東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR花輪線沿線歩き旅 陸中大里駅ー>鹿角花輪駅

2017年04月25日 | JR花輪線 歩き旅
陸中大里駅ー>鹿角花輪駅 約3.9Km 2017年4月16日(日曜日)

晴れたと思えば急に曇って猛烈な風が吹いてくる。
前方からの風にあらがうように身体を前に傾けながら歩く。

東北高速道鹿角八幡平への接続道路わきにはまだ雪の塊が残っていた。



その隣に有名な花輪ばやしの案内看板があった。いちど見たいとおもいながらまだ機会がない。



もうすぐ道の駅だ。



ふと電柱を見るとスキージャンプをしているイラストがある。



鹿角市はジャンプ競技がさかんなのかしら。

「高校入口」のバス停。



うーむ、鹿角市には高校はひとつだけなんだろうなあ。

ホームセンターの駐車場にもまだ雪が残っていた。



”道の駅あんとらあ”に到着だ。



ここはわたしが車で弘前方面に行くときは必ず立ち寄るところである。
「あんとらあ」という名称はいままで気にしたことがなかったのだがインターネットで調べてみると「鹿の角」の英語をひらがなにしたものだそうだ。

中庭のところでなにやら人の動きがあるので行ってみると、花輪ばやしの屋台を組み立てているところだった。



夏祭りの時期には早すぎるので桜まつりとかのイベント用なのだろう。





組み立てている男たちは楽しそうである、やはり祭りというのは嬉しいものなのだな。

舞台の照明がLED電球になっているのは時代の流れだろうが、祭りの情緒を壊さないようにしてもらいたいものだ。



青森のねぶた祭りなどでもそうだが山車の中にたくさんの電球や蛍光ランプを入れている。

バッテリーだけでは電力が足りないらしくて発電機のド、ド、ド、ド・・という音が聞こえてくるのだ。あの音が雰囲気を台無しにしてしまうのだ。
町の中はコンビニや商店の照明、街灯の照明もあって明るいので対抗上山車の照明も明るくしなければならないというのは理解できるんだけどねえ。
せめて神社の周りだけでもよいから人工の照明を消して、松明やロウソクなどの灯りでお祭りをしたらよいんじゃないかと思っている。

ここには無料の貸自転車もあるので町中の散策が楽しめるのだ。





道の駅のすぐそばにある桜もうっすらとピンク色になっていた。



北国の春はすぐそこまで来ている。









線路沿いの道を進んで花輪鹿角駅前まで来た。





静かな駅前の通り。



駅前には観光案内所があって、ここでも無料で自転車が借りられるようになっていた。



駅前にあるモニュメント? SLの動輪と故障中の時計そして「声良鶏」の像である。



時刻は12時10分前だ、ここまで休憩をせずに4時間歩き続けた。



お腹もすいているので駅そばを食べることにする。
たぬきそば350円なり。



味のほうはというとソバは柔らかすぎだったしツユもわたしの好みではなかった、残念。

待合室の壁にSLの写真が飾ってあった。
花輪線の竜が森駅(現:安比高原駅)付近で撮影したものだ。



本州最後のSLの三重連がカメラマンに人気だったのだ。

わたしもSLが見納めになる前に写真を撮りに行ったものだ。






上の写真2枚は1971年撮影のものである、今の機関車ならすいすい登っていくような勾配だが当時のSLはあえぐように煙を吐いて登ってきたものだった。



つづく。
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JR花輪線沿線歩き旅 八幡平駅ー>陸中大里駅

2017年04月24日 | JR花輪線 歩き旅
八幡平駅ー>陸中大里駅 約2.1Km 2017年4月16日(日曜日)

だれもいない駅を背に歩き出す。
この区間はさほど人家の多いところでないのに駅間距離が短い。

駅から駅へと歩いていくのをわたしは「沿線を歩く」とタイトルをつけているが「駅から駅のつたい歩き」という表現をしている方もいる。
こんなことをしているのはわたしだけでは無かったと知って一安心(笑)

駅などで「撮り鉄」の方を見かけることがある。
無人駅でも乗客はいないのにカメラを構えた「撮り鉄」の方を見ることもある。
ただ、残念なのは彼らが”自家用車”で駅まで来ているということだ。
写真を撮ったらさっさと車で次の駅へと向かうというのでは鉄道会社の収入にはならないわけで、できることなら鉄道を乗り継ぐなどして来てもらいたい。
そして宿泊や観光、食事などでお金を使ってもらえれば地方の活性化にもなるというものだ。
といいながらわたしも途中駅までは車を使っているし昼食は特価処分品の弁当ばかりという状況で、とても活性化のお役に立っているとは言えない、反省せねば。

