今は、いくらでも好きな情報を
様々な角度から、様々な深さで取る事はできる。
けれど、そんな現代でさえ
自分が好きな、信じたい、
理解できる程度の深さのものしか見聞しない。
例えば、とっても浅い知識であっても
「自分はよく知っている」
と様々な多くの自分が選んだものを
見聞することによって錯覚し思ってしまう。
そのため、やたら理屈くさくなっている。
自分が理解できる程度
そして信じたいものだけを選んでいる自覚もなく
浅い理屈で素直に聞くことができない。
そこに「自分は知っている」と思っているので
さらに本質を見聞する事はない。
自由に、多くの情報を選択し得られるということは
そう言った短所もあるということなのだろう。
物事には短所と長所があるので
私たちの使い方次第で
良くも悪くも使えるし学べるということなのだ。
私のような普通の人は
多くの情報をとりすぎるのも
地に足がつかない状態になり
自分の身にはならないように感じる。
それよりも、コレというものを見つけたのなら
じっくりそれを理解することの方が
役に立ち、学ぶことができる気がしている。