三陸鉄道リアス線沿線を歩く旅 その1
相変わらず新型コロナウィルス感染(covid-19)は猛威を振るっている。
東京では新規感染者数が減少傾向だが地方での感染者数は減っているとは言えない状況だ。
わが岩手県も県独自の緊急事態宣言を出したままである。
県をまたぐ形での旅行の自粛を求められているのだ。
買い物を兼ねたウォーキングは週に1-2回のペースでしているのだが同じコースを歩くので面白みがない。
どこか歩き旅によいところはないだろうか。
三陸鉄道リアス線の宮古駅から釜石駅まで歩いてみたいなあ。
海も見たいし。
今年の夏も暑かった、猛暑日が続いたのだがとうとう海へは行かなかった。
9月に入って涼しくなってきたし、、出かけてみようか。
2021年9月7日(火曜日) 晴れ
宮古駅―> 磯鶏駅 営業キロ 2.0Km
朝5時に起きて車で宮古市へと向かう。
思いのほか寒い、今朝はこの秋一番の冷え込みで最低気温は11度だった。
盛岡市から宮古市への国道106号線は工事が終わり今年(2021年)3月に全線開通した。
この新しくなった国道を走るのは今日が初めてだ。
走ってみての印象は『全線トンネル』じゃないか! (かなりオーバー)なのだが実に快適である。
あの山越えの急カーブの連続が噓のように思える。
山裾をくねくねと曲がりながら大型車が来るとすれ違いのため止まって待たなければならなかった30年以上も昔の106号線を知っているものとしては感動ものである。
トンネルだらけで情緒が無いけれど、この快適さには代えられないのだった。
この新106号線になって盛岡市から宮古市までの移動時間は30分も短縮されたのだ。
特に冬季期間の移動は大幅にラクになるだろう、冬の区界峠越えはドライバーにとっては恐怖だったからなあ。
途中「道の駅かわい」で自宅から持ってきたパンと缶コーヒーで朝食にする。
宮古駅前の駐車場に車を停めて駅まで行くとちょうど午前8時だった。
通学の高校生の姿が目立つ。
マンホールの蓋には「はまぎく」の絵。
「はまぎく」は宮古市の花に指定されているのだ。
港町だから駅前には飲み屋が連なっている。
コロナ騒ぎがなければ夜は賑わうのだろうが、いまはどうなんだろうか。
こんどは別のデザインのマンホールの蓋があった。
「南部鼻曲がり鮭」が描いてある。
線路沿いに歩いて宮古橋を渡る。
右手に鉄橋が見えている。
わたしは東日本大震災後の2011年4月21日に宮古市から釜石市ま車で走ったことがある。
そのとき撮影した写真。
あの鉄橋は津波で落ちていたのだった。
町の中もこのような惨状であった。
橋を渡り終えるとごみ置き場に「義経北行きコース」の案内があったのだが、、
文字がかすれてしまっていて、ごみ置き場の看板に間違えられそうである。
源義経も「ずいぶん遠くへ来たもんだ」と思っているだろうな。
歩道橋の柱には「東日本大震災、津波浸水ここまで」の表示があった。
住宅の一階部分は完全に水没したのだとわかる。
次回の総裁選に不出馬を表明した菅総理のポスターがあった。
菅さんは残念な総理大臣だったなあ。
ある週刊誌で「菅総理のしたことはスマホ料金の値下げだけ。」という記事があったっけな。
あの生気のない目、原稿を棒読みするだけでさっぱり伝わらない話し方、質問には答えずすぐにキレるなど政治家としては失格だった。
安部前総理の路線を踏襲するというのもマズかったと思う。
自分の意見、方針というのがなかったのだろう、コロナ感染者の増加で右往左往してしまった感は否めない。
そのくせ感染者が増加している中オリンピックを強行するなど強情な面でマイナス評価になってしまった。
それにしても、、、以前にも書いたのだが野党の存在感の無さはどうだろう。
野党の連中は本気で政権を担おうという気が無いのではないかと思うのだ。
シャドーキャビネットを作り野党が連携し政策を打ち出していかなければならないのに全くやる気なしのようだし。
「与党になるといろいろマスコミや国民から叩かれるしね、このまま国会議員としてラクに暮らしたほうがいいや」なんて考えていやしないか!
と、つい野党を応援するつもりが怒鳴りつけたくなるのだった。
今日の天気予報は晴れなのだが、まだこの時間は曇り空で冷たい風が吹いている。
パーカーを脱ぐと寒いが着ると汗ばむという中途半端な天候だ。
少し行くと「幕軍無名戦士の墓」というのがあった。
幕末の戦いではここ宮古湾も戦場になったのだ。
なんと首の無い幕軍兵士の遺体が流れ着いたのだという。
磯鶏駅に到着。