さて、、
駅前に「大日霊貴神社はすぐそこ」の看板があったので立ち寄ってみることにする。



神社の由緒には継体天皇17年に建立されたとあった。
ほう、1500年も経っているのか。これはすごい。





1300年前に再建され、それから大日堂舞楽が伝承されているのだそうだ。





それにしても大日霊貴神社と書いて「おおひるめむちじんじゃ」と読むとは、ふりがながなかったら読めなかったな。



内部はかなり広い。思わず高い天井を見上げてしまう。



なかに入るとなぜか気が引き締まるように感じる。



秋田は日本海の海路があって京都との距離が近いのだ。
それでこのような人家の多くないところにも古代から都の文化が伝わってきたのだろう。

なんとなく岩手県に比べると神社の数は秋田県のほうが多いように思える。

神社をあとにして進む。



陸中大里駅に到着だ。









小さな待合室があるだけのさみしい駅であった。



つづく。
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JR花輪線沿線歩き旅 2017年4月16日

2017年04月23日 | JR花輪線 歩き旅
湯瀬温泉駅ー>八幡平駅 約4.5Km 2017年4月16日(日曜日)

駅の写真を撮ってから先へと進む。



駅すぐ近くの踏切の表示にはSLが描かれていた、まだ新しい標識なのだがなぜSLを描いたのかなあ。





好摩駅から60Km地点。



道の両側は急峻な山がそびえていてその間を米代川が流れており、川に沿って線路と国道が通っている、上を見上げれば東北道の陸橋である。





東北道を車で通るとこの辺りはトンネルと橋の連続である。

と、橋の上になにやら動物のようなものが見えた。



近づいてみるとタヌキだった。

はて?なぜ橋の上で。ちょっとした不思議である。
野生動物の交通事故は歩いているとときどき目にするが、橋の真ん中でタヌキが倒れているのは見たことがない。
まだ時間がたっていないのだろう、つやつやとした毛並みが風に揺れている。
車に轢かれたののならそれらしい跡があるだろうと思うが、周りに血やブレーキの跡も無くてまるでここで寝ているかのように見える。
可哀そうだなと思う。どんな生き物だって不慮の死はイヤだろうに。

少し行くと湯瀬渓谷の案内板があった。



ここに車を止めて河原へと降りて行けるようだが「熊とハチに注意」と書いてある。



しかもスズメバチと書いてあるのが恐い。
わたしの知り合いでスズメバチに刺されて危うく命を落としそうになった人がいるのだ。

この坂を下って鹿角市八幡平へと入って行く。



岩手県に八幡平市というのがある。町村合併の時に市の名前を八幡平市と名付けようとしたところ、こちら秋田県の八幡平からクレームが入ったことがあったけなあ。

左手にレンガ造りの建物が見えてきた。



三菱マテリアル碇発電所である。
いつもは車からチラと見るだけだが今日は建物の近くで見れる。





なんと明治40年の運転開始なんだそうだ、すでに110年が経過している。もっとも発電機は最新型に変えられているそうだが。



水力発電はじつにエコである、原子力発電所は耐用年数はたった40年だそうだ。
まんいちの事故のリスクも考えるとむりやり原発にしなくてもよいのでは?と考えるのだが、このような水力発電だけでは日本の産業の電力をまかないきれないということだろうなあ。

わたしの育った田舎町にもこのようなごく小規模の発電所があった。
わたしが小学生だったころは「電休日」というのがあった。
記憶では毎週金曜日が「電気が休みの日」だったはずだ。
金曜日は電気が来ないのでランプの灯りで暮らすことになる、ランプのホヤ(ガラスの部分)は煤で汚れるからその掃除をするのがわたしの仕事であった。
このような体験をしている人はほとんどいないだろうなあ。

レンガの建物は趣があってじつによいものだ、大震災にも耐えたのだからこれからも頑張ってもらいたいものである。

発電所の向かいに八幡平橋がある。





なぜか唐突に赤い欄干と擬宝珠という・・いったいなぜなのか?



どうやらここが湯瀬渓谷への入り口ということらしい、それで雰囲気を出すためにこのようなデザインにしたものだろう。
たしかにここから見る秋の紅葉はすばらしいのだ。

だがわたしが好きなのはこの橋のすぐ近くのこの石積みである。



最近はコンクリートブロックで固めた風情のないのが多いが、ここは石の大きさが揃っていて美しいのだった。

目まぐるしく変わる天気のなか先を急ぐ。

鳥居があった「お、ステンレス製の鳥居か」と近くでみると鉄骨に銀色の塗装をしたものである。
丈夫そうでよいが情緒という面ではイマイチかな。



ニワトリの絵が描いてあるマンホールの蓋を発見。



鹿角市はニワトリが名物なんだろうか。
帰宅後インターネットで見ると「声良鶏」といって国の天然記念物なんだそうだ。

日曜日ということもあるのか人気のない町中へと入って行く。





八幡平駅に到着だ、時刻は10時5分。ここまで2時間歩いた。







こじんまりとした駅舎である、あまりにこじんまりしすぎてトイレと間違えてしまいそうだ。



この駅も向こう側のプラットホームは使われていない、というより線路が撤去されているのだった。







待合室にはベンチがなくてその代わりに縁台のようなものがある、寝そべって列車を待つにはよさそうだが、はて使い勝手はどうなのか。





つづく。


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JR花輪線沿線を歩く旅 兄畑駅ー>湯瀬温泉駅

2017年04月22日 | JR花輪線 歩き旅
鼠経ヘルニアの手術から1か月半が経過した。
普段の生活で痛みを感じることは無くなったが、なにかのひょうしに軽くズキッとくることがある。
数年前から続いている手指の痛みは肘と肩にも移動してきていて、これまた普段の生活に大きな支障が無い程度に痛む。
なにかを持った時に痛みで落としそうになることが増えてきたし、寝ているときにズキズキと痛むのはつらい。
まあ、それ以外は問題く生活できている。

