それぞれが各生において
大きな精神的課題があるのだと私は感じている。
自覚できるか、自覚するかは別として。。。
その中で、さまざまなな体験を通して
さまざまな選択をしながら自分で課題に向き合っていく。
もちろん、課題と向き合うのは大変だろう。
なぜなら、その課題は気づけと言わんばかりに
どんどん問題を大きくして
私たちに向き合わせようとしてくるからだ。
人によっては課題と気づかなくても
同じような苦難にぶつかっていくうちに
自分なりの問題を見つけ解決していく。
または、問題をただ見ないようにするだけで
やり過ごそうとする人もいる。
けれども、この場合は問題は解決してはいないので
いつまでも付いて回る。
若いうちに取り組むこともできるし
歳を取ってから取り組むこともできる。
若いうちは誰かが精神的に守ってくれる機会も多いけれど
歳をとって自分が誰かを守る番の時には
誰にも守ってはもらえないことが多い上に
自分自身もその問題は堪えるのだ。
自分の課題は自分でしか対応できず
誰も肩代わりはできない。
何か、辛い、苦しい問題が起き
また繰り返し似たような問題があるのなら
いつまでも避けてばかりいずに
しっかり自分で向き合うほうがいい。
歳をとって、誰にも守ってもらえない状態で
1人きりで大きくなってしまった問題に向き合うのは
より辛く苦しいものになるだろう。
いつまでも課題を見ないように
自分の人生を誤魔化していくことはできないのだ。
しかし、この人生で対処できなくても問題ではない。
課題を残したまま
いつの生かで新たに対応していけばいいだけだ。
大きな問題を嫌だ、できないといつまでも泣き言を言い続けて
人生を終えることもできるし
しっかり自分の問題を見つめ
自分なりに対応し納得して人生を終えることもできる。