★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

上手くいっている

2021-05-12 | 日々のこと

私が人生で大切にしていることは...

 

笑う

食べる

 

何か落ち込むことがあっても

それらがあれば大丈夫。

 

自分が大切に思うものを3つ掲げてみる。

何か嫌なことは落ち込むことがあった時も

それらを思い出してみると大丈夫だと思う。

 

落ち込んでいるなら、笑える事をしてみる。

笑える自分がいる事を思い出せる。

 

私は食べることもあるので好きなものを食べるのもいい。

美味しいって感じる幸せな気分を思い出せる。

 

愛だって、別に異性間などの話だけのことではなく

自分の中の愛情だ。

別れたから欠けてしまうようなものではない。

もちろん、相思相愛で感じられる愛は最高だ。

 

まだまだだなあ...

そんなことばかりだ。

 

だから大事なことを思い出すことも

時には必要だ。

 

上手くいかない時や

落ち込んだ時があったって

また直ぐに気分転換し元気でいればいい。

 

大丈夫、大丈夫、全て上手くいく。

そんな風に感じられればいい。

 

 

 

 

 

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意識のない罪もカルマ

2021-05-11 | ちょっと、ひとりごと

自分の利益のため、人を陥れたいため、

誰かと仲間になりたいため、

いろんな理由で平気で嘘をつける人もいる。

 

どんな手を使っても

平気で人を傷つける事ができる人もいる。

それは接点があろうが無かろうが関係なく

単に何だか気に食わないだけでも対象になってしまう。

 

その人の人生に大きなダメージを与えることになっても構わないし

その人だけでなく家族や周りへのダメージにも繋がるのも構わない...

 

ここまで読むととても酷い人のことのように聞こえるだろう。

けれども、誰かの噂話を自分で事実も確認せず信じ込むのも同じことだ。

そんな人たちに加担していることになる。

身近な人に対してだったら、そんな目で相手をみたり

冷たい態度や言葉を投げかけたりしているかも知れない。

 

噂話というのは嘘から作られていたり

些細な話が人の思い込みや感情が加えられたり

面白おかしくどんどん事実とは異なる話が盛られ作られていく。

 

特に自分に関わりのない人の話なのに興味深々で

つまらない、会話のない自分の生活のネタにするのは

あまりにも虚しいことだと思わないか?

自分が面白がって話している噂話が

誰かを傷つけていることを心に留めておくべきだ。

 

昔、知り合いが言っていたこと。

「例え、たまたま電車で隣に立っていてたからと言う理由で

痴漢だと嘘をつかれても、その人が引きつけたんだよ」

 

それは、もしかしたらどこかのカルマが原因かも知れないけれど

今、何も原因がないのに単なる誰かの嘘から

人生を一瞬にして傷つけられ周りも同じようにその嘘を信じていたら

自分のことでもそんな風に言えるだろうか?

 

他人事と自分事を、人は距離をもって感じるけれど

もっと他人事を自分事として思いやれる共感力は持ちたいものだ。

他人の感情と同化するのではなく共感することができる力。

 

そうしたら、誰かを傷つけていることや

傷ついている人に通りがかりついでに

一緒になって石を投げるようなことはしなくなるだろう。

 

人のことだから関係ないと思っても

それは、自分のネガティブなカルマを増やすことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちょうどいい具合

2021-05-10 | ちょっと、ひとりごと

人は何かしら極端になりがちだ。

思考だったり行動だったり...

 

自分でどの部分が極端になっているか

時々、考えて見直してみることは必要だろう。

夢中すぎて気づかない時もあるけれど

どこかでちょっと立ち止まってみることも大事だ。

 

ちょっと、いい加減なくらいでいい。

みんなと同じでなくてもいい。

自分にとっての丁度良いを見つければいい。

 

人はそれぞれ違うのだから

誰かにとって当てはまることが

自分にとって当てはまらないこともある。

厳し過ぎず、甘やかし過ぎず丁度良い加減。

自分のことをもっと見つけていかなくちゃダメだ。

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軽やかに

2021-05-09 | ちょっと、ひとりごと

おとといの朝1人で朝の散歩を満喫しているとき

光が今、とても祝福されているというか

さらにエネルギーが強まっていると感じた。

 

今日もスッキリ起きて1人でお散歩。

 

きれいな朝の景色にとても感動した...

いつも見る景色だって、

毎日または一瞬一瞬違うものを見せてくれる。

 

この世は感動する物事に溢れている。

 

自分がどんな見方をしているかだけで

物事はガラッと変化する。

 

それは実際に変化するのではなく

同じものでも自分の見る角度が変わるだけだ。

 

いつも自分の心を楽しく単純に軽やかにしておこう。

 

 

 

 

 

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自分で在ること

2021-05-08 | 最近おもうこと

さて、昨日の続きを書こう。

 

物事は、自分に関わったら自分の問題になるのではない。

自分の責任と他の問題は別物だ。

 

でも、それは境界線が曖昧だったり

他の依存や自分の執着も見えずらくさせてしまう。

それに自分が冷たい人間のように感じたくないからでもある。

それぞれ自分の本心は自分の中で掴めているのだろうか?

