
悲しみや怒りは強ければ強いほど
いつまでも自分を卑下して
同じ場所に留まらせてしまう。
いつまでも留まりすぎて
自分でも理由なんて分からなくなっても
そのまま同じように留まる。
気が済むまでそうしていることもできる。
かわいそうな自分でい続けることもできる。
閉ざしてしまった心でいることが
本当の自分を現し続けられているのだろうか?
手放したふりで自分を誤魔化していないか?
卑下し続けることが快適さを作り上げていないだろうか?
悲しみに向き合うことも
悲しみを受け入れることも
怒りを手放すことも
許すことも
納得できる時まで十分に時間をかければいい。
自分の正当性を主張し続けることで
自分を保てるのならそれもいい。
もしも、いつか思いもせずに
フッと心の扉が開いたのならそれもいい。
ただ、その時の強い思いに囚われ、
心がそこに留まり続けなければ良いのだ。
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