標記本53ページ「須摩夏暁」の図(画像は『小川芋銭全作品集 挿絵編』から引用)と、添えられた短文において、「須磨」を「須摩」と表記しているが、ここでは以下、須磨と書いて論じる。
さて、この図に添えられている短文とは以下のようなものである。
須磨の曙に
白芥子を描きしは
芭蕉の巧なり
精血彩る虞美人草
色即是空は
芥子坊主なり
芋銭が『笈の小文』を読んでいたことは、その冒頭部分を賛にした他の作品があることにによっても確かなことだ。
しかし、既にこの図において、上記の「須磨の曙」と「芭蕉の巧」という言葉から、彼がこれを描くにあたって、『笈の小文』からインスピレーションを得ていたことが想像される。
そのことを、ここに書いておこう。
まず図を見ると、画面前景右に大きく女性の頭部、左に植物の形象が認められ、中景から遠景にかけて海と島が見える。これは須磨の海と淡路島か。そして水平線の上方には一羽の鳥が飛んでいるという単純な構図。
須磨の夏は、「月見ても物たらはずや須磨の夏」なのだ。
図の中の植物の形象は、上の短文から芥子坊主だろうと察しがつく。
ここで、『笈の小文』の終わりの方を読んでいくと、確かに次のような句が見出せる。
海士の顔先づ見らるるやけしの花
須磨の蜑の矢先に鳴くか郭公
ほととぎす消え行く方や嶋一つ
これらは、いくつかピックアップしたものだが、この図に関連していると思われる句として出した。
ここから、先ず疑問を持たれるのは、絵の人物が、男性でなく女性の頭像ということだろう。
芭蕉の句では海士または蜑だが、これは芋銭が「海士の顔先づ見らるるやけしの花」の句を、海女、または漁師の妻など家族に勝手に置き替えて図にしたものと解せばよいだろう。絵は自由なのだ。
この一句だけで、唐突なまでに大きく描かれた図の前景の骨格が浮かび上がる。
次に「須磨の蜑の矢先に鳴くか郭公」の句から、図の中に飛んでいる鳥が郭公として登場してくる。
なぜ、鳥が「蜑の矢先」に鳴くかは、『笈の小文』に書いてあるから省略する。
そしてその鳥が嶋の彼方に消えていく。「ほととぎす消え行く方や嶋一つ」
以上のように芋銭の「須磨夏暁」の図は、芭蕉のこの三句から、蜑と芥子、時鳥、海、嶋のすべてのモチーフが導き出せる。
だが、芭蕉の芸術に関心のある人なら、芋銭が上の短文で「須磨の曙に白芥子を描きしは」と言っていることに重大な疑念を持つかもしれない。
実際、芭蕉は『笈の小文』の須磨の記述で芥子を詠んでいても、ここでは「白芥子」とは言っていないのだ。
この点について次に考えてみよう。