★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ちょっと、ややこしい話

2021-02-07 | 最近おもうこと

人生について考えたとき

そこには個としての限られたものの見方と

全体としての見方が必要なのかなと感じてきた。

 

個に集中することは絶対的に必要。

でも、これが次第にエゴと欲のためと

錯覚してしまう部分であるような気がする。

 

人間は誰もが自分の幸せを望み

そのための選択をしている。

でも、その時は「幸せ」だとしても

次第にそれが色あせ、特にそれが幸せだと実感しなくなる。

または、その選択をし手に入ったとたん

次のものを欲し今、幸せであることも

忘れてしまっているかもしれない。

時には、自分の「幸せ」自体変化していく。

 

それくらい「幸せ」のことは忘れてしまいやすし変化する。

 

では、「悲しみ」はどうだろう?

「辛い」思い出や「深い悲しみ」は

まだ経験したことが無い人もいれば

人生の中で数少ない経験として大きな影響を与えるだろう。

それがどんなものであれ、

その人の人生に影響するほど常に頭の何処かにある

大きな「悲しみ」としての出来事。

それは時と共に変わったり無くなったりしないだろう。

痛みは多少薄れたとしても常に変わらず同じ形のまま在る。

 

それくらい「悲しみ」は強いもので

変化せず人生に影響をもたらす。

 

生きていると私たちは「幸せ」を求める。

でも、人生は死や病など「悲しみ」を必ず用意する。

他者、または自分自身を通して感じることになり

いつかは必ず体験することになる。

 

そう考えると、私たちにとって大きな視点から見た場合

自分の中の絶対的な何かを気づかせるヒントが

「悲しみ」を通して得られているのかもしれない・・・

私たちにとって必要なものが・・・

人生を通して魂が体験しようとしているものが

そこに機会を与えているのかもしれない。

 

でも、私たちは本題にだけ目を向けるようにはなっていない。

それでは多くの体験も出来ないし

本題にも気づけないからだ。

他のことがあって初めて大事なことに気づけるわけだ。

 

人生には確かに無駄はないのだろう。

ただ、気を散らすことが多い・・・

 

本当は今、自分がいる場所で

今、自分がやるべきことに集中するだけでいい。

恐れやよそ見などがそこでの集中を忘れさせてしまう。

 

やるべきこと、いるべき場所は

よそにあるわけでは無いのだろう・・・

必要な時に必要な扉が開かれるようだ。

 

酷いように聞こえるかもしれないけれど

全体から見たら、

個人的な情やエゴに関わっている必要はない。

もっと個がその時に必要な集中を保つことが大事だ。

 

個々の必要性、それは全体のことへと繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

 


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