十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

環境モデル都市

2020-12-26 05:00:00 | 投稿

2008年に全国5都市と共に認定された“環境モデル都市”の帯広市が、いま大変なことになっている。

その理由は、2013年(平成25)、十勝全域で「十勝バイオマス産業都市構想」に合意したが、290億円もかける新ゴミ焼却施設を作ろうとしているからである。そこで十勝住民が、建設反対の声をあげ始めたのである。

ゴミを燃やすことにより地球温暖化が進むことは明らかであり、スウェーデンの環境活動家 グレタ・ トゥーンベリさんが怒っているように、十勝住民が怒り出したのである。世界各地の平均気温が異常気象で年々上昇し、森林火災などの災害が多発している。その主な要因としては海水温の上昇が挙げられている。

最近の気象は、台風が北海道に上陸するとか、25度以上にはならないと言われる釧路市の気温が2017年の4月には30度になり、2019526日には、下記のとおり全国における最高気温が、北海道佐呂間町の39.5度になっている。近い将来、この地球温暖化が「異常気象」ではなく、普通の気象になっていくと思われる。

 

地球温暖化による食糧危機や飲料水戦争が起きないことを願っているが、現に南アフリカ共和国では水による民族同士の内戦が起きているし、アフガニスタンでは201912月、水利権に巻き込まれたとみられる灌漑事業に尽力した中村哲医師(享年73歳)が、銃弾に倒れている。日本でも環境問題、水問題等々が緊要課題になる時期が早かれ遅かれやってくると思っている。

 

私は、「十勝の活性化を考える会」のブログで、再三にわたって地球温暖化の危機を指摘している。みんなは日常的に地球温暖化の影響を実感しているが、それほど危機感がないのは何故だろうか。このことは、十勝の行政、将来を担っている人たちにも言えることでないだろうか。30年後に脱炭素化を宣言している国策の中で、みんなはどう考えているのだろうか。

時あたかも十勝で新型コロナ感染者が増えてきて、大騒ぎしているのとは対照的である。そんな行政の人たちの能天気ぶりに腹を据えかねて、私は十勝住民のひとりとして「声」を上げ始めたのである。

この結果についてどうなるか分からないが、全国の人々がこのゴミ処理場の建設計画について注目していることは確かである。十勝住民の一人として、全国の人々から笑いものにはなりたくないと思って行動している。先日、テレビを見ていたら、あるキャスターがいま求められるのは「行動」であると私と同じことを言っていた。

「十勝の活性化を考える会」会長

(出典:気象庁ホームページより)

注) 環境モデル都市

環境モデル都市は、低炭素社会の実現に向けて温室効果ガスの大幅削減などへの取り組みを行うモデル都市として、日本政府により選定された自治体である。

 

2008年1月18日第169回国会において行われた福田康夫内閣総理大臣施政方針演説を受けて、同年129日の地域活性化統合本部会合で了承された「都市と暮らしの発展プラン」中で、具体的取り組みとして挙げられたものである。

当初は10自治体の選定が予定されていたが、2008年7月22日82件(89自治体)の応募の中から環境モデル都市6自治体が選定されるとともに、追加選定の候補として環境モデル候補都市7自治体が選ばれた。また、2009年1月22日には、環境モデル候補都市7自治体がすべて、環境モデル都市に選定されている。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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喪中はがき

2020-12-25 05:00:00 | 投稿

先日、新聞の「読者の声」欄に目が留まった。それは、後輩の知人が、“亡き友に悔いなき人生を誓う”と題した、喪中はがきを受け取った時の気持ちを書いた投書であった。

師走に入ると私にも喪中はがきが届いて、後輩の知人が書いた感情と同じ思いに駆られる。私は年が明けたら70歳になるが、“古希”は中国の詩人・杜甫が書いている「人生七十古来稀なり」に由来するそうで、人間の寿命は随分伸びたものである。自分の気持ちはまだ青春であるが、年には勝てない。

自宅の2階に上がるのにも一苦労である。10年ひと昔と言われるが、10年後には生きているかどうかは分からないので、一日一日を精一杯生きるのみである。

先日、85歳になる大先輩と電話で話したが、この一年間で随分と年を取ったと言っていた。足腰が弱くなり何をするにも意欲が出てこないそうで、都内で開かれた友人たちの忘年会も欠席したそうだ。

