十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

エミシとは・・・

2020-12-21 05:00:00 | 投稿

 

先日、千葉県に住んでいる知人に“エミシのことで電話した。エミシとは、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、現在の関東地方東北地方や北海道、樺太などに住む人々の呼称である。

中央政権の支配地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近代以降は、北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族でアイヌを指している。

そして、アイヌという自民族の呼称が意識的に使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期といわれる。

知人は古文書を読むのが趣味で、いろいろな博物館に行きエミシに関する古文書を読んできたそうである。その古文書を読んで分かったことは、大和朝廷側に立っていた人たちは、エミシをやっつけたと書き、エミシ側に立っていた人たちは、大和朝廷にやられたと書いている場合が多いそうである。

 

これで分かることは、歴史書とは、正史が積みあげられて書かれたものであるが、その国や地域に支配的な影響力を持っていた王朝や政府などによって作られる。そのため正史は、勝利者側によって書かれた歴史書であり、正確性が保証されたものではないようである。

西暦801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、東北地方のエミシ(蝦夷)征討を行なっている。エミシ征討で分かったのだが、「前九年の役(10511062)」や「後三年の役(1083)」の戦いも、大和朝廷側とエミシ側が深く関与していた。私は、日本の歴史をあまり知らない。特に、エミシやアイヌの歴史が知らなかったので、これを機会にもっと詳しく知りたいと思う。

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注) 後三年の役

後三年の役は、平安時代後期の陸奥出羽を舞台とした戦役である。前九年の役の後、奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっかけとなった戦いである。

11世紀、東北地方には出羽国清原氏陸奥国安倍氏という強大な豪族が勢力を誇っていた。しかし陸奥国の安倍氏は陸奥国府と対立し、康平5年(1062年)に前九年の役で滅亡した。この時、戦役の最終局面で参戦して国府側戦勝の原動力となったのが、清原氏の清原武則である。

永保3年(1083年)に後三年の役が始まるまでの東北地方の政治状況ははっきりしないが、清原氏の当主の座は前九年の役当時の清原光頼から弟の武則の系統に遷り、武則を経て武則の息子の武貞、さらにその嫡子の真衡へと継承されていた。

武貞は前九年の役が終わった後、安倍氏一門の有力豪族であった藤原経清(敗戦後に処刑)の妻(有加一乃末陪)を自らの妻としていた。彼女は安倍頼時の娘であり、経清との間に生まれた息子がいた。この連れ子は武貞の養子となり、清原清衡を名乗った。さらにその後、武貞と彼女の間に、清原氏と安倍氏の惣領家の血を引いた家衡が生まれた。

武貞の死後、清原氏の惣領の地位を嗣いだ真衡であったが、真衡には嫡男が生まれなかったので、真衡は海道小太郎なる人物を養子に迎えた。これが成衡である。これで清原氏は桓武平氏との縁戚関係が出来たことになる。 (後略)

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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生存権と人権

2020-12-20 05:00:00 | 投稿

 

令和2年12月8日、NHKラジオ「朝イチ真剣勝負!」で、言論NPO代表の工藤泰志氏が、“日中両国の関係を読み解く”と題して語っていた。

言論NPOは、今年で設立から12年目。日本の主要課題に対して建設的な議論や対案を提案できる言論の機会をつくろうと、日中の有識者100人により年に1回のフォーラムを開催している。同代表の工藤泰志氏が、数多くの有識者たちとの議論を通じて感じた課題に切り込み、民主主義の実現をめざしている。

同氏の言葉で印象に残っていることがある。それは中国では、新型コロナ禍に絡んで、個人のプライバシーの前に“生存権”を大切にしているようである。一方、日本では自由を重んじるから、生存権と共に“人権”も大切にしている。

その違いが中国では、「新型コロナ禍」を早く終息したように見受けられ、日本では長引いている理由なのかもしれない。すなわち、この違いは自由主義と共産主義という体制の違いのようにも思える。

日本でも憲法で生存権が決められているが、現在のような非常事態においては、国家が優先するか、個人が優先するのかを掘り下げて考えてみたい。このことは、新型コロナ禍において「生存権」を優先するか、「経済」を優先するかに少し似ているようにも思える。なお、命を大切にすることには、両国の違いはない。               

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注) 生存権

日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にある条文で、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。

条文

日本国憲法 

第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法制定当時の憲法学説はドイツのゲオルグ・イェリネックの公権論の影響を受けて、憲法25条で保障する権利について「受益権」や「国務要求権」として分類していた。しかし、その後、学説では、憲法25条から憲法28条までの権利を「社会権」などの表現で一括して捉え、伝統的な自由権と区別するとともに他方で受益権や国務請求権とも区別されるようになった。