北東北もやっと春らしさを感じるようになってきた。
関東地方では桜が満開とのニュースを見るが、こちらでは5月の連休時期が花見シーズンとなるのではと思う。


暖かくなるとあちこち歩き回りたくなる。
週に2、3度は買い物を兼ねたりしながら2、3時間歩いていたのだが、同じコースを歩くだけというのはつまらない。

昨秋はJR花輪線を好摩駅から兄畑駅まで歩いたで、その続きに挑戦したい。



兄畑駅ー>湯瀬温泉駅 約4.2Km 2017年4月16日(日曜日)

天気予報を見ながら日にちを決めようとするのだが、インターネットの天気予報とNHKの天気予報でまったく違う予報になることもあって決めかねていた。

きょう4月16日はおおむね晴れだが場所によっては風雨があるかもしれないという予報だ。
念のため雨具と着替えを持って出かけることにする。

兄畑駅への途中、安比高原付近には道路わきにまだ雪が残っていた。



午前8時に兄畑駅に到着。駅前に車を停めて歩き出す。



すこし歩いて橋を渡ると「氣比風穴」の案内があった。





氣比と書いて「きのした」と読むのだそうだ。人名、地名は読めないのが多いなあ。

「まんず、ねまるべ」というのは「まあ、おすわりなさい(お休みください)」という意味の方言である。

そこを過ぎると秋田県だ。





北に向かって右が花輪線の線路だ、すぐ左は米代川が流れていてその向こう側は高速道路である。
その米代川につり橋が架かっている。



車は通れない幅だが、なかなか立派な橋なので歩いて渡ってみたのだが対岸に道はなかった。



対岸にある高速道路の保守などに使用するための橋なのではないかと思う。





天気予報の通りに今日の天気はまったく安定しない。
晴れたかと思えばも強い風が吹き付けてくる、雨が降り出しそうな雲がでてきたと思えば青空が出てくるといった状態で、めまぐるしく天気が変わるのだった。

スノーシェルターをくぐっていくとネコヤナギがあった。





風に揺れて「まだ、寒いよ~」と言っているようだ。


列車の音が聞こえてきたのでカメラを構えて待つ。






鉄道防雪林の標識があった。ここは雪深い土地なのだ。




米代川の向こうに旧国道282号線が見える、



昔はあの道を通って弘前方面へと行ったものだ、大型車のすれ違いがやっとという細い道路だった。


湯瀬温泉郷がもうすぐそこだ。





駅の南側の踏切から駅を見ると、今は使っていないプラットホームに桜の並木が見える。





桜の時期はさぞかし美しいだろう。

湯瀬温泉駅に到着だ、ここまで1時間かかった。





駅看板は趣があってよろしい。






つづく
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JR花輪線沿線を歩く旅 その8

2016年10月12日 | JR花輪線 歩き旅
2016年10月2日(日曜日)

田山駅ー>兄畑駅 歩いた距離約6.6Km


今年は岩手国体開催の年である。
ここ八幡平市でもテニス、ゴルフなどの競技が行われている。
田山ではライフル射撃の競技が行われていて会場へ向かう車が多数みられた。

田山駅の待合室で10分ほど休んでから歩き出す。

”(株)田山製甲所”という工場があった。



はて製甲とはなんだろう? 帰宅して調べてみると靴の上部分つまり靴の甲の部分を作っているのだそうだ。
革靴はパーツごとに別々な工場が製造しているんだそうだ。

田山の町を過ぎるとまわりは山しかない。



国道だから交通量はそれなりにあるが実に辺鄙なところである。



ところどころで線路と高速道路そして国道が交差したりする。

54キロのキロポストがあった。





やっと人家の見えるところまできた、兄畑地区へ入ったようだ。



兄畑駅前の民家の壁に結婚相談所の看板があった。



「出嫁」と書いてある。聞きなれない言葉だなあ。
帰宅してから出嫁という言葉をGoogleで検索してみると、中国語で嫁に行くこととある。
ネットのWebloo辞書でも中国語としての意味しか出てこない。
日本語ではないのか?
わたしは岩手県で生まれ育ったのだが嫁に行くことを出嫁というとは聞いたことがない。
ここ秋田県では出嫁というのだろうか、それとも業者さんは中国語に堪能な方なのだろうか。

