今日は「阪神・淡路大震災」が起こってから20年目。
改めて20年も経った、もう20年経った、と被災者の方は想いを馳せているでしょうか。
日本は復興のスピードがすごくて
見た眼では、震災当時 どこがどうなっていたのかなんてまったくわかりません。
でも、被災者の心の中も同じ。
隠れてはいても絶対風化してはいないのかもしれません。
熊本がすごい台風の被害に見舞われた時
私は次の日に車ででかけました。
大きな看板は根こそぎ飛んでしまい、
電柱はなぎ倒され
信号はついてないし
あの時の光景ははっきり脳裏に焼き付いています。
それから少し経ってから「不知火」というところで高潮の被害がありました。
こちらも数日後にそこを通りました。
なんと、海岸沿いの道が半分削ぎ取られていました。
アスファルトが割れて道が消えている。
そして2階建の建物の一階部分が骨組だけ残して消えているのも見ました。
一瞬の恐ろしい波の力。
日本はどこで大震災が起こってもおかしくない国。
だからこそ、日本人は連帯意識や
思いやりを持て、助け合いができる民なんでしょうね。
はるか昔からそうして生きていかないといけない国だった。
今日はそんなこといろいろ考えながら過ごしたいですね、
改めて20年も経った、もう20年経った、と被災者の方は想いを馳せているでしょうか。
日本は復興のスピードがすごくて
見た眼では、震災当時 どこがどうなっていたのかなんてまったくわかりません。
でも、被災者の心の中も同じ。
隠れてはいても絶対風化してはいないのかもしれません。
熊本がすごい台風の被害に見舞われた時
私は次の日に車ででかけました。
大きな看板は根こそぎ飛んでしまい、
電柱はなぎ倒され
信号はついてないし
あの時の光景ははっきり脳裏に焼き付いています。
それから少し経ってから「不知火」というところで高潮の被害がありました。
こちらも数日後にそこを通りました。
なんと、海岸沿いの道が半分削ぎ取られていました。
アスファルトが割れて道が消えている。
そして2階建の建物の一階部分が骨組だけ残して消えているのも見ました。
一瞬の恐ろしい波の力。
日本はどこで大震災が起こってもおかしくない国。
だからこそ、日本人は連帯意識や
思いやりを持て、助け合いができる民なんでしょうね。
はるか昔からそうして生きていかないといけない国だった。
今日はそんなこといろいろ考えながら過ごしたいですね、