満たされることって
案外難しいことではないのかもしれないけれど
それを自ら難しくしてしまうのかもしれませんね。
本当に望むものさえ知っていれば
それが満たされればいいのに、次々新しいものへと欲も出るから。
もしくは、本当に望むものを
自分で気づけずにいいるのかもしれないですね。
人間関係も物事もシンプルにしておけば
そんなに混乱しないのに
複雑にしてしまうのは人間自身なんですね。
掘り返してまでアレもコレも複雑にしていたりします。
目立ちたい、周りからも評価されなくてはならないなんて
そんな必要ないのに、
そうでなければ自分自身が満たされない気になったり・・・
自分が満たされて幸せなら、
周りからどう思われたいかなんて考えないでしょう。
自分の思考を、心を、シンプルにすることからはじめて
少しづつ自分の内面の声を聴き取れたら・・・
自分自身が自分自身であり
魂が本来望むことを知れたら
どんなに充実して人生という時を活かせるだろう。
「こうするべきだ」
「こうあるべきだ」
そんな風に、自覚はなくても自分で決めつけたりしてしまうのは
自分で自由をなくしてしまうことになるのですね・・・
思っている以上に思考が硬くなっていくようです。
よく「オープンに」ということを聞きますが
本当にその意味を理解するのにも時間がかかるよう。
この肉体にいるということは
常に制限を設けてしまっているということで
気づけないものがある。
その肉体にいながら、自分自身で心底理解できていくことは
自分の人生をより楽しめるようになるのですね。
理解するのは自分のため。
頑なになるマインドを柔軟に少しづつすること。
一見、柔軟ぶっているだけの
かなりの頑なさを持っている場合もありますね。
柔軟の意味さえよく分からなくても
そのうちもっとわかる時がくるかもしれない。
柔軟さは肉体にもあったほうが大きな故障を防げるように
マインドにも不可欠要素。
もっと、意識してみよう。