兄畑駅に到着だ。



先ほどの田山駅と同じつくりの駅である。
屋根の勾配が急なのは雪の多い地方だからなのだろう。



さて、できれば次の湯瀬温泉駅まで歩きたいのだが、、、と時刻表を見る。



現在時刻は午後1時40分だ。
湯瀬温泉駅までの距離は4キロとちょっと1時間とちょっとで歩ける距離ではあるが、ここまで4時間半ほど歩いているので疲れてしまっている。
湯瀬温泉駅からの上り列車は午後2時40分発だ。それに乗り遅れると次は午後4時51分発になってしまう。
なんと3時間近くも待つことになるのだ。
10月なので午後5時ともなると薄暗くなるし冷えてくる。
きょうはこの駅までにしよう、無理をしないことだ。



ああ、もう30分早起きして自宅を出れば間に合ったのにと寝坊な自分を恨む。

それでも午後2時40分発の上り列車までここで1時間以上も待たなければならない。
「田舎はのんびりしてていいねえ」と言いたいところだがやはり不便だなあと思う。ここにはバスの便もないのだ、自家用車か鉄道のどちらかになる。

喉が渇いた。持ってきたお茶を田山駅で飲んでしまったのだった。
どこかに自動販売機があるだろうと考えていたのだが、さすがに民家のまったくないところには自動販売機も無かったのだ。

都会でなくとも駅前には自動販売機があるのが一般的だ。
だがこの駅には無かった。100メートルほど離れた国道沿いまで歩いてペットボトルの水を買いゴクゴクと一気に飲んでしまう。



やっと上り列車がやってきた。乗降客はわたしだけ。



車内で車掌さんから切符を購入。



途中の田山駅から国体の関係者と思われる人が乗り込んできた。

横間駅で降りて車で湯瀬温泉に向かう。
歩いて行き、鉄道で戻ってきて、さらにもう一度車で行くという実に無駄なことをしている。趣味でなければこんなことはしないだろうなあ。

湯瀬温泉には”湯瀬ふれあいセンター”という温泉施設がある。



ここで汗を流して着替えてさっぱりしてから帰宅しようというわけである。
受付でお金を払おうとすると「60歳以上ですか?」と聞かれた。
「はい」と答えると「では100円です」

なんと60歳以上だと100円で入浴できるのだという。

中には湯瀬温泉の歴史を紹介する展示もある。



施設はやや古さがあるものの豊富なお湯がザブザブ音を立てて流れていて、快適そのものの温泉だった。
さらにポスターを見ると高齢者にはバスの割引があるし、はり・きゅう・マッサージが1000円で受けられる割引制度もあるのだった。





ここ鹿角市はお年寄りに優しい街なのであった。



初秋の美しい夕焼け空を見ながらの帰宅となった。


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JR花輪線沿線を歩く旅 その7

2016年10月11日 | JR花輪線 歩き旅
JR花輪線沿線を歩く旅 続き

手の炎症はだんだん悪くなってきている。
どうやら医者の選択を間違えたようだ。
1年以上も同じ医者に診てもらっていて症状が全く改善しなかったのだ、やはり手の専門医に診てもらうのがよいだろう。
お隣の青森県の弘前市には手の外科クリニックはあるが岩手県には手の外科専門クリニックは無い。
だがインターネットで調べてみると盛岡市に手の外科学会会員の医師がいるではないか。

しかも私が19歳の時に盲腸の手術を受けた病院である。
さっそく病院へ行き診察をしてもらう。

まず看護婦さんによる聞き取りがあった。
今までの病歴や現在受けている治療、薬などについて聞かれた。
薬の記録である”お薬手帳”を見て看護婦が「え、この薬を2年も飲み続けているの!」と驚いている。
私は処方されたステロイド剤をずっと飲み続けていたのだ。
危険な量ではないだろうが飲み続けてはいけない薬だったようだ。

さらに医師も「これだけ検査して薬も飲んで症状が改善しないのなら手術しかないでしょう」と結論が早い。
ばね指は手術すれば治ることは自分自身で体験しているから、私も「手術してください」と答える。
「じゃあ、手術しましょう。明日は都合どうですか」
わたしは迷うことなく「そうして下さい」と返事をした。

という訳であっさりと手術決定。

日帰りの手術だったが、手の甲をLの字型に切ったので6針も縫った。



やはり加齢によるものだろう手術からの回復はさほど思わしくなかった。
それでも2週間ほどすると腫れも引いてきて痛みもすくなくなった。


手が治ったら花輪線沿線を歩く旅を再開したいと思っていた。
10月に入ると北東北の季節は冬に向かって加速していく。
朝夕はフリースのジャケットが必要になってくるほどである。


2016年10月2日(日曜日)

