天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

ありがとうございました

2015-12-31 21:47:01 | Weblog
今年もあと少しで終わりますね。

まいこがいなくなってから10回目のお正月です。
まだ自分の中では新年のおめでとうございますの挨拶はできそうにありませんが

でも、、よいお年をお迎えくださいねと
明るく年末のご挨拶ができるようになった自分をほめてあげよう。
1年体調をひどく崩すことなく日々忙しく過ごせたことをほめてあげよう。
自分なりに一生懸命娘の手助けを出来たことをほめてあげよう。
主人と穏やかな時間を過ごせたことをほめてあげよう。
どれも大したことじゃないけれど
私にとってはやっぱりよく頑張りましたです。

仮住まい先で迎えた新年。
今日、仮住まいした会社の二階の大掃除をしましたが
ここでの生活も楽しかったなあって懐かしく思いました。

1月に棟上げをして、すこしずつ主人の思い描いた家が出来ていく様を見てるのは
どこか他人事のようでそれでいてやはり楽しみも多く
ワクワクする時間を過ごせましたね。
家が完成して長男夫婦との同居が始まり
忙しい日々が再開しました。

そしてお嫁ちゃんのご懐妊。
何より嬉しく、大きな楽しみになりました。
年明け早々には赤ちゃんに逢えると思います。

娘のお店での仕事も楽しくさせてもらって、
主人の会社の仕事も最低限だけど
自分が責任を持たされていることだけは何とかこなせたし、
お仕事をしているお嫁ちゃんの手助けがしてあげたくて
家事も頑張ったし、
そしてお嫁ちゃんが家事を引き受けてくれる時は
すごく助かりありがたいなあと感謝出来るし、
娘の孫たちも成長し知らぬ間に対等にお喋りが楽しめるようになり
今までと違う楽しみを持つことも出来るようになりました。


恵まれた日々を過ごせているんだなあと改めて感じます。

正直こんな穏やかな日々が来るとは思えませんでした。
心の底から笑うことも、何かが楽しいと思うことも
幸せを感じることも、、
何も望めませんでした。

でも今、やっと自然体で生きることが出来るようになりました。

切り捨てたたくさんの友達、
夢や希望も捨てた。
生きることさえやめたくなる日々、、
いろんな葛藤を乗り越えたとはまだ言えないが、
取り合えず、このまま目が覚めませんようにと願いながら眠りにつくことはなくなりました。

私が家の中で明るく過ごしていれば
家族も笑って過ごせる。
私は強い人間でも出来た人間でもないので
自分の力以上に頑張ることは出来ないが
私が主人と出会って一緒になった時に
この人と細やかでもいい、穏やかな家庭を作ろうと心に誓ったことを思い出し
今は主人と子供たちのために出来ることから頑張ろうと
やっとそう思えるようになった。

そんな気持ちの進歩を自分でほめてあげようと思う。

新たな年にもたいそうな望みはないけれど
家族仲良く穏やかに過ごせることを願ってやみません。


それでも、、
私はまいこのことを忘れるわけでも、
割り切るわけでもなく
どんな時もまいこも一緒に生きていく。
私の中で生き続けているまいこと一緒に生きてく。

私の経験はまいこの経験になる。
私の感動はまいこの感動になる。
私が心穏やかに生きられればまいこが一番安心する。

笑ってる私や能天気に生きてる私を見て
まいこが一番喜んでくれるとそう信じています。


年が明けたとて私の中ではなにも変わることはありません。
でも、
10年目のお正月を前に、
やっと細やかなシンプルな年賀状を用意しました。
玄関のしめ飾りも鏡餅も用意しました。
私なりの小さな進歩です。

私と一緒に歩んでくださった皆さまありがとうございました。
新しい年もどうかよろしくお願いします。

終わる

2015-12-25 22:39:44 | Weblog
今年も命日前後にまいこお友達や私たち夫婦のお友達が
たくさん来てくださいました。

たくさんのお花に囲まれています。






冬の朝は、、
天使の梯子がきれいに見られます。
まいこはあの梯子を上って行ったのでしょうか・・・


あの日から9年の月日が流れたというのに、、
たくさんのお友達、後輩、幼馴染がまいこに会いに来てくれました。
ありがたいですね。




でもね、、でも、、、
今年はお友達の結婚や出産や、、、
そんな近況報告が多くて、、、

私も随分進歩して
本当に心からよかったねと祝ってあげられるようになったのだけど、、
でも身体はすごく正直で
体調がやばいことになってます。


ああ 
まいこは死んだのだと
現実を突きつけられたような、、
みんなには今があって、、
まいこには今がない。

わかっているけど、、
切ないわ、、、


主のいないお誕生日のお祝いも9回目。



お姉ちゃんも長男君夫婦もお孫ちゃんも
みんなそろってにぎやかにお祝いしたけど
でも主役がいないんだ。

切なくて、、
それでも祝わずにはいられなくて、、

長男のお嫁さんという新しい家族が増えても、
もうすぐかわいい赤ちゃんが生まれるとわかっていても、、
私の中ではずっと一つ足りないまま。


私の12月がもうすぐ終わる。

少しは楽になれるのかな。

そして今9年目の日々

2015-12-15 23:41:59 | Weblog
今年も命日が来た。
どんなに悲しかろうがどんなに理不尽であろうが
時だけはみんなの上を平等に過ぎていく。