性格

日本国憲法第25条は、二つの条項により二重に国民に対する国家責任を明示している特殊な条文であるが、その出自を以下に記載する。

第1項は、旧日本社会党議員であった経済学者森戸辰男鈴木義男らが、ドイツ帝国ワイマール憲法第151条第1項を参考に起案した

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が下書きした日本国憲法第25条には『健康で文化的な最低限度の生活』という文言は無い。この趣旨の文言を、憲法改正草案として初めて盛り込んだのは、第二次世界大戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だった。1945年(昭和20年)12月に公表した「憲法草案要綱」に、こう書かれた。

一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス

第2項は、GHQ民生局行政部所属C.F.サムス准将が、マッカーサーの命により起案した。1919年8月11日制定のワイマール憲法第151条第1項の内容は、以下の通りである。

第151条(経済生活の秩序、経済的自由)

経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することを目指す正義の諸原則に適合するものでなければならない。各人の経済的自由は、この限界内においてこれを確保するものとする。

憲法25条の法的性格

憲法第25条の法的性格について、従来の学説には、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説がみられる。

憲法第25条の法的性格について、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説という従来の学説の分類はもはや維持できなくなってきているとされ、いかなる訴訟類型にいかなる違憲審査基準を適用して、裁判規範性を認めるかという議論の必要性が論じられている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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子どもと遊んだ神 (読み聞かせ)

2020-12-19 05:00:00 | 投稿


私は、広い広い砂利原の中ほどを守るために天国から降ろされている、ヘビの神でありました。私が守っている砂利原は広いので、近くにあるアイヌのコタン(村)から毎日のように大勢の子どもたちが遊びに来ます。
 大勢来る子どもたちに交じって、身形(みなり)の貧しそうな男の子が一人います。みんなが来たあと、その子が一足おくれで来ると、先に来ていた子どもたちが、その子を目がけていっせいに石を投げたり、流木の端をぶつけるなどしていじめます。
 その子の着ているものは、破れたり裂けたりした刺し子で、それも垢だらけのうえに、さらに垢びかりしているような着物です。子どもたちは石や木端を投げつけるばかりでなく、しまいにはその子をめちゃくちゃに殴ります。殴られた男の子は、大声をあげて泣きながら神である私の近くまで来ては、一人でしょんぼりとし、夕方近くなるとどこかへ帰っていきます。
 それを見ていたヘビの神の私は、次の日から毎日その子の来るのを待っては、一緒に遊んでやりました。私と一緒に遊ぶようになってからは、その子はコタンの子どもたちにいじめられることもなく、毎日毎日楽しく過ごしては、日暮れ近くなるとどこかへ帰っていきました。
 そうしていたある日のこと、その子が赤いお膳に薄いお椀を二つ並べ、一つのお椀にはおいしそうな団子を山盛りに入れ、もう一つのお椀にはおいしい肉、それも脂身のものを山盛りに入れて持ってきてくれました。
いや、その団子や肉のおいしかったこと。神である私も初めて食べるようないい味で、二つのお椀に入っていたものを一度に全部食べてしまいました。持ってきたものを食べ終わった私は、その子をうんと褒めたりお礼をいいながら、赤いお膳に、私が持っていたカムイイコロ(宝刀)を一本入れてあげました。それを受け取った男の子は本当にうれしそうに、何度も何度も、上へ下へと押しいただき、オンカミ(礼拝)を重ね、カムイイコロを持って帰りました。


