小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

三日月につれられて

2009-02-10 | 犬&猫との暮らし

 山口県在住の、カヤックビルダーであり著述家の洲澤育範さんが寄稿してくれたエッセイをご紹介します。

「三日月につれられて」

 年末の三日月の夜、家族が揃うのを待ってポンタは死んだ。14年生きたハスキーの雑種男犬だ。

 昨年の夏あたりから、急に老けてきた。散歩につれて行っても、悪い右後ろ足を引きずるし、秋には耳もずいぶんと遠くなってきた。食欲はあるのでと安心していたが、師走の声を聞いたころから、食べるには食べるのだが、ほとんど栄養を吸収しないようで、首輪の留め金の位置はどんどんと小さくなった。
 女房は野菜や肉を細かくきざんでとろとろに煮て食べさせていた。ぼくは下の世話で、洗ってやったり、消毒してやったりしていた。
 だんだんと、横になって虚ろに過ごすことも多くなったが、それでも鎖を外すと散歩に行こうとする。右後ろ足を引きずり引きずりふらりふらりと歩く。疲れて歩けなくなると、悪い足をぷるぷるとふるわせ立ち止まり、ゆらゆらと倒れる。抱えて家まで連れて帰る。寒さが厳しいので家のなかへ入れてやりたかったが、おもいだしたように歩き回るのでそうもいかなかった。

 そのうち、好物の豚足を煮ても食べなくなった。
 いよいよ自分で小屋にも入れなくなり、外に敷物を敷き、毛布を掛て過ごさせた。僕は医者には連れて行かなかった。

 ここで暮らしはじめて20年、2匹の犬を亡くした。
 1匹目は急に容態が悪くなり、医者に連れて行った。死に目には会えなかった。2匹目も急に容態が悪くなり、カヤックの上で訃報を聞いた。
 いずれも死因は毒物を食べてか、ヘビかハチに噛まれたのではないかとの診断だった。後々その死因はわかったが、どうやらダニによる腎不全らしかった。
 この2匹の経験から、病気や怪我ならいたしかたないが、年老いて死ぬぶんには、医者には連れて行かぬと決心していた。
 そりゃ、医者に連れて行けばなんらかの延命処置はとってくれるかもしれないが、人工呼吸器や点滴の管につながれて、味気ない空間に横たわり、命を長らえる姿はたえがたく、ポンタが死を迎えるときは、ぼくが看取る覚悟をしていた。
 医者に不信感をもっているわけではないが、人間勝手な思いかもしれないが、ぼくは人工呼吸器や点滴よりも、ぼくの掌(たなごごろ)をポンタに施し、生と死の間際をともにすごそうと決めていた。

 クリスマス過ぎには、自分で水も飲めなくなった。注水器で口に水や流動食を流し込んでやると体を起こそうとする。
「もうええ、もうええ、もう起きんでええが…」
 そのたびに、僕も女房も涙があふれでた。
 生と死が行き来しているのが、はっきりとわかる。
「もうええ、もうええが、もう動かんでええが…」
 僕も女房もポンタのそばで日がな涙を流し、世話をした。

 とうとう立ち上がれなくなったので、家の中の火のそばに寝かせてやった。ときどき、苦しそうに体を動かし、呼吸も荒くなる。掌を施すと、すやすやと息をする。生と死が行き来している。
 だんだんと、荒い息と静かな息とが入れ替わる間隔も短くなってきた。生と死が行き来している。彼岸と此岸を行き来している。
 もう、ぼくも女房も涙がとまらない。ぼくはポンタのそばに寝袋を敷いた。一晩でも二晩でも三晩でも、役にたたないかもしれない掌でポンタの体をさすり、なで続けるつもりだった。

 涙も鼻水もとまらない。嗚咽で背中のふるえるもとまらない。
 「もうええが、もうええが、もうお往き…」
 苦しそうに息をして、体を動かす。なでてやる。さすってやる。
 首輪は死んでから外すつもりでいたが、
 「もうええが、もうええが、もうお往き…」
 ぼくは首輪を外し彼を抱きかかえた。
 「もうええが…、もうええが…、もうお往き…」
 ポンタは大きくひとつ息をして、小さくひとつ息をして、ぼくの腕のなかで頭を垂れた。
 「ポンタ! ポンタ! ポンタ!」
 ゆすっても、名前を呼んでも、二度とポンタの頭は上がらなかった。
 小さく体が痙攣し、大きく体が痙攣した。ぼくの右足はポンタの尿と糞でびしょぬれになった。ポンタとは、はじめから終わりまで、尿と糞とゲロにまみれた付き合いだった。

 しばらく亡骸のそばで女房とふたり、われを忘れていたが、ぼくはまだポンタの気配を感じていた。
 「まだ、ポンタはここにおる。散歩につれて行けといいよる。遊んでくれといいよる」「ポンタはあんたが好きやったけ…」。
 ぼくは亡骸の横に敷いた寝袋にもぐり込んだ。尿と糞の饐えた、生臭いにおいのなかで「ポンタ! お前は死んだんじゃけ、あの世へお往き。泳ぎは覚えちょろうが、三途の川は渡れよう。いずれまた会ういや…」。それでもポンタの気配はぼくの枕元を飛び跳ねていた。
 
 心臓の鼓動はとまり、脈は波うつのをやめ、肉体が骸になっても、まだ生と死は行き来するのだな、生と死の境目はあやふやに、複雑に入り組んでいるのだな、と考えた。
 知らず知らずに、ぼくは手の指をからませ胸の前で組んでいた。指を曲げているうちは、右の手と左の手は離れようとしない。指を伸ばすと、右の手と左の手はするりと離れる。離れた右手には左手の感触が、左手には右手の感触が残っている。

 左手は肉体、右手は魂。
 その双方がなんらかの意志をもち指をからませている様が生。
 双方の意志がとぎれようとしたときが「いまわの時」、臨終。
 そして、からませた指が離れた様が死。

 生と死はこんなふうに結びつき、それが離れる間際はこんなふうなのかもしれない。
 また、生と死、体と魂は、別々の存在ではなく、両手のように一対の存在で、もとをたどればひとつの存在、そんなことを考え、両の手の指を見つめているうちに眠った。

 早朝、目がさめると、もうポンタの気配はなかった。三日月につれられて新しい生に辿りついたのだろう。

 女房とぼくはポンタの体を洗い、拭き、毛並みを整えた。子どもたち三人は、墓穴を掘った。墓穴は栗の木の横、グレートデンのタンタンの墓のそば、そしてポンタが好きだった女犬・クゥーの小屋のそばに掘った。

 ぼくたち家族は、ただ、泣いた。
 ぼくたち家族は、ポンタに、老いを生きる直向き(ひたむき)さを教えてもらった。
 ぼくはポンタの右足に、ぼくの右足の行く末を重ねていた。

 そしてわが家にはまたひとつ、主のいなくなった首輪が増えた。

コメント
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