 

昨日書いたたように、人は自分を過大評価する。

だから人の問題に首を突っ込むところがあるけれど

ほとんどの人はそう大したものでもない。

自分が自分で在るだけで十分で、その周りには大した問題もない。

問題があったとしてもシンプルに片付けられる。

 

小さなものほど大きく見せたがるように

純粋であれば本来、物事は混乱せず単純で尊重し合える。

 

自分が特別だと思いたがる人だらけだ。

単にそれぞれ個性があって、それぞれ役割が違うだけのことなのに

特別な存在だと、他より自分を上に置きたがる本心が働きやすい。

だから権力や知名度などを求めたり、それらの方へ流れていく。

 

でも、何かが変わり

それは幻想の中での権力や知名度にも見える...

まだまだ違和感がある状態のままだとしても

自分ができること、

自分の心の声を聞き本来の自分で在ることを

自分の問題に向き合うこと、

それらを静かに行うときだ。

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感情と思考の別離

2021-05-07 | 最近おもうこと

光を攻撃するものはその光に焼かれる...

 

何だか2日前に強く頭の中で繰り返されたこと。

超えてはいけない一線ってあるだろう...

そんなことをボンヤリ思った。

 

人は身勝手で自分を大きく見せたがり過大評価するものだ。

だから、人の課題にまで首を突っ込み問題を抱えたがる。

 

どれほどの人が、心や感情と言動を一致させた生き方をしているだろう?

 

本当に小さな子供に残酷なところがあるのは

まだ世の中や社会に慣れていなので計算をせずに言動してしまうから。

でも、それもあっという間に親の影響や大人の言動を学び

彼らの反応から自分の言動を選んでいくようになってしまう。

それも、最近ではどんどん低年齢化してしまった...

 

そして人は自分にとって都合のいい理屈を並べ

自分のエゴで自分さえ操っていく。

自分さえ操れるのだから他を操るのはもっと簡単だ。

いつの間にか自分の心の本音が分からなくなってしまうこともある。

 

どうしてそんなことになってしまうのだろう?

今のままの自分ではダメなのだろうか?

ダメならどうして変えようとしないのか?

どうして偽る必要があるのだろう?

 

内心では批評や毒づいているのに口では誉めたりする。

誰かが見ている時だけ親切にする。

嫌いなのに好きなふりをする。

 

そんな事ばかりして外の世界ばかり目を向けるから

自分が不安定になり、幸せを実感できずまた外に何かを求める。

 

いつも人の粗ばかり探しているならそのまま出せばいい。

嫌いなら最低限の付き合いにすればいい。

批判したいなら本人に言えばいい。

 

それが良いかどうかは別にして、物事はもっとシンプルになる。

そして一番は、それぞれが学ぶべきことや気づきが加速するし

より似たもの同士が近づくことになるだろう。

結局、純粋に素直であることの大切さが見失われてしまっている。

 

長くなってきたので続きは明日。

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幸せの感じ方

2021-05-06 | 最近おもうこと

よく人が忘れてしまうことの一つ。

 

「今の自分がいかに全てを持ち、恵まれているか」

 

それなのに当たり前のことと片付けて忘れている。

持たないものや外に目を向け

もっともっと何か欲しいと不満や不安な気持ちになる。

 

健康に過ごし過ぎていると健康のありがたさに気づかない。

大事にされ過ぎていると大事にされていることに気づかない。

豊か過ぎると豊かであることに気づかない。

幸せすぎると幸せでいることに気づかない。

安全すぎると安全なことに気づかない。

 

どんなことでも、当たり前になってしまっていることには気づかない。

それが壊れて初めて気づく事ができる。

何事も過ぎると麻痺してしまうものだ。

 

それなのにいつも外に目を向け足りないものを探してばかりいて

何もなくても幸せだと感じないようだ。

何かの物事がないと楽しくないし、幸せではない...

 

そんなことも不幸なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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信念が作り出す

2021-05-05 | 最近おもうこと

どんな人も自分の信じたものの世界の中で生きている。

でも、それは本当に真実かは分からない。

ただ信じたいもの、

真実だと思う物事が自分の世界を作っている訳だ。

 

例えば、ダイエットに関してのことなんて簡単にわかる例だ。

時代によって流行るものは変わる。

でも、どれもその道の専門家や医者などが

科学的に実証したりしたようなものだったりするけれど

同じように反する考えの専門家や医者などもいつだっている。

流行りに飛びついて行う人たちは沢山いる。

それを数年または長年行ったときの

身体に与える影響は人によって違うかもしれないし

実際のところそれが本来の寿命やその健康状態にいかに作用したか不明だし

その後を長い間追っているものでないこともある。

 

それは物質的なものだけでなく思考も同じだ。

そうやって自分の信念体系が自分の現実を作り出してしまう。

信念体系と結果は繋がっているのだろう...

