萱野 茂著「アイヌと神々の物語」より
怪鳥とくすり水
大きい沢をたどって ウバユリ堀りに わたしは行って ウバユリを掘りながら 空を見ていると 国土の端から 鳥といっても 特別大きい怪鳥が飛んできた
それを見ながら 仕事をしていると その怪鳥が まったく急に わたしをさらい 大空高く 舞い上がった ばたばたと もがいてみても どうにもならない。
しばらく飛んで 太いエゾマツ その上の巣へ わたしは置かれた 同じような顔の ひな鳥が 巣の中には 二羽だけいて そのひなたちは わたしを食いたいらしく 大口を開けて くちばしで わたしを引っぱり わたしをつつき親鳥まで そのように しようとした
わたしは 大声で ここでわたしを殺したら 神である 鳥であっても 神の仲間になれないぞ そのように わたしがいうと 親鳥はまねだけ わたしをつつき 形だけわたしをつついた
そうされながら 巣の縁から 顔を出して 下を見ると 何の骨やら わからないけれど これほど高い エゾマツの 中ほどまでも 白骨が積もり それを見て わたしは わなわなと 震えながら 朝になった。
夜が明けると 親鳥は 飛んでどこかへ 行ってしまった そのあとで二羽のひな鳥 それらの首 ぐいっとひねって 巣から落として 殺してしまったまった 高いエゾマツ その巣の上から 枝をつたい 白骨の上 白骨に つかまりながら 深い谷底 小さな沢の縁まで 下りて来た。
そうしているうち あの親鳥が どこからか飛んできて ひなたちが 死んでいるのを 見たかと思うと 谷川の水を くちばしに含んで 飛び上がり ひな鳥たちへかけると同時に 二羽のひなは あっというまに 生き返った
生き返ったひなを あの親鳥は 巣の上へ くわえ上げた
それを見た わたしは 持っていた小さい瓶に そのくすり水を入れ どこへ行くのか わからないけれど 川下目指し 歩きはじめた。
しばらく歩くと シサム(和人)がいて 今日という日は 遠い所の 殿様の 一人娘が 急病で死に その葬式の ある日なので 普通の人は歩けない
そのように いわれ 止められた わたしは ぜひその家へ 案内をしてくれ そうわたしがいうと 行っても その家へは 入れない といわれたが やっとの思いで 殿様の 家の前へ たどりついた。
わたしの話を 聞いた殿様 外へ出てきて 誰でもいい 娘のことを 聞いてきたなら 入ってくれと いってくれた そういわれた わたしは 家の中へ 急いで入り 棺桶の中の 死んだ娘へ 小さな瓶の くすり水をかけると 娘はあっという間に 生き返った それを見た殿様は 涙を流して喜んだ。
どこからか来た者 お前は何者なのかとわたしに 聞いたので わたしは ポロナイ(大きな沢)と いう所に 貧乏な父 貧乏な母と 暮らしていた ある日のこと ウバユリ 掘りに 山へ行き ウバユリを掘っていると 怪鳥がわたしをさらい 危なく殺されかかったが どうやら死なずに ここへ来た。
そのように わたしがいうと 何やらを 紙に書いて わたしの 前と後ろへ下げてくれ たくさんの銭を わたしの懐へ 入れてくれた。
それからのちは あちこちへ 泊まりながら わたしのコタン(村)ポロナイ目ざし 歩きはじめた あちらこちらを 歩いていると 紙を見た人々は わたしを哀れに思い 泊めてくれた。
ようやくの思いで わたしのコタンへ帰ってみると わたしの母も わたしの父も 死んでしまい わたしは 泣いてばかり 暮らしていた。
そのうちに わたしは立派な若者と結婚して 何不自由なく 暮らしているが ときおり父や母を思い出し 泣きながら 暮らしている、とポロナイの女が語りながら世を去りました。
語り手 平取町荷負本村 黒川てしめ
(昭和36年10月28日採録)
「十勝の活性化を考える会」会員K