中国・炭鉱ガス爆発で44人死亡というニュースが飛び込んできたので、「もしや太原では?」とふと思い、詳細を読んだところ、やはり太原市古交にある屯蘭炭鉱という炭鉱での事故でした。
太原市は山西省の省都が置かれている町で、かつて太原市内にある山西大学に留学したことがある私は、留学中に中国人学生から聞いた「母は一酸化炭素中毒で死にました」という言葉を思い出したのでした。
太原市近郊には炭鉱や石炭工場が点在しており、彼女のお母さんは石炭工場で死んだというのです。大変な事件だと思って聞いていた私に、彼女は「一酸化炭素中毒で死ぬ労働者はけっこういます」などとさらりと言うので、ひどく驚いた覚えがあります。
炭鉱爆発の事故で亡くなった人々の遺族にどれほどの手当が支給されるのか。
北京では病院にかかるだけでも、その整理券を入手するのに徹夜して並び、またダフ屋のような商売人も存在するといいます。
そういえば、私も留学中、市内の大きな病院にかかるのに、日本煙草1カートンを用意するように言われたことがありました。そうしないといつ診てもらえるかわからないよと。病気やけがの治療の権利さえ、お金や地位で買わなくてはならないのは、昔も今も変わらないのね。
まあ、最近は日本でもおちおち病気やけがはできませんが。救急車を呼んでも受け入れ病院がなくて待たされるのでは「救急」車の意味がないしネ。
都市部の発展によって富を手にしているのは一部の人々で、農村部の暮らしは私が目にした当時とあまり変わっていないのかもしれません。
でごぼこの激しい土埃の舞う道を、ロバに牽かせた荷車に石炭を満載して往来する人々の黒くすすけた顔を思い出しました。