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美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

藤田嗣治「横たわる裸婦」

2015-10-08 11:59:56 | 日本美術
藤田が名声を上げたのは、第1次世界大戦が終わり、5年ぶりに復活したサロン・ドートンヌの展覧会においてであった。初めて出品した6点の作品が全部入選し、マティス、ボナール、マルケなどと同室に展示されるという華々しさであった。このころ彼はモデルのキキを知り、以後、裸婦を数多く描くようになる。

キキをモデルにした裸体画は、特徴的な乳白色の滑らかな画面により「グラン・フォン・ブラン」(素晴らしい白地)と称えられ、多くの観衆を魅了した。また彼は日本画に用いられる面相筆の細い描線で、独特のフォルムを生み出し、画家仲間を驚嘆させた。

さらに彼は色彩をあまり用いず「ぼかし」の効果ににより、他の画家がまねのできない微妙な陰影の効果をあげ、これらによって西洋の伝統的なモデリング(肉付け)に劣らない優れた芸術的効果をあげた。

このように彼の作品は描線、フォルム、色彩において全く独創的であり、その職人的技巧が、彼の芸術の質をしっかりと支えている。

茨城県近代美術館のこの作品(画像非公開のためリンクできません)は1927年作で、この年41歳になる精力あふれる時期のものである。主題は西洋の伝統を受け継いだもので、ティツィアーノからゴヤ、マネに至るまでの一連の裸婦の系譜に属するもので珍しいものではないが、その女性の肉体は非常に逞しく、あるいはミケランジェスクと言ってよいかもしれない。

ベッドのシーツや背景のカーテンのいささか煩瑣で過剰と思われる蠢くような襞が裸婦を蛹のように閉じ込めており、この作品に独特な味わいを与えている。

藤田の作品におけるこのような<過剰さ>、蠢くようなある種の<不気味さ>は、見逃すことのできない特徴であり、造形面における独創性と技巧性に加え、主題面における彼の芸術の特異さを示している。それは一種の表現主義的な芸術でもあり、20世紀のシュルレアリスムや16世紀のマニエリスムの芸術とも奇妙な親近性を持っている。

この裸体画では、強い幻想性はないが、滑らかな肉体と対比される錯綜する生命体のような有機的な襞が、不思議な世界の予兆を示すものとなっている。
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