それでもやっぱりもう9年なのかまだ9年なのか
よくわからない。

ただ、よくここまで生きてこれたなって思う。
まいこが突然に命を失い、、
私はたくさんのものを一緒に失くした。

平凡だけど穏やかだった日々、
ただ家族みんなが揃ってるだけだけど
ありふれた日常。
母は壊れ父は弱くなり
家庭から笑いが消え
空気までよどみ、、
ひとつ間違ったらどうなってしまうかわからぬ不安定さ、、

いつ死んでもいいと投げやりになり、
不謹慎だが大きな災害に巻き込まれたい、
テロの標的になってもいい
無差別殺人の的になってもいい
誰かどんな形でもいいから私の命を奪ってくれないかと
真剣に願っていた日々。

おいしいものを食べることも許せず、
楽しむことも許せず、
まして幸せになることなど絶対に許せなかった日々。
わが子があんな形で死んだのだ、
わたし自身が自宅や病院のベッドの上で死にたいなどと、
誰かに見守られて死にたいなどと
願うことなどとんでもない話で
どんな形であれ死ねるのならそれでいいとさえ思いながら生きる日々。

確かに、、
知らぬ間に穏やかな日々を取り戻した。
知らぬ間に笑うことも思い出した。
何かが欲しいとかどこかに行きたいとか思うことも出来るようになった。

時にそんな自分が許せず、そしてそれでいいのだと自分を納得させて
ここまで生きてきた。

人様から見れば能天気に生きてるようにさえ見えるだろう。
誰も、、
ベッドに潜り泣く私など想像できないだろう。
何でもないことでスイッチが入り自分を見失う程心が乱されるなんて思いもしないでしょう。

眠れぬ夜、どうやってまいこのところに行こうと大真面目に考える私など想像もつかないでしょう。
片意地張って頑張ってる主人が
私と一緒に涙する夜があるなどと想像もつかないでしょう。

どんなことも、、
きっと周りの人には想像もつかないことばかりでしょう。
でも私たちはそんな日常を送っています。
確かに、、そんなときばかりではなく
穏やかな時間も、静かな時も、笑いにあふれる時もある。

でもどんなときにも私たち夫婦には足りないものがある。
まいこさえいれば、、当たり前にまいこもいれば、、
思っても仕方がないが
きっと生きてる間ずっと思わない時はないのだろう。

夏が終わり秋が始まるころには少しずつ自分を見失う。
何年たっても12月は苦手だ。

主人は、、主人は変わりなく
当たり前に仕事を精力的にこなし
日々の生活も滞りなくこなし、、
あぁ、もう割り切って生きてるのだろうとと思って
一人イライラしてみたり、、

そんな夫が

息が出来なくなるような苦しさはなくなったけど、、
やっぱり12月はきついねとぽつりと口にする。

そうか、一緒なのか、、
あなたもやっぱり私と同じ気持ちで生きてるんだと、、
そんな本音を知るとほっとしたりする。
勝手なものだ。

9年って、、
3285日、
78840時間、、
4730400分、、

よくここまで生きてきた。
あの怒涛のような地獄の時間を
よくここまで生きてきた。

自分の事ほめてあげてもいいかな・・


私の9年目が終わる。
そして10年目が始まる。

毎年言うが・・
私の一年の括りはまいこの命日。
ここから新しい1年が始まる。


今年もたくさんのお友達がまいこに会いに来てくださいます。
たくさんのお花とたくさんのお供えに囲まれています。
ありがとうございます。
命終えてなお幸せな娘だと思います、

命日前症候群

2015-12-03 21:53:31 | Weblog
やっぱり何年たってもダメなんだ。
もう何かもがあの日につながってしまう。

あの日の朝のこと、、
前日の事、、
それ以前の事、、
些細なことも驚く程に鮮明に覚えてて、、

12月の空、12月の空気、12月の風、、
なぜまいこが死ななければならなかったのか、、
まいこが何をした?
私の何がいけなかったのか?
何かが違ったら、、
まいこは今も元気でいるのだろうか、、、


生きる気力もなくして日々の生活さえままならない時に比べれば
随分進歩したのだろうが、、
12月になると一気にいろんなものが崩れていく。

能天気に振る舞うのも疲れた。
やっぱりこの季節だけは頑張れない。