
2008-1-14
本日午前から、上野不忍池を起点として、谷中七福神巡りをしてきました。とても寒い、空はどんよりと曇って、この冬最低温度の日です。これで雨が降れば間違いなく雪となるね…。
新年の神社を詣でる方々も少なく、ゆっくりと歩きながら待たされることなく、午後3時には、最後の「田端東覚寺」に詣でて無事終わりました。
でも、40年以上文京区本駒込に住んでいながら、「谷中七福神」巡りをしたのは今回初めて。一度でもお参りしたことのある寺は、弁財天と最後の東覚寺だけで、ほかの5個所は初めての訪問でした。とてもゆったりとした、歩く距離としても最適で、来年再度めぐってみようと考えています。
いただいたしおりには、「七 福 神 の お 話」として
江戸時代から、正月に七福神詣でといって、不忍池弁才天・上野護国院の大黒天・谷中天王寺の昆沙門天・谷中長妥寺の寿老人・日暮里修性院の布袋和尚・日暮里青雲寺の恵比須・田端東覚寺の福禄寿の七福神に詣でることが盛んに行われ、別に山の手七福神・向島七福神へ詣でることも行われるようになったとのことです。
天海僧正が、初めて家康公と会見されたとき、公は後に天下を治め給う福徳を具えた吉相をお持ちだと申し上げ、果してその予言はは適中し征夷大将軍の栄職に就かれました。
その後後年、天海僧正は家康公に「公の御生涯は全く長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比須の正直・弁才天の愛敬・毘沙門天の威光、布袋の大量の御徳を表わしたものと云うべきである。」と申し上げ、家康公は大層お悦びになり、早速狩野法眼を召されて七福神の絵を画かれ、これが七福神誕生の起源とのこと。
探幽画の七福神は忽ち評判となり、全国に模写して宣伝され、芽出度い宝船に乗った縁起のよい七福神は世人の最も喜ぶところとなって、絵画は勿論彫刻や陶器に至るまで作られ普及されるようになりました。宝船に一緒に集めたのは私どもの一身の上に七徳が具わることを現したものでありましょぅ。社会の荒波がいかに狂うても、七福の徳を具備すれば愉快に此の世を渡り、目的地に進むこ とが出来るのです。
印度で信仰された大黒天・弁才天・毘沙門天に中国の寿名人、福禄寿や布袋和尚も加わり日本の恵比須神も共に組合わされて七福神として、この七徳は人生に欠くことの出来ない要素であるのでご利益を願うこととあって、七福神がそれぞれお持ちの七福徳を一身に具え、明るい楽しい生活を送りましょう。
とありました。ちなみに谷中七福神とは、以下7か所です
①弁才天(愛敬)上野不忍池
②大黒天(富財)上野護国院
③毘沙門天(威光)谷中天王寺
④寿老人(長寿)谷中長安寺
⑤布袋尊(大量)日暮里修性院
⑥恵比須(正直)日暮里青雲寺
⑦福禄寿(人望)田端東覚寺
本日午前から、上野不忍池を起点として、谷中七福神巡りをしてきました。とても寒い、空はどんよりと曇って、この冬最低温度の日です。これで雨が降れば間違いなく雪となるね…。
新年の神社を詣でる方々も少なく、ゆっくりと歩きながら待たされることなく、午後3時には、最後の「田端東覚寺」に詣でて無事終わりました。
でも、40年以上文京区本駒込に住んでいながら、「谷中七福神」巡りをしたのは今回初めて。一度でもお参りしたことのある寺は、弁財天と最後の東覚寺だけで、ほかの5個所は初めての訪問でした。とてもゆったりとした、歩く距離としても最適で、来年再度めぐってみようと考えています。
いただいたしおりには、「七 福 神 の お 話」として
江戸時代から、正月に七福神詣でといって、不忍池弁才天・上野護国院の大黒天・谷中天王寺の昆沙門天・谷中長妥寺の寿老人・日暮里修性院の布袋和尚・日暮里青雲寺の恵比須・田端東覚寺の福禄寿の七福神に詣でることが盛んに行われ、別に山の手七福神・向島七福神へ詣でることも行われるようになったとのことです。
天海僧正が、初めて家康公と会見されたとき、公は後に天下を治め給う福徳を具えた吉相をお持ちだと申し上げ、果してその予言はは適中し征夷大将軍の栄職に就かれました。
その後後年、天海僧正は家康公に「公の御生涯は全く長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比須の正直・弁才天の愛敬・毘沙門天の威光、布袋の大量の御徳を表わしたものと云うべきである。」と申し上げ、家康公は大層お悦びになり、早速狩野法眼を召されて七福神の絵を画かれ、これが七福神誕生の起源とのこと。
探幽画の七福神は忽ち評判となり、全国に模写して宣伝され、芽出度い宝船に乗った縁起のよい七福神は世人の最も喜ぶところとなって、絵画は勿論彫刻や陶器に至るまで作られ普及されるようになりました。宝船に一緒に集めたのは私どもの一身の上に七徳が具わることを現したものでありましょぅ。社会の荒波がいかに狂うても、七福の徳を具備すれば愉快に此の世を渡り、目的地に進むこ とが出来るのです。
印度で信仰された大黒天・弁才天・毘沙門天に中国の寿名人、福禄寿や布袋和尚も加わり日本の恵比須神も共に組合わされて七福神として、この七徳は人生に欠くことの出来ない要素であるのでご利益を願うこととあって、七福神がそれぞれお持ちの七福徳を一身に具え、明るい楽しい生活を送りましょう。
とありました。ちなみに谷中七福神とは、以下7か所です
①弁才天(愛敬)上野不忍池
②大黒天(富財)上野護国院
③毘沙門天(威光)谷中天王寺
④寿老人(長寿)谷中長安寺
⑤布袋尊(大量)日暮里修性院
⑥恵比須(正直)日暮里青雲寺
⑦福禄寿(人望)田端東覚寺
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