「素錦は ただ人形を作りだし、君上の邸宅の前の道に
置いただけです。君上が 彼女に気持ちがなければ
二人はただすれ違う見知らぬ人どうしでしかありません。
彼女を一目見てすぐ気に入り、彼女を邸宅に連れ帰ったのは
君上でした。もし、将来 素錦が君上からお咎めを
受けることになったとしても、
素錦は弁解の余地はありません」
私は 胸に何かがつっかえているような感じがして
彼女の言葉に答えなかった。
彼女は 柔らかく笑みを浮かべて続ける。
「誰かを心底愛した時、例え 幽冥司冥主の忘川水を
飲んだとしても、何らかのイメージが 頭に残って
もう一度その人を愛してしまうものなのですね。
そうだ・・・」彼女は間を置き、ゆっくりと続ける。
「上神はご存知だったのかしら?この三百年間、
君上は ずっと結魄灯を使って素素の気を
集め続けていたことを」
脳裏で銅鑼が鳴り響き
私は方向を失ってしまったような気がして
胸の中 何かが激しく煮えくり返っていた。
彼は・・・夜華は もう一人の素素を
作り出す気でいたの?・・・
・・・白浅の心に大嵐が吹き荒れます。
白浅が見た素素は 特別になんという事もない人
だったけど 自分に向けた愛だと思った夜華の気持ちが
実は 最愛の人の面影を追い求めての事なら・・・
過去 自分の結婚相手の事がどうしても
トラウマになっている・・・
どれも悲しい終わり方をした・・・
やっと 本物の愛を見つけ、相思相愛と思って
心底うれしかったのに・・・
『六日前のあの晩、夜華に私を覚えているか聞いたとき
彼は覚えていないと言った。しかし 六年後 彼は
覚えているはずのない女性を家に連れ帰った。・・
彼の私に対する愛が素素に対する愛より深くない為に
私を覚えていなかったのだろうか?もしくは
もしくは三つの鎖によって閉ざされていた箱が
突然 音を立てて開いてしまった?もしくは
両目を覆った私の姿が彼の先の夫人の姿に幾分か似ている
為に 夜華は少しづつ私を愛するようになったのだろうか?
頭の中は はっきりとした意識が一切なくなり、
脳内は混とんとしてしまった。胸さえも痛みを感じるほどに』
・・・それでも自分の心を平静にと努める白浅だった・・・
『「貴女は情愛というものをよく理解しているようだ。
これほどにはっきりと理解しているからこそ、夜華に
無視される事にも耐え、彼の側妃という立場に二百年間
居座る事ができたのですね。今時の若い輩では、
貴女は寛大な方と言えなくもない。あの人形も
かなり緻密に作ったようだ。彼女を夜華に付き添わせるのも
よかろう。本上神が時間を費やす必要がなくなるから。
今後 夜華が 貴女のしたことを咎める時には
本上神も一言二言貴女を庇いだてする言葉を述べるのを
忘れないようにしましょう」
彼女の笑顔が長らく固まった。その後にようやく言った。
「上神に感謝申し上げます」
私は拳を上げて手を振った。「西王母の茶会に遅れるのは
良くないですよ」
彼女はうつむき、別れを切り出した。
「それでは 素錦は先に失礼します」
素錦が去ったあと 私は振り向き一瞥した。
その人形は夜華に酒を注いでいるところだった。
枝から桃の花びらが風に吹かれ 夜華の髪に落ちた。
人形は白い腕を伸ばし 軽く払って花びらを落した。
彼女は顔を上げて 恥ずかしそうに夜華に微笑む。
夜華は何も言わず酒を飲んだ。私の頭は突然痛み始めた。
(中略)
私のなす事は 感情まかせで確かにあまり頭を使っていない。
例えば 夜華が最初に私に告白した時・・・
四海八荒の多くの女神仙の中で
なぜよりにもよって私を好きになったのかを
考えもしなかった。その後 私も彼を好きになって両想いに
なった後でさえ、これほど大事な事を彼に聞くことさえ
考えていなかった。もし彼が団子の母親を好きだった為に
私を好きになったのなら、私 白浅は 身代わり
目の前で彼に酒を注ぐ人形と何ら変わりはない・・・
すでに死んでしまった人と比べるなど あまりに度量がない
とわかっていても、情愛という事においては対面も度量も
何だというの?
胸に燃え盛る邪念の炎を なかなか消す事ができず、
私は 額を揉んだ。 夜華との事を広げて じっくり
考える時期になったような気がした。
そうして術を使って雲を呼び出し、おぼつかない足取りで
青丘に帰った。』