効率、合理的ばかりが先行する時代は続いた。
その部分はその部分で大事な先行することでもあるけれど
機械的になればなるほど、
人間らしさが欠如してしまっているようでもある。
ほら、これが思いやりだよ。
と、手にして見せることはできない。
人によって求める優しさも与える優しさも違うかもしれない。
優しさや思いやりの深さが変わってきたのかもしれない。
でも、本当は人が感じる愛の根本は
そんなに変わりはないのではないかと思うのです。
もしも、浅いもので満たされているのであれば
現代であっても、みんな心が満たされて
いじめや心の病、虚しさや寂しさは少なくなる一方なはず。
それが増えているのなら
豊かさと愛情や思いやりやさしさなどの
人の心に触れ合う機会が別ものだということになる。
人がいる、ということは
どんな風に時代が変化しても
結局は人が求められるものや求めるものの
根本は変わらないのかもしれない・・・