天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

闇の中にいるあなたへ

2018-03-19 21:58:32 | Weblog
子供を失くすなんて出来事が自分の身に起こるなんて思いもしなかったよね、、
ある日突然、我が子を失くし壊れないほうが不思議。

人は性格も背景もそれぞれで、
だから、苦しみの中で踏ん張る人も、必死で頑張る人も、
もろく壊れてしまう人もそれぞれで、
そして立ち直り方もそれぞれで、、
同じ時を過ごしていても
時に男と女の違いか、父親と母親の違いか、、、
夫婦でも進み具合はそれぞれで、

宗教にのめりこむ人もあるだろう、
私のように薬に頼る人もあるだろう、

なぜ苦しいの?
わかりきってる。
だって大切な大切な自分の命より大切な我が子を失くしてしまったのだもの、、
おかしくなって当たり前、
生きる希望を失くしても当然、

「自分だったら子供を失くしたら生きていけないわ、、」
などと安易なことをいう人がいるが
それは想像の世界。
本当に子供を失くしたら、、
生き方も死に方も、いや息の仕方さえ分からなくなる。
だけど、生きていかなければならない。
その苦しみはやはり同じように子供を失くした人にしかわからない苦しみ。

頑張れも、起きてしまったことは仕方がないも、
禁句だよ、、、
安易な言葉を掛けるくらいなら何も言わないでほしいよね、、

でもね、、今苦しみの中にいるあなた、
いつかきっと私のように少しだけ楽になる時が来るから
今は踏ん張ろう。
私も酷かったの、本当に酷かったの。
家族はいつも私の精神状態にピリピリしてたの。
話す言葉にも神経を使って、いつもいつも子供たちは私の顔色を見てたの。

あの頃、、こんな穏やかな日々が訪れるとは思えなかった。
今でも、胸が締め付けられるような悲しみに襲われることはある。
地雷はどこにでも転がっていて気持ちが乱されることも多々あるの。
でも、あの頃に比べれば気持ちを切り替える術も身に着けたし、
少しくらいのことには動じない強さも取り戻したの。
ここまで来るのに11年半弱。

1人じゃないよ。
仲間はたくさんいる。
あなたの苦しみを共感してくれる人はたくさんいる。
みんな必死で生きてる。
私だって死ねるものなら今すぐにでも死にたい。
でも、生きてる。
そばにいる子供のために家族のために生きてる。

生きてるってだけで罪悪感を感じることもある。
だって我が子は若くして命を終えてしまったのだもの。
我が子が未来を失ったのに、親である自分は当たり前に生きてるんだもの。
楽しかっても、申し訳ないような気がするの。
でも、私たちは生きていかないといけない。
自分から会いに行くことは許されない。
いくら生きることに絶望しても、、、

一緒に生きていこう、今闇の中にいるあなた。

ありがとう

2018-03-09 23:04:23 | Weblog
3月9日ありがとうの日。





まいこを亡くしてから

私はあらゆるところに

まいこからのメッセージを探して

生きていました。




蝋燭の炎か揺れる、お線香の煙が揺らぐ、

いい香りがする、

電気が消える、ラップ音かする、

当たり前に生きてる人には

多分理解出来ないことでしょうが、

何かからまいこを感じることが

それがたとえこじつけのような事でも

わたしの

生きる支えでした。




10年前の3月、

長女は2人目の出産を控えていました。




3月は私の誕生日や結婚記念日があり、

もし、魂が存在するのなら、

新しい命をまいこがその日に送り出してくれる、

真面目に思っていました。




きっと、まいこは私は魔法使いじゃないし、、、と、

苦笑いしてたことでしょう。




娘は3月9日未明に女の子を出産しました。

私は、何でもない日だ、、とがっかりしました。




何年かして、息子の子が生まれ、

まいこが大好きだった彼と同じ誕生日だった。

まいこの仲良しの幼馴染みの赤ちゃんが

まいこの誕生日に生まれた。

偶然だと言われればそれまでだが、

それはまいこの計らいだと思えば

気持ちが救われる。




で、3月9日。

何年かして

サンキューありがとうの日だと知った。







有難う

ありがとう

サンキュー







この日に新しい命を送り出してくれたのは

必然だった。

私に、夫に、姉に、弟にみんなに

まいこが

可愛い姪っ子を通してありがとうを伝えてくれた



相変わらず、勝手な思い込みで

それでも、わたしは随分救われた。



今年も3月9日が来た。

孫娘は10歳になった。


私も感謝の気持ちを忘れずに生きていこう。