横間駅ー>田山駅 歩いた距離約13.7Km

早起きするつもりだったのに寝過ごしてしまった。

パンとジュースを持って車で横間駅まで向かう。
天候は気持ちの良い快晴で予想最高気温は21度ほどである。



横間駅に着いたのは午前9時ちょうどだった。



駅前(と言っても山の中にポツンとあるプラットホームだけの駅で回りに人家などない)に車を停めてさっそく歩きだす。

この駅から国道へ出るには2キロメートルほど逆行しなければならないが、わたしは駅から駅までを歩くことにこだわっているのだ。

国道282号線へ出て北へと歩く。
ここは貝梨峠がある山道である。鉄道はトンネルで山をくぐるが道路は山を越えるのだ。

熊油販売の看板があった。



熊の油は火傷や肌荒れなどに効くのだそうだ。
岩手、秋田はマタギと呼ばれる猟師がいる。
わたしの実家の隣が漁師から毛皮を買いなめす仕事をしていたっけなぁと、60年以上も昔のことを思い出す。

このあたりは地区名をこのような看板で表している。風情があって好きだな。



少し歩くと「学校の宿、希望の丘」という看板があった。



廃校になった小学校を宿泊施設にしたものだという。
わたしは学校嫌いだったので学校に泊まりたいとは思わない。
それにしても食事のメニューが給食そのままの雰囲気だ。



大人の給食が880円とは少々お高いような気がするなあ、これでビール1本付いてくるなら良いんだが。
給食にビールがついたら楽しいだろうな、とアホなことを考えてしまった。

ぽつぽつと農家がある道を黙々と歩く。



国道なのに思いのほか交通量が少ない、日曜日だからだろうか。







人家が途切れるあたりにポツンとあった庚申塚。周りには栗がたくさん落ちていた。



途中で見かけた観光案内板は汚れて字が読めなくなっていた。



ここが貝梨峠の最高地点になる。標高430メートルだそうだ。





分水嶺公園というのがあってトイレも整備されていて休憩出来るようになっている。



東屋のベンチに腰掛けて10分ほど休憩する。
坂道を登ってきたので汗びっしょりだが、ひんやりとした風が心地よい。

休憩を終えたら歩き出す。ここからはずーっと下り坂だから歩く速度もスピードアップ。



すぐ隣に東北道高速道路がある。線路は左手の山のトンネルを通っているのだ。

畑や農家があるところまで行くと花輪線と交差する地点に差し掛かる。



道路から藁ぶき屋根の農家が見えた。



屋根の一部は朽ち果てている、どうやら人は住んでいないようだ。
自然と一体化してしまったような農家をみてちょっとだけ感傷的になった。
このような藁ぶき屋根の農家はほとんど残っていない。





鹿角市への距離がだんだん少なくなっていく、とうとう30キロメートルを切った。

田山町内へと入っていくと「だんぶり長者跡」の看板があった。



”だんぶり”とはとんぼのことだそうだ。
その近くには「だんぶり茶屋」というのもある。



「たやまはし」を渡ると田山駅はもうすぐだ。



と、ガソリンスタンドの跡があった。



廃業したガソリンスタンドを店舗にして雑貨の販売をしていたらしく、ウィンドウに洗剤やシャンプーが見えている。
その商品もそのままに完全に廃業してしまったものらしい。



ESSOの上にモービル石油を上書きしたようである。
懐かしいというか寂しいというか「ああ、時代の流れなんだな」としみじみ。





田山駅に着いた。



ちいさな待合室と片面プラットホームのこじんまりした駅である。





ここまで約3時間半歩いたことになる。


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JR花輪線 小屋の畑駅ー横間駅

2016年09月16日 | JR花輪線 歩き旅
2016年9月4日

小屋の畑駅=>荒屋新町駅

この地区はりんどうの栽培でよく知られている。



歩いているとりんどうの畑をあちこちに見ることができる。



しばらく行くと不動の滝への道が現れる。



国道からは約3.2キロメートルあるので立ち寄るのはあきらめる。
この国道は鹿角街道というらしい。





荒屋新町の町内へと入っていく。
と、住宅の壁に”安全十訓”と書いたパネルが貼ってあった。



青森営林局と書いてあるが、ここ岩手県も青森営林局の管轄なのだろうか?
帰宅後調べてみると青森、岩手、秋田、山形、宮城県までが青森営林局(現在は東北森林管理局)の管轄だった。随分と広範囲なんだな。

それにしても10番目の「さあ、今日も安全第一でいこう」というのは、無理やり付け足したような感じだなあ。

この付近は町の裏山が急峻で大雨の際に土砂崩れの危険があると看板にある。



岩手県の岩泉町では台風10号の豪雨の影響で死者が多数出た。
裏山は土砂崩れ、前の川は氾濫するというのであれば逃げ場はない、いったいどうすれば?と思ってしまうのだった。

荒屋新町の街灯にはりんどうが描かれている。



合併前の町名の安代町がマンホールの蓋に残されている。



荒屋新町駅に到着だ。



この駅には駅員さんがいて切符の販売を行っている。



待合室には花輪線の歴史を表したパネルがあった。





荒屋新町駅=>横間駅(2.7Km)