一方、同じ帯広市内に住んでいる方に電話し、年齢を聞いたところ94歳だという。若さの秘訣は何ですかと尋ねたところ、毎日、5キロほど歩くそうだ。そのために丈夫で頭脳明晰、頭が下がる思いである。私は犬との散歩で川原を歩くが、せいぜい1キロぐらいである。お酒も飲むが、彼はほとんど飲まないそうで、それが健康の違いになってくると思っている。

愛犬との散歩の時、スクワットなどの準備体操をするようにしている。若い時、準備体操をバカにしてが、“継続は力なり”で最近は良くするようになった。

私は車を運転出来なくなったので、バスを利用する機会が多い。バスの中で気づくのは、足腰が弱くなって杖を使う人が多いことである。バスを利用するから足腰の鍛錬になるが、バスを利用しなくなったら、ますます足腰が弱くなり、出歩くことが少なくなってくる。歳を取るということは、足腰の弱さと年齢とのせめぎあいであるが、子供や孫の世話にはなりたくないと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注1) 杜甫

甫は、中国盛唐詩人律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。また晩唐期の詩人の杜牧の「小杜」に対し「老杜」「大杜」と呼ばれることもある。

712年 : 河南府鞏県(現在の河南省鄭州市鞏義市)で生まれる。父は杜閑、母は崔氏。兄弟は四人。襄州襄陽県(現在の湖北省襄陽市襄州区)の人。杜甫の家は代々地方官であった[2]本貫京兆郡杜陵県三国時代から西晋の武将であり、「破竹の勢い」で有名な杜預は先祖にあたる。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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ジャパンハンドラー

2020-12-24 05:00:00 | 投稿

 

先日、民放テレビ「サンデーモーニング」で、経済評論家 寺島実郎氏がバイデン大統領に絡んで、日米の外交のことで“ジャパンハンドラー”のことを語っていた。

ジャパンハンドラーとは、日本の政治や経済、文化などの情報や性質を熟知している「親日派」とは違って、対日強硬派の“知日派のことである。これからは、集団的自衛権でいうように、自分の国は自分で守りなさいということと同じである。

集団的自衛権とは、ある国家武力攻撃を受けた場合に、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行うという、国連憲章51条に基づく国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。

しかしこれは、安全保障理事会が機能していないことが問題なのではないだろうか。日本は憲法9条のもと、自衛隊は「専守防衛」ということで規定されている。専守防衛とは、自衛隊の防衛戦略の基本的姿勢であり、相手から武力攻撃を受けたときに防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度の範囲にとどめている。

自衛隊の専守防衛は、憲法精神にのっとり極めて受動的な防衛戦略であり、敗戦の反省から軍事的合理性というよりも、民意、内政上の要請を強く反映していると思われる。ただ、最近の世界の国政情勢を見ると、各国の利害や思惑により、いつ戦争が起こっても不思議でない緊迫した状況にある。特攻隊員をはじめ、多くの先人の血と涙でできた平和であり、二度と過ちは起こしてもらいたくない。

「十勝の活性化を考える会」会長

注)知日派

知日派あるいは知日家とは、日本の社会・文化などに対して深い理解を持つ言動を行う外国人を指す言葉である。日本文化を愛好する「親日」とは一般に区別され、対日強硬派の知日家もありうる。

また、特に国際政治において、日本政府の手法を知り尽くした政権スタッフやタフ・ネゴシエーター(手強い交渉人)、ジャパンハンドラー(日本を飼い馴らした人物。特にアメリカでの用法)を指すことが多い。

日本では知日派と交流を持つなどして国益に繋げようとする動きも見られる。

2015年安倍晋三首相は訪米先のマサチューセッツ工科大学 で、MITコロンビア大学ジョージタウン大学3大学にそれぞれ500万ドルの支援をすることを表明した。日本の政治外交の研究を支援することで知日派の育成に繋げる狙いがあるとされる。

同年9月、日本政府は「知日派・親日派リスト」を作成し省庁横断で共有することを決定した。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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大切なものは行動です

2020-12-23 05:00:00 | 投稿

 

先日、民放テレビ“そこまで言って委員会の元官僚 小松正之氏が、「この防潮堤は土木業者しか喜ばない。また、反対意見は誰にも出来るので、自分に何が出来るのかを考えてから言ってほしい」と。

いつも思うのであるが、世の中には“評論家”が多すぎる。小松氏が言っているように、反対意見は誰にでも出来るので建設的な意見を言うことが大切で、その上に立っての行動も重要である。

