天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

夏祭り

2013-07-29 16:44:42 | Weblog
毎年地元で夏祭りがある。

小中学生は老人福祉施設でボランティアをして、
ゲームや盆踊りを楽しむ。

高校生や地元の若者、各種団体が屋台を出してバザーをして賑わう。


まいこも、高校生の時は毎年バザーに参加した。


  


まいこが元気でいた最後の夏祭りには
大学のお友達を連れてきて、
小学校や中学校を案内したり、お友達に紹介したり、
そして、夏祭りを、
そして、夏祭り後に行われる花火大会を楽しんだ。






あれから・・何年経つのか、
そう、まいこがいなくなってから7回目の夏祭りだったね、今年。

私はあれから夏祭りには行けなかった。

二男がかわいそうだからと、いつもお姉ちゃん夫婦が二男に付き添ってくれてた。


今年は、お姉ちゃんは旦那さんとお誕生日ディナーに出かけるからと、
お孫ちゃんだけを預けに来た。

今年は夏祭りはなしで、花火だけ連れて行ってもらいなさいねとおちびチャンたちに言い聞かせて・・・



私は花火だけ見に行こうと思ってた。
でもパパはお孫ちゃんたちがかわいそうだし、二男クンの様子も見に行こうよと。


何年かぶりの夏祭り。
子供たちのお友達が次から次から
『おばちゃん~』と声をかけてくれる。

二男クンはおねえちゃんやお兄ちゃんのお友達に可愛がってもらって楽しそうに過ごしてた。


私も当たり前に、子供たちのお友達や、自身の友人たちと楽しくお喋りを楽しんだ。
あぁ、これも時間なんだろうか・・そう思いつつも、

若い女の子の艶やかな、可愛らしい浴衣姿には気持ちが乱された。

当たり前に存在するみんな。
なぜ、麻衣子だけがここにいないんだろうと思ったら切なかった。
友人夫妻が、娘さんと、その彼氏と一緒に楽しんでる姿を見たら羨ましかった。


それでも、

元気にしてる?と、次々と声をかけてくれる友人たち。
久しぶり~とハグしてくれる友人。
お喋りも楽しんだ。


お孫ちゃんがこんなに大きくなったんだと驚かれ、
連れてたわんちゃんをみんなに可愛がってもらい、
いい時間を過ごした。

それでも、花火が始まったのを機会にみんなの輪から離れた。
パパとお孫ちゃんと花火を眺めた。

まいこはどこで見てるんだろう。
特等席で見てるんかな・・



何も言葉にはしなかったけれど、
パパが、何も考えないんだよとハグしてくれた。

多分、パパも浴衣姿の女の子たちにいろんな思いを抱いていたんだろう。





今週末は地区の夏祭り。
パパは役員だから参加しないといけない。
私はまいこがいなくなってから一度も行っていない。

でも、今年は少しだけ覗いてみようかな・・
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トラウマ

2013-07-18 09:56:53 | Weblog
先日伯母が亡くなった。

体調も悪い時だったので、ご無礼しようかと思ったが、
子供の頃可愛がってもらったことや、
長男が生まれた時に大喜びしてくれた事、
(伯母は4人目で男の子を生んでたから・・)
まいこが亡くなった時も、
どうしてやることも出来ないけど・・って、わざわざ電話くれたこと・・

いろんな事を思いだして主人に送ってもらって
お別れをしてきた。


もう一人の伯母夫婦に主人が私の状態を話していてくれたこともあって、
静かにお別れをさせてもらえた。


何度経験してもお通夜や葬儀のあの空気は駄目だ。

まいこを送った後からは、
ご近所さんのお通夜葬儀でさえ夫婦一緒にお参りする。
それはただ、一人でいけないからだ。
主人も気持ちは同じようだ。

誰かが亡くなったと聞くと、、、
気持ちが一気にあの日に引き戻されてしまうのは仕方のない事なのか、、


もう1つ私の大きなトラウマは病院だ。

まいこが運ばれたのは大きな大学病院だった。
命がすでに終わっていたことも知らず、
お母さんがどんなことをしてでも助けてあげるから
待ってて・・・と祈りながら走った病院。

