これに関連してその後、保田龍門宛の彝の書簡(大正7年4月10日)に「ピュールテ」なる語があるのを確かめた(同書、新装版、266頁)ので報告しておく。
「線条と色彩のピュールテと光輝とキャラクターとはその部分的の力にあるのでなく…」
この書簡によって、彝はやはり少なくとも「ピュールテ」というフランス語を遣っていたことが分かる。
つまり、同書の初版及び新装版に「レピュテ」とあるのは、思い当たるフランス語も想定できず、「ピュルテ」の誤植か何らかの間違いである可能性がきわめて高いということがはっきりした。