人間にとって愛を理解するのは最も難しいのだ。
それを体験し理解し近づくために生まれているのかも知れない。
エゴ、甘やしなどと混同する人が多いのだ。
愛は本来誰も犠牲になることはないと私は思っている。
そして軽やかだ。
そしてそれは個々が体験し感じ、理解するもので
誰も自分自身で体験し感じずに本から学べるものではない。
理論や理屈から愛を表現できないのだ。
愛の深さ広さも人によって違い、また物質的な豊かさとは比例しない。
愛のかけらもないのに社会的にどう見られるかだけで
自分がやること、あり方、振る舞い方などを決めたりする人は多い。
「この立場ならこうやるべき。。。」
こんな人は、一瞬のうちにもまず考えてから行動するだろう。
愛と言って、個々のエゴや甘やかしを押し付け合っている場所は
いつでも問題ばかり湧き上がりストレスを生み出す。
愛があるのならなぜ押しつけるのだろう?
愛があると思っている場所で問題が起こるのなら
自分もしくは相手が同じレベルの愛の中にいないのだ。
もしくは愛だと思っているだけで勘違いだ。
自分自身も愛の中に在ることを選択できるように
他の人たちも個々に選択しているのだ。
本来、そこに愛があるのならとても軽やかな心の自由がある。
しかし、またその自由という意味も
エゴや甘やかしと勘違いしてしまっている場合も多いので
こればかりは自分で多くの体験をし感覚を得ていくしかない。
簡単なものではない。
また愛は比べられるものでもないし
見せ合えるものでもないし
誰かから冷たいとか非難される場合もあるかも知れない。
常に自分の愛を大きく保ち輝かせることを意識しないと
周りによって簡単に萎んでいる。
坂は登るのは大変なのに簡単に転がり落ちるものだ。