同じことに最初の頃に持っていた情熱を持ち続けるのは難しい。
特に、対象となるものがあり
反応が悪ければ悪いほどその情熱は冷めていく。
習慣化していいものと悪いものがある。
一時、ある学校で先生として教えていたときよく思った。
自分が習いたくて通っている場合と
やりたくもなく通わされている場合とでは
生徒たちの反応はもちろん違うわけで態度も違う。
やる気がないのにきている場合は本当に反応はないし
態度が悪い場合も多い。
そんな状態になると、もちろん教える熱意は消えていく。
義務教育なんてまさにそうではないかと思う。
さらに当たり前になっている教育課程や専門学校などもそうだ。
特に何かを教える場合、
2、3年で入れ替えた方がいいと私は思ってしまう。
情熱がないのに教えることに携わっても
何も改善をすることもせずいい教え方を工夫しようともしなくなる。
又は生徒の人気取りばかり気にして全然親身に教えていない。
そんな悪循環が成り立っている。
どっちもどっちなのだけれど。。。
熱意がないのに学校に来る、熱意がないのに教える。
平和で、余裕があるから発生する現象なのだろう。
何事に対しても熱意がないままダラダラと続けることは
自分にも周りにも罪だ。
熱意がない社会で熱意がないものが生み出されていく。。。
内面にもっと情熱を持って生きよう。
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