人の想念はとても強いものだと私は思っている。
だから執着の差によってそれの起こり方が違うのではないか?
荒いもの、重く強いもの、フワッとしたもの、サラッと軽いもの。。。
けれども軽い想念でも思い続けること、願い続けることは
なかなか目に見えなくても深い部分では変化を起こしているのではないか?
ある時から私は狭い範囲での祈りをしていた。
その前はもっと広かったのだけれど
自分さえ救えていないのに何やってるのだろう。。。と
ささくれだった気持ちになった時から自分の救いを願い続けた。
まだまだ自分のことも大事。
けれども、その狭い祈りはそろそろ卒業し
もう少し広い祈りをしていこうと思う。
フッと気付いたということは始める機会だと。。。
個人の願い、にたもの同士の願い、集団の願い、
さらには無意識下での巨大な集団の願い。。。
私はもっともっと、調和していこうと思う。