 それから二、三日過ぎたある日のこと、人声がするので見てみると、立派な風采をした二人の男が私の方へ近づいてきます。一人は何やら大きいトックリ(瓶)のようなものを背負っています。もう一人の方はイナウ(木を削って作った御幣)を削る材料などを背負い、私の前まで来て、それらを背中から下ろしました。二人は私の前にどっかと座り、いろいろなイナウをたくさん削り、私のためにと一そろいの祭壇をこしらえました。
祭壇の前には、先ほど背負ってきたトックリの中から酒を出して供えるなど、荷物の中から次々とおいしい団子や肉や魚を出して並べました。それらを並べ終わってから、初めて年上らしい男が私の方へ向き、次のようにいいました。
 「ヘビの神よ、お聞きください。私はオキクルミという者で、ここにいる者は私の弟のサマユンクルという者です。毎日あなたが一緒に遊んでくれていた子どもは、私の子であったのです。
兄弟がいないためか遊び相手を欲しがるので、毎日アイヌの子どもらと遊ばせましたが、昼間は遊びに来ていても、夜になるとどこかへ行って見えなくなるので、子どもたちにいじめられてばかりいました。
それと着ている着物も、実はいいものを着せてあるのですが、それをそのまま見られると、神の子どもであることがわかり遊んでもらえません。それで、わざとあのように垢だらけの破れたり裂けたりした刺し子に見せてあったのです。
そのため、なおさらアイヌの子どもたちに嫌われ、遊んでもらえなかったのです。それを神であるあなたが、汚がりもせずに一緒に遊んでくださり、本当にありがとうございました。遊んでくださっただけでもありかたいのに、そのうえあの子に宝物までくださいました。あの宝物は神の国でもめったに見ることのできない珍しいものでした。
今日は神であるあなたに、私の子どもと遊んでくれたお礼と、宝物をくださったお礼に、私ども二人でここへやって来たのです。ここへそろえたイナウ、それと酒や食べ物をお受け取りください」
と言いながら、私にそれらのものをくれました。私は丁寧に礼拝をしながらそれを受け取ると、オキクルミとサマユンクルの二人も礼拝して帰っていきました。
 二人が帰ったあとで考えてみると、この砂利原を守るために天国から降りてきてから、長い時間がたったことに気づきました。そこで、アイヌの国の神々からもらったものを土産に、神の国へ帰ることにしました。
私は、仲間を集めてそのことを話して聞かせ、次にこの砂利原を守る者を決め、私がしたのと同じように、その者にこの広い砂利原の上端から下端までを守るようにいい聞かせました。
そして、私はオキクルミとサマユンクルがくれたイナウや酒、それに肉や魚、たくさんの土産を持って、天の上、神の国へ帰ってきました。
神の国へ帰ってきた私は、大勢の神々を招待し、土産にもらってきたものを神々にも分けあたえました。それらは大変に喜ばれ、私はもう一段高い位の神になることができました。
 だから、今アイヌの国土にいるヘビたちよ、どんなやり方でもいいから、アイヌたち、そしてアイヌの国にいる神たちの役に立つようなことをしなさい、と位の高いヘビの神が語りました。


語り手 平取町荷負本村 木村こぬまたん(昭和36年10月29日採録)

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相対するものの調和(一如)

2020-12-18 05:00:00 | 投稿

 

先日、友人から“相対するものの調和”ということを書いたメールが送られてきた。すなわち仏教でいう“一如”で、すべては相互作用していて、つまるところ自分も他人もないという考えのようである。

 

資本主義と共産主義、理想と現実、建前と本音、主観と客観など相対する言葉が多数あるが、新型コロナ禍にあって友人は、原因究明や対策と併せて、相対する事柄を乗り越え調和させようとする努力が必要であると言うのである。

昨年、帯広市内で「市長と語る会」が開かれた。市長はスマホなどの情報スピードの速さや小売店舗の変遷、まちの移り変わりなどを数値や映像を示しながら、今と昔との違いなどを語っていたが、一方で、これらはすべて、人と人とのつながりの希薄化や人口減少に関係している。自由主義は、非正規社員の増加、未婚化、引きこもりの増加など、人間関係の希薄化や人口減少をもたらす要因ともなっている。

 

経済学者・ガルブレイスは、効用の理論で物欲のことを述べているが、資本主義では広告宣伝などによって不必要の物まで買わされているのではないだろうか。実際、買ってから一度も使用しない物や着用していない衣類もタンスに眠ってしまい、結果的に捨てることがある。

 

あのアダムスミスの“見えざる手”が効果を発揮するのは、人間が本当に必要としている物を手にする時だと思う。ただ、最近の消費者は、不況等で財布の紐が固くなり、広告などではダマされない賢い消費者も増えてきているようだ。

 

しかし、賞味期限がきたからと言ってまだ食べられるものまでを捨ててしまう国は世界でも少ないだろう。世界中には、飢餓の人が7億人もいるそうである。中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」を読むと、資本主義は欲望を抑制することが出来れば、まだまだ発展できると書いていた。

 

一方、共産主義はこの欲望を上手く活用できないから生産性が低いのかも分からない。以前、アメリカの経済学者 ガルブレス氏とソ連の経済学者 メンシコフ氏の共著「資本主義と共産主義、そして共存”」という本を紹介したが、その本には、資本主義と社会主義の違い、核・原発の脅威、戦争、貧富の拡大などに関することが書かれていた。

この本を読んで、次のように思った。世界には、アメリカに象徴される資本主義や中国やロシアに象徴される共産主義があるが、100年も経つとお互いの良いところを取り入れることが書かれていた。現に、資本主義国では福祉に、共産主義国では市場経済に力を注いでいる。

 

