美術の学芸ノート

中村彝などの美術を中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術、美術の真贋問題、個人的なつぶやきやメモなどを記します。

中村彝「男の顔」(茨城県近代美術館蔵)

2015-10-10 15:11:46 | 中村彝
画面左下に署名と年記(「大正九年二月」)。
漢字の「彝」という署名はこの作品では「彜」と書かれている。(つまり「糸」の部分が「分」の崩し字となっているが、彼の署名においては、これは特に珍しくはない。)
大正9年5月の聖徳太子千三百年忌記念展覧会に出品。
モデルは画家志望の大工河野輝彦。彼は斎藤与里の書生をしていたが、一時、彝の身の回りの世話をした。後には関東大震災で被害を受けた彝の画室を修理している。

彝自身はこの作品について「あの絵は顔面のプランが少し様式化され過ぎて居るのと、肉色に品位が乏しいのと、バックの色に深みが足りないのと、衣服の描法に生気が乏しいのとが欠点です」と4つの「欠点」を挙げ、「あの獰猛な『習作』」と呼んでいる。

彼はこの種の「習作」をさらに試みたうえ、この年の春にもっと本格的な男の等身像を描きたかったらしい。

しかし、彝自身の厳しい見方にもかかわらず、この作品は彝の全作品の中でも決して出来の悪いものではない。むしろ当時の評に見られるように、この作品は「珍しい出品で力強い確実性に富んだ佳作」であり、「その闊達な筆致と色彩が優れてよい。」

先の評で「獰猛な」と言っているのは、モデルの外見上の特徴を指しているのだろう。また「珍しい出品」とあるのは、このところ彝がいかに作品を発表していなかったかを示している。実際、彼は大正5年の第10回文展に出品(「田中館博士の肖像」と「裸体」)の後は、病状の進行によって、新しい画室で主に描いた作品は「裸体」以外、公的な展覧会には何も出品できなかったのである。

しかしこの間、彼は全く絵筆を持たなかったのではなく、大正6年頃にはアネモネを描いたと思われる「静物」(目録66)、署名のある「苺」(目録71)、セザンヌ風の斜めに走る筆触をもつリンゴを描いた「静物」(目録72)などの優れた小品があるし、大正7年には「鳥籠のある庭の一隅」を描いたり、貴重なシスレー作品の実物模写を行っている。

また大正8年も、意外な収穫期であり、同年6月の年記および漢字で「彜」の署名のある「静物」(目録80)、「静物」(目録81)、年記およびアルファベット署名のある「ダリヤの静物」(目録86)、「雉子の静物」(茨城県近代美術館蔵)等の重要な静物画、肖像画では「洲崎義郎氏の肖像」、「数藤先生の像」、プラド美術館にあるルーベンスの「三美神」の複製画からそのうちの左端の美神を簡略に模写した「裸婦立像」などを描いて裸婦像の研究も行っている。

すなわち「男の顔」が描かれるまでに、彼の画風は、一つの円熟期に向かっていた。彼の代表作「エロシェンコ氏の像」が制作されたのも、この年の9月のことである。

「男の顔」は、まさに「エロシェンコ」に先立つ彝の重要な男性肖像画であり、あらゆる感傷性や理想化を排した素描力と気迫のこもった筆力によって対象を確りと捉えた作品である。

※本文中に「目録」とあるのは日動出版『中村彝画集』(1984)における「中村彝作品目録」を指す。その番号によって作品を指示した。
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