もちろん、結果に現れるのは時間がかかるものもあるはずだ。

結局はその信念がどう作用したか分からない事が多いのだと思う。

 

でも、自分の現在を変えたいのなら

やはり今の自分の何気ない思考や思いを変えていく必要がある。

 

最近とても強く思うのは、

そこにも創造性が必要なのではないかと言うこと。

誰かみたいな... 憧れという動機はきっと強く働くのだろうけれど

それは本来の自分の個性ではないので

結局、元の自分のあるべき物事へと戻される...

そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

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慌てることはない

2021-05-04 | 日々のこと

お尻に火がつかないと始められない人もいれば

それでもやらない人もいるし

単に目標や目的や望みに従ってしっかり始められる人もいる。

 

自分はどんなタイプか.... 

私はお尻に火がついて...のタイプ。

必要になるならコツコツやっておけばいいのは

百も承知の上でなかなかできないこともある。

特に苦手なものとなったっら尚更だ。

 

動機づけは人それぞれいろいろあるだろう。

目標や夢を現実にするためだったり

悔しい思いからだったり...

 

私も火がついたときのことを思い出すと

毎日の必然的な目的があった時と

とても悔しい思いをした時。

でも、それもまたとても悔しい思いでポキッと心が折れ

逆に完全に興味がなくなったり拒絶することもあった。

 

人の気持ちに火がつくのは多分微妙なやる気スイッチが押される時で

それが少しでもズレると拒絶してしまうことにもなる気がする。

でも、スイッチが押されないのは

多分、火をつける必要性もそこまでないからだとも言える。

 

必要性がないと動機づけの原動力がまだ弱い。

無人島に放り込まれたら嫌でも動いて

食料を見つけなくてはならない時が来るのと一緒で

やらざるを得ない状況でないと行動にはなかなか移せない。

ある程度、追い込むことも必要だ。

 

自分が出来ずにいる事があるのなら

それが気持ちに引っかかっていたとしても

本当は別にやらなくても良いことかもしれないし

自分の中で本当は必要だと思っていないのかもしれない。

それならいっそのこと、

一旦やろうと言うこと自体から離れてみたらいい。

 

そのうち本当に必要なら嫌でもやらなくてはならない時が来る。

ただの願望で必要のなかったことなら、

それで切羽詰まるような必要に駆られるときは来ないのだから。

 

 

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自分に自信を持とう

2021-05-03 | 最近おもうこと

基本的な性質は変わらないのではないかと私は感じている。

前のブログにも書いているけれど、

経験によって表面的な部分や考え方、

感情の持ち方が変わることで

性格が変わったように周りから見えたとしても

根本的な性質は変わらない気がする。

 

私は群れるのが苦手だし、

一度でも裏切りや意地悪をしてきた相手とは仲良く出来ないし

合わない人と連むこともできない。

クヨクヨといつまでもひきづってネガティブで優柔不断だ。

考えてみると、これは小さな時から変わっていないものだ。

これが良いなんて思わない。

 

特にビジネスや会社、旦那さんの会社の奥さん同士の付き合い、

子供がいる人は母親同士の付き合いなど

大人になると色々な場面で合わない人でも

合わせることは必要になることだから...

ネガティブで良いことはあまりないので

多少は意識で変えられるけれど基本ネガティブだろう。

 

 

プライベートでは自由に付き合う相手を選べばいい。

でも、社会では選べないこともある。

真意はどうであれ、それを上手に立居振る舞う人たちは

有利なことが多いのは否めない。

どこかで上手に切り替えて対応することも必要だ。

だから、嫌な思いをしたり

自分で損をしていることは何度も自覚してきたのに

笑っちゃう程、やはり変えられていない。

考えてみると本当に笑える。

 

まあ、変えないなら結局これを受け入れ

自分の性質と上手く付き合っていくことが必要だと言うことだ。

「嫌な思いをさせられた」

「あの人は計算高く嫌だ」

「損をしている」

「もっと上手くやるべきかも」

そんな無駄なことで気持ちをドンヨリさせないことだ。

考えたところで、自分にできないこともある。

 

今の自分の良い性質をもっと全面に出して

堂々と自分らしくさえあればいい。

「上手くやろう」なんて考える必要はない。

そもそも考えたってできないのだから...

変えられない自分の性質に自信を持とう。

 

それが、自分の周りの人やモノを惹きつけ現れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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