荒屋新町駅の構内は広い。



その昔SLの時代にはこの駅で機関車の連結、切り離しをしていたためだろう。
ホームの向こうに機関車庫と転車台が見えている。



いまは使われることもないだろう錆びついた転車台が時代の流れを感じさせるのだった。

荒屋新町町内には味噌屋、せんべい屋が数軒ある。いずれも趣のある店構えだ。





次の横間駅へは国道からそれてやまあいへと入っていくことになる。
津軽街道踏切を渡る。



あれ? さっき不動の滝入り口で見た看板には”鹿角街道”とあったぞ。
どちらが正式な名称なのか知らないが、できれば統一してもらいたいものだなあ。

安代中学校の前を通って山の中へと入っていく。



さほど人家が多いところではないが道路がよく整備されていて歩きやすい。
水芭蕉群生地への案内標識の奥のやや小高い所に横間駅がある。



そこへ上り好摩駅行きの列車が入ってきた。
ああ、待ってくれぇぇ。
あれは10時49分発の上り列車なのだ。乗り遅れると次の列車は15時4分発になってしまうのだ。
だが、ここから2百メートル以上ある。
残念ながら乗り遅れてしまった。次の列車まで4時間待ちかぁぁ。



しょうがない道端の花の写真でも撮るか。



それでも駅へは行く。



写真を撮っていると下り列車がやってきた。



トイレもないこの駅で4時間も待つのは嫌だが次の田山駅までは8.8キロもある。



足が疲れたと悲鳴をあげているし、手も痛む。
今日はこの駅までとして、ここから4キロほど戻るのだが新安比温泉へ行くことにした。

足が重い。おまけに晴れてきたので暑い。
全身汗だくである。お昼時になってお腹もすいてきた。
コンビニでパンでも買おうか、、と思っていると国道沿いに蕎麦レストランがあった。



迷いもなく入店する。日曜日の昼時ということで店内は込み合っていたが幸い席はあった。
ディパックをおろすとシャツもズボンも水を浴びたかのようにぐっしょり濡れている。
周りの客が「なんだこの汚いじいさんは」という目つきで私を見るが気にしていられない。

天ざるセットを注文する。お値段は1200円ほどで私の基準ではかなり贅沢なほうだ。



私は蕎麦大好き人間なので数分で食べ終えてしまう。

温泉へはさらに1キロ弱歩かなければならない。
タオルは持っているが着替えは持ってこなかった。
せっかく温泉で汗を流してもまた汗で濡れたシャツを着ることになるのだ、まあ仕方ないか。





新安比温泉は過去に何度も来ている。
黄金の湯というが、実際は赤茶けた泥のようなお湯である。飲んだことはないがしょっぱい味がするお湯だそうだ。
温泉のお湯の色が濃いと健康に良さそうだと思ってしまうのは私だけなのか。
日帰り入浴は700円。思わず「え、そんなに高いんだっけ」とつぶやく。
考えてみればもう10年以上も訪れていないのだった、値上げされているのも当然か。

午後3時の列車まで3時間ほどあるので、ゆったりとお湯につかる。
身体を3回も洗ったりして時間を過ごす。

荒屋新町駅まで2キロほど歩く。太陽がギンギン照り付けるのでまた汗が出る。
せっかく温泉で汗を流したのに、汗だらけで駅に到着だ。



駅の券売機で安比高原駅までの切符を買う、240円なり。










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JR花輪線に沿って歩く旅 その5

2016年09月14日 | JR花輪線 歩き旅
赤坂田駅=>小屋の畑駅(3.6Km)

赤坂田駅を後にして歩き出す。



手の痛みがだんだん強くなってくる。
左手の人差し指の根本付近に炎症が強く起きていて手を振ると痛みが増すのだ。
うっかりコツンとでもぶつけようものなら飛び上がるほどの痛みが走る。
まさに腫物に触るようにしながらの毎日である。

以前は小学校だったところが産直施設に改装され使われている。



校庭は駐車場になる訳で実に良いアイデアである。
気温は22度、天候は曇りで風は弱いから快調に歩ける。





次の駅は小屋の畑駅だが駅への案内表示が見当たらない。
スマホで地図を見ながら歩く。

駅は民家とたばこ店の間の路地の奥にあった。



地図を見なければ通り過ぎてしまうところだった。



ここも片面のプラットホームと小さな待合室だけの駅だ。
見るものもないので国道282号線に戻る。
道路と花輪線の線路がほぼ並行しているので道を迷う心配はない。

花粉症の症状が表れた。
わたしは重度の花粉症もちなのだ。毎年春先と秋口の2回くしゃみ、鼻水に悩まされている。
天候が曇りから晴れに変わる時が花粉が飛びやすいようで突然にくしゃみが出てくるのだ。
いつもなら花粉症の薬とマスクを持ち歩いているのだが、今日に限って持ってこなかった。
油断していたなあ、これは困ったことになった。
天候はやや回復してきて曇り空から晴れに変わってきている。
持っているタオルで鼻を抑えながら歩くのだが、鼻水はとめどなく流れくしゃみをしながら歩く姿は我ながら情けない。


