるし、
また薬を飲んでるのかと夫に叱られるほど薬に頼る時もある。

そして、漢方の先生との出会いがあり、
少しずつ快方に向かいつつある・・・かな・・・

ここまで来るのに6年半。

今だ、1ヶ月まともに出勤できる月はないし、
(半日だけの仕事なのに・・・)
苦しくて眠れない夜も多々あるし、
感情がみだされて夜中に泣き続けて夫を困らせることもあるし、

家事もまともに出来ない日もあり、
外にも出られない日もあり、
人と逢うことが苦しい日もあり、


当たり前に過ごせる日と、そうでない日との割合が
やっと良い方に向いているかな・・と思うこの頃。

それでも、桜咲く4月は切なくて、たくさんの思いでのある夏も辛いし、
お誕生日と命日のある12月に向かう秋はとてつもなく苦しいし、
12月など、息をするのがやっとで・・・

1年を通しても心穏やかに過ごせる時は少ない。

だけど、6年前に比べれば進歩だ。

多分、本来の自分に戻ることはないんだろうという確証がある、悲しいけど。

6年がたっても時間薬の効き目は弱い。

きっと、どこまで行っても心のおもりを抱えたまま生きて行くんだろうと思う。
きっと、自分の命が終わるその瞬間私は楽になれるのだろうと思う。

どこかで苦しんでる方がいる。
私と同じようにもがきながら生きてる人がいる。
もう、楽になりたいと願いながら生きてる人がいる。


まだまだ私も苦しいことがいっぱい。
今日を生きるのがやっと。


でも、生きて行くよ。
こんな私のブログにたどりついてくれる人のためにも
ゆっくりゆっくりだけど私生きて行くよ。

人にはわからないよね・・

2013-04-14 11:28:32 | Weblog
パパさん、友人とのお酒の席で・・

『北朝鮮のミサイル、どんと落ちてみんな一緒に死ねるのならそれでいいやん・・』と言ったら
誰も同調してくれなかったそう・・・

そりゃあそうでしょう。

私たちみたいに我が子を亡くすという究極の経験をしていなきゃ
多分理解などできない。

元々、私たち夫婦は、最期は一緒に逝きたいという思いが強い。
それはまいこがいなくなる前からだ。

残すのも残されるのもいやだよね、一緒に最期の時を迎えられたらどんなにいいだろう。
真面目にそうおもっていた。

まいこがいなくなってからは余計に・・・
一緒に逝きたいね、
子供たちの成長を見届けたら
そしたら一緒に逝けたらいいのにね・・・って。

亡くなった人の分も頑張って長生きしなきゃと思う人もいるが、
我が子の生きられなかった分を生きたいとは思わない。

なにせ、一番の願いが『早く、まいこに逢えますように』なのだ。

だけど、親としての務めだけは果たそう。
そしたら、まいこもよく頑張ったねと、逢えた時抱きしめてくれるかもしれない。


自分から逝ったら逢えない。
だからその時が来るまでは生きる。

でも・・
自然災害や、突発的な出来事が起きて・・
一緒に死ねたら幸い。


私たちの年齢で『死』というものについてこんなに深く考えることになるなんてね・・
でも、自分が死んだ時のことは夫婦でお互いよく話をする。
私たち夫婦にとって死は不幸なことではないのです。

それはこの今の苦しみから解放されることであり・・
逢いたくて仕方がないまいこに逢えることであり・・


私が死んだら、子供夫婦と孫だけで送ってほしいとお願いしてある。
まいこに逢えてよかったねとあちらに送ってほしいとお願いしてある。


パパが言った。
『俺が先に逝ったら、寂しくてあなたを早くおいでと迎えに来るかもよ』

全然、かまわない。
迎えに来てくれるのを待ってるわ。

どちらが先かわかんないけど、まいこに逢えたよって合図しようねって・・・・


長男くんが自分の家庭を持って、
二男クンが学校を卒業して社会人になって、無事自分の家庭を持ったら・・・
いつでもいいと思う。

でも、パパが、子供たちの成長を見届けて、
少しだけ2人の時間を楽しんでからにしようねという。


それは私たちにとって、凄い進歩だ。


生きて行く間に・・
まだ死にたくないと思う時が来るんだろうか・・・
そう思えることは幸せな事なんだろう。


私たち夫婦にそんなふうにおもえるときが来るんだろうか・・