なんなん?
このカマドへの愛着。
なくなると思うともったいような複雑な気持ちです。
なんだかカマドが急に愛しくなってきて
世の中でのカマドの位置ってどのあたりなのか、
グーグルで検索して見たのです。
そしたら
とんでもないサイトを見つけてしまいました。
とんでもない、と言っても人それぞれですから
なーんだそんなこと、かもしれませんが、
何ページにもわたる長い文章なので私もまだ一枚目を読んだところです。
その一枚めにとんでもないと思う出来事が書いてありました。
文章の最初にカマドの役割が書いてありますが、古代においてカマドは神様の住処として
考えられていたというのです。
神様の住処であるカマドを汚すとよくないことが起こる、と言う迷信のような言葉が生まれたのもそういうわけでした。
なんということでしょう。
私はこのカマドのことを一切御構い無しで暮らしてきました。
それにまあ、あまり綺麗にしてきたとは言えないかもしれません。
だってガスコンロの台という認識でしかなかったのです。
ヒェー
もしこの話を知っていたら、良かったのに
今となっては遅すぎます。
神様の住処をおざなりにしたから
ガンになった?のかもしれません。
真剣にそう思っているわけじゃないけどね。
ま、繋がりはどうであれ、
なぜか私はせっかくのカマドを持ちながら
それに対して興味を抱きませんでした。
残念ながらカマドに住む神様の話を私に教えてくれた人はいなかったのよね。
不思議なのは、
どうしてこう言った昔の日本人が信じていた話を
知っている人が少なくなっったのでしょう。
カマドを大切にするのは神様の住処だからだったのです。
神様は自然界の中のどこにでもいました。
そんな自然界の神様と一緒に生きてきたのが私たちの祖先です。
でもそれは百年前に変わってしまいました。
なんとなく謎が解けてきませんか。
近頃悪名高き日本会議の連中が
これが日本と声高に叫ぶ
その日本の姿とは全く別の日本の顔が見えてきたのです。
日本人は自然と神と一体化して生きてきた民族でした。
それが明治の時代になって政治家によって変えらてしまったのです。
政府の思い描く強国日本のイメージに沿って
教育されてきたのが今の日本人。
神様は天皇とその祖先と位置付けられた天照大神。
竈の神や山神、風の神に水の神、八百万の神々を神と呼んではいけなくなってしまいました。
天皇を現人神として父母の元血縁者が家族と呼ばれる、と
そう思い込まされてきましたが、
さっき読んだ文章にはこう書いてありました。
ー私たちは火を焚くこ との可能な独立した建物や部屋のことを「家」と呼び、
一つの火を囲んで一緒に暮らす人 びとのことを「家族」と呼んできた。
カマドやイロリという家の中の火のある場所は、家 自体やあるいはその家の神を象徴する場所でもあったのである。ー
そうなんだ、家族って父母を筆頭にした血縁者の集まりだと思ってきたけれど、
一つの火を囲んで一緒に暮らす人を家族と呼ぶ、
その説明の方がしっくりきて、私好みです。
以前記事にした、
役行者の逸話や存在とその信仰の話も、
学校では一言も教わりませんでした。
日本古来の日本人が信仰して敬ってきた考え方を
現代人はほとんど知らされていないのです。
なんという不幸でしょう。
それ以来百年かけて政府に便利な国民に飼いならされてしまったようです。
もし私が明治以前の日本人のことを知っていて、カマドを大切にしたら
現実が違ったものになっていたかもしれませんね。
カマドのことを調べ始めたら
ますますカマドが気になって本当に壊していいのかと
ちょっと心が揺れています。
どうしましょう。