人間の祖先である人(ホモ・サピエンス)は、およそ5~10万年前にアフリカを出て、4~5万年前に東アジアに進出したと見られている。
原日本人である縄文人は、約2万年前から約3千年前まで現在の北海道から沖縄本島にかけて住み、縄文文化と呼ばれる文化形態を保持していた。
そして、渡来系弥生人との混血を繰り返しながら“人間の遺伝子”が受け継がれ、今の私たちが存在するのである。現代の日本列島3集団(アイヌ、琉球人、本土日本人)との関係を見ると、アイヌ、琉球人、本土日本の順で縄文人の遺伝子が強いことが、最近の学者によるゲノム解析で分かってきた。
一般に“アイヌ語文化圏”は、北海道のほか東北六県と新潟県までであり、アイヌが広い範囲に生活していたことが分かる。そして、母方の両親は北東北出身なので、私にはアイヌの血が流れている可能性が高い。
私はアイヌ民族に興味があるので、菅原進著 “アイヌ語から分かる日本史物語”や篠田謙一著 “日本人になった祖先たち“など、アイヌに関する本をたくさん読んできた。それで分かったのだが、縄文人(≒アイヌ)が日本人の始まりであるということである。
日本人の祖先は縄文人で、その末裔にアイヌがいる。アイヌと呼ばれる前は“エミシ”と呼ばれていたが、西暦801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、東北地方にいた“エミシ(蝦夷)征討”を行なっている。そして、エミシ征討で分かったのだが、「前九年の役(1051~1062)」や「後三年の役(1083)」の戦いもエミシ(荒ぶる人の意)が関与していた。
遺伝子の話に戻そう。遺伝子は、当然のことであるが遺伝する。例えば、子どもは両親の遺伝子を持って生まれるが、その遺伝子が顕在化する場合と顕在化しない場合がある。
競走馬で血統を重視するのは、遺伝子が理由である。いつか走ると思って穴馬券を買ったが、いつも入賞出来なかった。いつか種牡馬で才能を開花させるかも知れないので、夢を忘れてはいけないと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) エミシ
古代の蝦夷(えみし)は本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられている。
しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。蝦夷と呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。
蝦夷(えぞ)と蝦夷(えみし)とは連続性を有すると考えられてきたが、昭和に入ってから東北地方に弥生時代の稲作遺跡が発見されたことから、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)を人種的にはともかく、民族的には区別する説が有力となった。
「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一アイデンティティーは無かったと解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。
蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征記中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。
えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず
(訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)
しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「えみし」が後の「蝦夷」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。
概ね関東地方から東北地方、北海道にかけて、広く日本列島の東方に住んでいたと考えられている。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)