「好雪片片(へんぺん)別所に落ちず」という禅語とスーパーコンピューターのシミュレーションを絡ませた毎日新聞余録を読んだ。
なぜ無秩序に見える咳やくしゃみの飛沫がスパコンでシミュレーションできるのか、素人でもこの禅語を出されると妙に納得してしまうが、定めた初期設定に間違いは起こらなないのかと疑問を持つのはやはり素人なのか?
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池谷和信編『ビーズでたどるホモ・サピエンス史』についての磯田道史氏による書評を読む。実に興味深い内容紹介!
「人類が槍や刃を持ったのは25万年前。ビーズを持ったのは12〜10万年前…5万年前に絵画の生まれ、4・5万年前にビーズが我々に定着した…国家や文字に興味を示さなかった民族は珍しくないが、ビーズには、どの民族も興味を示した。」
「シンボルを共有し、異様に、こだわる」
「ビーズの研究は絶対的に重要である。… 他の道具とは決定的に異なっている。ビーズは無くても死なない…生活必需の実用品ではなく、愛玩物である。ところが…」
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田川建三著『イエスという男』についての島田雅彦の記事を読む。
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「禅宗は清規(しんぎ)に従う。釈尊の定めた戒律に代わる、集団生活の規則だ。労働(農作業) に価値を置く点が通常の仏教と異なる。初期は仏殿や仏像もなく、法堂で師と問答するだけだった。」
橋爪大三郎氏による小川隆著『中国禅宗史』書評より
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昨日、半夏生、半夏雨か。