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JR花輪線に沿って歩く旅 その4

2016年09月13日 | JR花輪線 歩き旅
JR花輪線に沿って歩く旅

この夏は身体の調子が良くなかった。
まずお尻の具合が悪くなって、痔の手術をした。
医者の説明だと肛門が狭くなっているので少し切って広げたのだそうだ。
簡単な手術なのだがそれでも日帰りの入院である。

そして慢性化してしまった手の炎症。
2年前に症状が出てきて痛み止めと炎症を抑える薬でしのいでいるのだが、じわじわとくる痛みが実につらい。
痛みとしびれは両手の指先から肘の関節まで広がってきているのだ。



医者によると関節リウマチの検査結果は異状なしとのことで、「風呂に入ってマッサージすりゃ治るよ」みたいなことを言われたのだが、とてもそんなことで治りそうにないのだ。
これは本当に困っている。別な病院で診てもらおうかと思案中である。

さらに、、
大腸がん検診で「精密検査を要する」と対がん協会からの手紙が来たのだ。
便潜血検査で異常があったので大腸内視鏡検査を受けなさい、という内容である。
私は市の検診は毎年受けるようにしているのだが、なぜか昨年は大腸がん検診を受けていなかったのだ。
すぐに病院へ行き内視鏡検査の予約をした。
検査まで3週間待ったのだが気持ちは沈むし、ちょっとお腹の調子が変になっただけで、これはガンの症状が出てきたのでは?と心配する始末。
私はかなり臆病ものなのである。

大腸内視鏡検査はものすごく苦しかった。本当に失神するんじゃないかと思うほどの痛みだった。
検査を終えて医師がそんなに痛かったのか?と苦笑いしていたが本人にとっては笑い事ではなかったのだ。
映画「エイリアン」でお腹を食い破ってエイリアンが出てくるシーンがあるが、さぞかしあれは痛かろうと同情してしまう。

で、検査結果はというと「異状なし」であった。
検査が終わると同時に医師が「終わりました、帰っていいですよ」と検査結果の説明もなしである。
異状が認められた人は別室で説明を受けていたから、帰ってよいということは異状なしということなのだった。

もしかしてガンか?と心配し、ものすごい痛みをなんとか耐えたあとだったので頭がぼーっとしてしまいしばらくベンチに座ったまま過ごした。

30分ほど休むと落ち着いてきた。会計を済ませるとげんきんなもので急にお腹が空いてきた。

8月中はかなり暑かったのでウォーキングは近所の散歩程度でごまかしていた。
9月に入ると朝夕は涼しくなってくる。
天気予報を見ながら曇りの日を選んで花輪線沿線を歩く旅の続きを計画した。



2016年9月4日(日)


安比高原駅=>赤坂田駅(5Km)

いつもより早起きしてトーストと残り物のジュースだけを持ってバイクで安比高原駅へと向かう。

安比高原駅に着いたのは午前7時。



無人の待合室でパンとジュースで朝食にしていると上り列車がやってきた。
お婆さんがひとり降りてきた。そして駅の掃除を始めたのだ。
どうやら委託を受けて駅舎の清掃をしているもののようである。安比高原駅の周りには人家がないので近くの駅から通っているのだろう。



私は短パンにTシャツ姿でディパックを持っているのでホームレスと間違われることはないと思うのだが。
朝食を終えるとお婆さんに挨拶をしてから駅を後にして歩き出す。

駅のすぐ前が安比高原ゴルフクラブになっている。
日曜日のゴルフを楽しもうという人たちであろうベンツ、アウディ、BMWなどの高級車が途切れることなく来るのだった。
そんな高級車の列を横目で見ながら安比高原スキー場への十字路を右へ折れて国道282号線を北へと向かう。



安比高原駅から次の赤坂田駅までは下り坂なので歩くのはラクだった。





ペンション、民宿が並ぶ通りに赤坂田駅はある。



ちいさな待合室の無人駅だ。







駅の中心付近に30キロメートルのキロポストがあった、安比高原駅からちょうど5キロである。





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線路沿いを歩く旅 花輪線 その3

2016年06月17日 | JR花輪線 歩き旅

線路沿いを歩く旅 花輪線 その3
2016年5月30日
平舘駅をあとにして厳しい日差しの中を北を目指して歩く。
田植えが終わった水田の向こうに岩手山の姿が映える。



さて次は北森駅だが、たしかあのあたりに駅があったはずだが、、
記憶では田んぼの中にプラットホームだけの駅があるはずなのだが、その場所には大きな建物が建っている。



「なぜ人家の少ないこの地区に大きな駅を造ったのだろう?」と思いながらよく見ると、駅のある場所に八幡平市の市役所が建っているのだった。
その市役所と駅とがつながっているのである。



