私たちはどれくらい真実を知っているのだろう。
自分の周りのこと、歴史から自分自身のことでさえ
真実の中で生きていないかもしれない。
物事はとても単純なのに複雑にしてしまう。
隠す必要があるから、
その方が都合いいからと言う人たちがいるということだ。
自分が信じたいことを信じているだけではないか?
見たいものだけを見ようとしているだけではないか?
それは本当に自分の身近な日常のことから
所属している社会、もっと大きな組織またもっと大きなもの。
個人的に組織が合わないのは
真実がないことばかり見てきたからでもある。
合わせられるのなら大きな魅力的なメリットもある。
自分が信じたいもの見たいものを見るのではなく
単に真実を知り、単に見ていけるようになったらいい。
それは何かを通してではなく
単純に真実しかないようになる時が来るのだろうか?
特にこれからの世界はもっと自分の知りたい、
見たい世界だけを作り出しやすくなってしまうことには注意だ。