行動を取らないのであれば、黙って座禅を組めば良いのである。友人にこの座禅を組む人がいる。座禅は、本来の己というものに近づこうとするものらしい。座禅は修業、自己究明のひとつ。修業には荒行である”千日回峰行“というものもあり、テレビでこれを見ていたが、自分にはとても出来るようなものではない。

大峰千日回峰行は、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂(354m) から、24㎞先にある山上ヶ岳(1719m)頂上にある大峯山寺本堂まで、 標高差1,355m ある山道を往復48㎞、1,000日間歩き続ける荒行で、これを達成したのは、1300年間で2人だけである。この荒行を達成した塩沼亮潤僧侶は、次のようにいっている。

心から人を思いやる心が求められる。自分自身が大切だと誰でも思う。でも自分自身が大切なら、まず目の前の人を大切にしてみましょう。人に対する慈しみある言葉や笑顔や行動が、人と人とをつなぎ合わせる。そしてその功徳が廻りまわって自身の心を潤す。争いや対立から心の喜びは決して生まれない。ありとあらゆる修行を体験して今考えているのは、自分に与えられた今の環境のなかで、すべての存在と真摯な姿勢で向き合うこと。そこで絆が生まれ、何か新しいものが生まれていく』と。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 座禅

坐禅とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、の基本的な修行法。「坐」が正式だが当用漢字から外れたため座禅とも書く。

坐禅の持つ意味や目的の解釈は、禅宗でも思想により流儀が別れる。

公案の解決により見性しようとする臨済宗は、公案の解答を探求しつつ坐る看話禅の立場を採る。これに対し、曹洞宗は何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐禅そのものが目的であり、坐ること自体に集中する黙照禅の立場に拠り、日本曹洞宗の祖・道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む「只管打座」を唱えた。

座禅の風景、妙心寺

ヨーロッパ臨済禅センターの坐禅

現代の諸宗門の説明する禅の方法は、曹洞宗では面壁し、臨済宗では壁を背にして座るなど、宗門・坐禅儀によって差違がある。概ね調身・調息・調心という3つの段階から成る。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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座 禅

2020-12-22 05:00:00 | 投稿

 

日、月命日でお坊さんがお経を挙げにきました。お経が終わってから、私は“宗教”、“生きる意味”、“千日回峰行”のことなどを尋ねました。するとお坊さんは、“座禅”を組んで考えなさい。荒行や苦行だけが「修業」ではありませんと言いました。

座禅をして、瞑想にふけることによって自分と言うものが分かってくるそうです。そして瞑想することにより、「集中力、想像力、記憶力、意思決定、モチベーション、コミニケション」などが、向上するそうです。

 

仏教の開祖と言われる“ゴータマ・シッダールタ”いうお釈迦様は、紀元前5世紀頃のインドで生まれたそうです。ネパール西南部の釈迦族の国の王子で、妻子もあり不自由なく暮らしていましたが、人生の生老病死等の苦や無常から29才で出家したとされ、6年間の難行苦行の後、悟りを開いたとされています。

ところで、近代日本における哲学は、西田幾多郎に始まるといわれていますが、西田は、「哲学は宗教を語ることによって帰結する」といっているように、宗教も帰着点だというのです。

ここで注意したいのは、彼が考えている宗教とは、現代人が考えている宗派的宗教とは異なり、人間の究極の拠りどころである真理や実在を示すようです。

神仏習合ではありませんが、日本人はクリスマスを祝い、除夜の鐘を聴き、正月には神社に参拝し、クリスチャンでもないのに教会で結婚式を挙げる等々の矛盾ともいえる民族です。この柔軟性ともいえる多様性が、日本人の特徴のひとつではないでしょうか。

 

明治維新や敗戦後の高度経済成長、今風の忖度もそのようなことが理由だと思います。新型コロナ禍で社会が変わろうとしている時、お坊さんが言うように、座禅を組んで瞑想にふけることも必要だと思いました。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注)神仏習合

神仏習合とは、日本土着の神祇信仰神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。

日本で仏、菩薩が仮に神の姿となったとし、阿弥陀如来垂迹八幡神大日如来の垂迹が伊勢大神であるとする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化としての両部神道が発生するが、神道側からは神道を主、仏教を従とする反本地垂迹説が出された。江戸時代に入ると神道の優位を説く思想が隆盛し、明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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