公民館や地区の集会所などと駅舎を合体させるのはあちこちで見たが、市役所と駅を合体させるというのもなかなかよいアイデアだと思った。

駅は片面のプラットホームだけで無人駅だが待合室も新しく作られていてとてもきれいだった。





時刻はちょうど12時。



この待合室でおにぎりと自宅から持ってきた水だけの昼食にする。

ここから今日の目的の駅である安比高原駅までは10キロメートル、登り勾配である。
疲れもあるし強い日差しの暑さもこたえるのだが、なんとかあと10キロ歩きとおしたい。

ひとやすみしたら歩き出す。

赤川を渡る。





この川は松尾鉱山からの鉱毒がまじっていたので以前は水の色が赤茶けていた。





その水は北上川にそそいでいたため北上川も赤く濁っていたものだった。
いまは中和施設があるのだがそれでも川の石は赤いままである。





松尾八幡平駅まで来た。



時刻は午後1時。



この駅も最近改築されたようでこぎれいである。





現在はプラットホームは片面だけだが、以前は2面あったのだろう駅舎内の時計の下に「1番線」のプレートが貼ってあった。







写真を撮ったらすぐ歩き出す。

途中にあった土壁の農家。



昔の田舎ではこのような土壁の住宅が普通だった。さびてしまったホーロー看板が哀愁を誘う。

山道にさしかかる。



川の音がするので下をみると澄んだ水が流れていた、実に涼しげな光景だ。

気温は26度、風はほとんどなく暑い。汗でシャツがぐっしょり濡れている。



歩道がないので車が来るたびに脇によけなくてはならない。
さほど急な上り坂ではないがだらだらと長い坂が続くというのもしんどいものだ。
息を切らせながら登っていくと右手に地球儀のようなものが見えてくる。



ここは北緯40度と東経141度の交差する地点なのだ。これはそれを表すモニュメントである。



車では横目に見ながら通り過ぎるだけだが今日は近くで見てみよう。



1990年に建てられたとあるから26年前経っている。そのためだろう地球儀の日本の形がかすれてまっていた。

白樺の林をバックに空を見上げると爽やかな青空と白い雲、まさに高原の風景だ。



わたしはこの風景を見て映画「ドクトル・ジバゴ」の一場面を思い出した。
ロシアのパステルナークの原作を映画化したものだが、ロシアの長い冬が終わり春がやってくるシーンがある。
北国では冬からいきなり春になる。青い空に真っ白な雲、野には花がいっせいに咲き白樺の林は輝きだす。そんなシーンがあったと記憶している。

道路の向こう側に滝のようなものが見えるので行ってみると、



規模は大きくないがきれいな滝であった。



道路は安比スノーシェルターへと入っていく。



だがこのシェルターには歩道は無い。
車がびゅんびゅん飛ばすシェルターの中を歩くのは危険が伴う。
見るとシェルターの脇にも道路があるようだ。



舗装はされていないが歩くには差し支えなさそうである。
雑草が生えている道をシェルターに沿って歩く。
シェルターの反対側まで歩いて振り向くと私の後から自転車であの坂道を登ってきた人がいるのだった。



どうやら外国人のようである。
追い越されるときに「こんにちは」と声をかけたのだが、中年の白人の方だった。テントなどの荷物は持っていないようだがいったいどこまで行くのだろうか。



やっと安比高原スキー場への交差点までたどり着いた。
奥のほうに安比グランドホテルが見えている、あそこが安比スキー場である。



スキーを楽しんでいたころはよく来たものだがもう20年ほどご無沙汰している。

白樺の林を抜けていくと安比高原駅がある。





私のような昔の人間には「龍ケ森駅」言ったほうが馴染みがある。
最近は「○○高原」というような名称にするのが流行りだからなあと独り言。
駅前にバス停があるのだけど「7月下旬から8月下旬以外のバスの運行はありません」と案内にある。



さらに「夜の運行もありません、ホテルに電話して迎えに来てもらいなさい」と親切に書いてあるのだった。


駅舎の中には英語の案内もあって、こちらもホテルに迎えに来てもらいなさいという内容である。



宿泊先も決めずにここまで来る人はいないんだろうな。





時刻は午後3時。今日は約7時間歩いた。



距離はぴったり25キロメートル。



駅にあるキロポストが「25」になっている。





好摩駅までの列車は午後3時26分発。駅のまわりにある白樺林を眺めて過ごす。風の音と鳥の声しか聞こえない静かな高原の駅である。





車がやってきてテニスラケットを抱えた若者が二人降りてきた。どうやらテニス合宿の帰りでペンションの人が送って来たようだ。

「高原とテニス」の組み合わせは定番中の定番だからなあ。

車内で車掌からきっぷを買う、500円だった。




好摩駅に着いてから駅の待合室を見るとここにも石川啄木の歌碑があった。
その脇にある好摩駅の駅名票の上の日付を見て「あれ、今日は5月31日だっけ?」



今日は5月30日である、どうやら駅員さんがフライングで明日の日付を出したものらしい。












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