大きな病院の駐車場を走った。
大きな病院の中を走った。

そしてまいこの死を告げられた。

あれから・・
病院にはいけない。
どこの病院でもいけない。

やっと、地元の総合病院にだけは一人でいけるようになったけれど、
今でも他の病院には一人ではいけない。

ご近所さんや身内が入院したと聞いても、一人ではお見舞いにもいけないので、
不義理をしてご自宅の方にお見舞いを届けることが多い。

義父が入院していた時も、数えるほどしか病院には行っていない。

あれから、何度か入院した私だが、救急車の音でパニックを起してしまうほどだ。
病院だから、救急車の音だけは我慢してね、、
何度先生や看護婦さんに言われただろう。

救急車も私のトラウマの1つだ。


伯母のお通夜の時、母が入院していることを知った。
もちろん、聞いたとて、母が入院していても病院には行けない。

あの日、大学病院の救急搬送のロビーで、、
連絡が入れてあった母が到着した時にまいこの死を告げた。


不思議な事に、、
いや、あの場所に一緒にいた母だから
わたしにとって病院という場所が大きなトラウマになってる事をよく理解していて、、
病院には来なくていいからと言った。

外出許可をもらってお通夜にお参りしていた母。
帰る時に、主人がまゆみの調子が悪くてお母さんの面倒も見られないてとあやまってくれたらしい。


心を閉ざして背を向けた娘。
それでも母は、私があの子の面倒を見てやらないといけないのに、
それさえ出来なくて申しわけないと主人にあやまったらしい。

70歳になっても、50に近い娘の心配をしなきゃならぬとは因果なものだ。


大きなトラウマ、

お通夜葬儀、病院、救急車、、、

いつになったら克服出来るんだろう。
コメント (4)
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7月4日

2013-07-04 14:52:24 | Weblog
今日は私の大切な大切なお友達の愛する息子さんの7回目の祥月命日です。
まいこと同じ19歳。
どんな気持ちで今日の日を迎えられたんでしょう。

我が子を亡くした親はみな同じ。
時間がたったからと言って我が子への思いは尽きない。
自分のそばからいなくなってしまったら余計に思うことしか出来なく切ない。





彼とまいこは向日葵が似合う。
元気でいたならば、向日葵が負けてしまうくらい
眩しい若者になっていただろうに・・ね。

7月に入って、仲よくしてるブロ友さんの息子さんが事故にあった日があった。
もうすぐ、その息子さんの祥月命日が来る。
その息子さんの祥月命日が、
私がずっと背中を見続けてる先輩のお譲さんの事故にあった日、、
そして、そのお譲さんの命日もやがてやって来る。

7月10日は・・
私のネットの世界を広げてくれた恩人のような付き合いの古い友達の息子さんの命日だ。


私にとって7月は思いの深い月でもあります。


本来なら・・・
お友達の子供さんの命日などではなく、
お誕生日や記念日を覚えていて祝ってあげられたらどんなの良かったか、、と思います。


*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆


独り言のブログの筆を置いてから
急激にこちらのアクセス数が増えました。
(独り言のブログの方のアクセス数は驚異的な数になっていました)
あちらが更新されないのでこちらをお訪ねくださる人が増えたのかしら・・・

こんな私でも必要としてくださる方があることが有り難いです。
それがわたしにとって支えにもなります。
ありがとうございます。


昨夜、本を読んでいました。
三浦友和さんの『被写体』
そのあとがきの中にこんな文章がありました。

本を書いてみないかと言ってくれた編集者が彼に向って

『物を書くと言うことは固有名詞を出さなくとも必ず誰かを傷つける。
もし書いてくれる気になったら
その時は自分も傷つかなければならない覚悟が必要だ』と言われたと。

彼らの著書とわたしのつたないブログを一緒にしてはいけないけれど、
今回のことは、そう言うことなのかな・・と。
わたしにその覚悟がなかったと言う事かなとふと思った。

批判を甘んじて受け入れる覚悟もなかったし、
私の思いをわたしが好きに綴って何が悪いのだと・・
それは傲慢な思いだったのかな・・とも思うが、
やはり私自身ダメージは大きい。

心に刺さったとげは簡単に抜けないし、
一度背を向けたものに心を開けるのかも自信がないが
どこかで折り合いをつけなければならないのだろう。
私にも、もう少し時間が必要か。



コメント (2)
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