現在、新型ウイルスと人類との戦争の最中にあり、観光収入を始め、生産活動、個人生活等々、あらゆる面で影響が生じており、一刻も早い終息を願うばかりである。

ただ日本には、気がかりなことがある。それは、1位の中国、2位アメリカ、3位ドイツ、日本4位となっている論文数の減少である。(「科学技術指標2020」による)

将来、国力でも中国が世界一になり、アメリカに替わって世界の覇権を握ると思っている。その理由は、中国人は第二次世界大戦で、官民合わせて日本の約4倍の人間が死亡、又は殺されており、反骨精神などが強いからである。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 第二次世界大戦死亡者数

第二次世界大戦の犠牲者では、第二次世界大戦における軍人民間人の犠牲者数の統計について記述する。なお、以下に記述する「被害者数」、「犠牲者数」、「人的損失数」とは、特記しない限り、「死者数」を意味しており、傷病者数を含まない数字である。

第二次世界大戦における連合国枢軸国および中立国軍人民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。また、これらには飢饉病気の被害者数も含まれる。

  • 民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。
  • 軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

近年、ソ連崩壊以降のロシアの再調査で、ソ連が自国の被害者数を誇張していたことがわかっているが、再調査でも2660万であり依然第二次世界大戦最大である。

 

軍人の犠牲者数には戦闘での死者数、行方不明、事故、病気、捕虜としての死者数も含まれる。

民間人の犠牲者数には戦略爆撃大量虐殺戦争犯罪ソ連の強制移住などによる死者数も含まれる。気候だけでなく戦争を原因とする飢饉の被害者数は400万〜1200万とされるが、中国インドネシア1943年のベンガル大飢饉1945年のベトナム大飢饉フィリピンにおける飢饉被害も含まれる。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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愛知目標

2020-12-17 05:00:00 | 投稿

 

愛知目標”とは、2010年に名古屋市で開催されたCOP10・生物多様性条約締結国会議で決議された戦略計画で、2050年までに「自然と共生する世界」の実現をめざし、2020年までに生物多様性の損失を止めるための効果的、且つ緊急の行動を実施するという20の個別目標。 (※COP10とは、201010月に名古屋市で開催された第10回締約国会議のこと)

2011年以降の戦略計画では、人類が共生する世界を2050年までに、実現することを目指した。日本のエネルギー脱炭素化ゼロも、2050年までが目標のようだが・・・。2020年現在、いずれの国も目標達成はできていない。来年、新たな世界目標を決める予定だが、この結果を踏まえて一層の産学官の連携や社会の関与が必要とされている。

 

地球上には、約900万種の生物が生存しているそうであるが、環境汚染、地球温暖化による森林火災や砂漠化等々により、絶滅危惧種が増えているので、着実な計画と実行を期待したい。

 

人類は、世界人口の9%にあたる約7億人が飢餓に苦しんでいるといわれる。更に今年は、新型コロナ禍により新たに約8千万人~1億人が栄養不足に陥ると予測されている。飢餓人口はアジア地域が半数以上を占めているようだが、2030年にはアフリカ地域が、半数以上になるとの予測もある。

また、日本はまだ飢餓人口は多くないが、今のように国の借金が増え続ければ、飢餓人口が増えないという保証はない。みんなで考え、何とかしなければいけないと思う。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 飢餓

飢餓とは食料が継続的に不足することによって栄養不足の状態が続き、健康的な体調の維持が困難になっている状態のことを指します。多くの発展途上の国の人々が栄養不足の状態に陥っています。

2018年に発表された国連の調査によれば世界で約8億人以上、世界人口の9分の1が飢餓の状態にあるとされており、飢餓人口の約3分の2がアジア地域に集中しています。

また、割合の分布図を見ていくと最も高いのはサハラ以南のアフリカとなっており、この地域だけで飢餓人口の4分の1を抱えています。
ここでは年間約310万人の5歳未満の子どもが栄養不足のために命を落としているとされており、子どもの死亡の原因の45%ほどにもあたります。

こういった国や地域で飢餓になるのは様々な原因が重なっています。
健康に対する知識や教育の欠如、食料の慢性的な不足、それに加えて衛生環境の劣悪さが大きく関係しています。

サハラ以南のアフリカや南アジア地域では、衛生環境が特に整っておらずに屋外排泄を行っているところもまだまだ多いのです。
屋外排泄は虫に刺されるだけでなく、虫や寄生虫などの大量発生も引き起こします。

また、病気に感染しやすい環境となるために下痢などにかかりやすいという特徴もあります。そのためせっかく栄養を摂取しても、吸収されることなく排泄されてしまい、さらに病気の感染が広がるという悪循環を引き起こしています。

(出典:日本ユニセフ 公式サイト)愛知目標

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