十勝の活性化を考える会

     
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自由が民主を喰う

2020-11-27 05:00:00 | 投稿

  

外務省出身 平松武著 「自由民主を喰う」(迷走するグローバルゼーションの深層)のはじめの部分に、次のことが書かれていた。

この世の中において、人の「自由」を尊重し確保し、実現することが最も重要な価値である。しかしながら、その「自由」はあらゆる人に平等に保証されなければならない。

他の人の「自由」を侵す「自由」はない。他の人の「自由」を犠牲にして自らの「自由」を実現することはすべきではない。自由主義経済が国境を越え、グローバルな自由を謳歌することは、人々に平等に「自由」をもたらしているであろうか。

 

マクロとしての経済成長が、ミクロで見たあらゆる人々の幸福につながっているだろうか。すべての人々の自由を守るための民主主義は機能しているだろうか。

 

「自由」の暴走の前に、「民主」がなすすべを失っている。それはあたかも、自律的に動く機械の部品が増殖し、いつの間にか主人たる人間がいなくなってしまったかのようだ。

着実に成長してきた自由主義世界は、これまでの「常識」や「正論」では解決できない未曽有の状況に遭遇している。それが現在の世界がおかれた状況なのではないだろうか。その中で、「民主」の必死の抵抗が始まっているのだ。

 

2020年、世界は新型コロナウイルス感染症の世界的流行に襲われた。グローバルに広がった「自由」がその猛威の中で翻弄され、改めて国家主権によるコントロールの必要性に我々は気づかされた。

 

これはウイルスとの闘いという「有事」であり、「平時」と区別する必要があるが、「自由」「民主」という価値とそれらの関係を見直す重要なタイミングに来ているといえる。

今回の新型コロナウイルスは中国で発生が確認され、それから世界に感染が拡大していった。「自由」や「民主」の価値を重んじない中国では、躊躇なく強権的な封鎖措置がとられ、伝えられている情報を信じるかぎりでは、感染拡大を早期に抑え込むことに成功した。

 

それに対して、欧米のリベラル民主主義の国々では、瞬く間に感染者数・死者数ともに中国を大きく超えていった。このような危機への対応においては、非民主的な人権抑制国家が優れているのではないかという戸惑いさえ感じる人もいる。

 

確かに、中国はリーマンショック後の対応でも、大規模な財政出動を迅速に決定し、その自国への影響を最小限に抑えることに成功した。

 

そして、今回のコロナウイルスへの対応である。リベラル民主主義の価値を必ずしも共有しない中国のような国が、極度の危機的な状況を巧みに乗り越え、経済成長や世界各国への影響力の面においても、目覚ましい台頭を見せている。

 

このような状況においても、私たちがこれまで本質的な価値として守ってきた「自由」と「民主」のあり方について、改めて考えてみることが、私たち一人ひとりの幸せを守っていくために大切でないかと思う。』と。

 

この本には、現在おかれている国際社会のことが分かり易く書かれていたが、コロナ禍の渦中にあって中国が、覇権主義のもとで国力が独壇場にあることに警鐘を鳴らしていた。

また、NHKラジオ「マイあさ」で日本の政治学者 川島真東京大学教授が、米中外交において、国益を考慮してまだら模様の外交になると語っていた。まだら模様の外交とは、関税や技術の移転などにより複雑な様相を呈してくるということらしい。

 

一方、先日に行われたアメリカ大統領選挙の投票率は、速報によると67%であった。日米の選挙制度は異なるが、日本の首相を選ぶことになる前回の衆議院選挙の投票率は54%であるから、この違いはどこから生じているのだろうか。

 

それは、日本人が「民主」というものを自分の手でつかんだものでないこと、戦後75年になり平和ボケになっていること、政治や選挙に無関心なこと、自己中心的なこと等、様々なことが考えられる。

 

確かに、我が国は憲法14条で自由や権利は保障されているが、憲法12条で公共の福祉のためにこの濫用を排除していることを忘れてはなるまい。一方、政治は国家の統治機能であるから、民意を反映する選挙に無関心であってはならず、政治家もその本旨を忘れてはならないと思う。

 

アメリカ大統領になったバイデン氏はツイッターで、次のように言っている。

「この偉大な国のリーダーとして私を選んでくださって、光栄です。これからの道は厳しいものになりますが、これは約束します。私はすべてのアメリカ人の大統領になります。私に投票したかどうかを問わず。私に託してくださった信頼に応えます」と。

 

日本の菅義偉首相のコメントとは随分と違うが、この違いは選挙の仕組みだろうか、あるいは宗教の違いだろうか・・・。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 憲法

   [憲法12]

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

   

[憲法14]

    すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

(出典:yahoo検索)  

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