コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

合歓の花咲きて

2021-07-16 | life

梅雨明けの待たれる日々の夕暮れにつつましやかに合歓の花咲く

 子どものころ祖母が言っていた

「合歓が咲くと梅雨が明ける」と。

 先日、梅雨の晴れ間に、休暇村越前三国へ出かけた。広

 い敷地には合歓の木があり、つつましやかに花を咲かせて

 いた。先年、山陰線沿線をひとり旅したとき、鳥取と島

 根の県境辺りの山あいに咲く合歓を見たことも懐かしく想

 い出される 鳥海昭子さんがこんな歌を詠んでいる。

高野山裏山道をくだりしは合歓の葉ねむる頃合なりき   

   そして、「日暮れとともに眠るように閉じる葉と明かりを

   ともにするような淡いピンクの花が印象的です。高野山で

   目にしたネム    すでに葉を閉じてしまいました。」 と記

 している。

 ネムの花言葉は、「胸のときめき」とか「歓喜」だというが、 私には「胸のときめき」がピンと来そうだ。

 山頭火の句に、

 合歓の花おもひでが夢のやうに    がある。

 山頭火にしてこのような句を残している。彼の脳裡を過る

 「おもひで」は如何に。

あたたかき心を添えて届きたる紅白の桃甘く香りぬ

最近、あまり体調が整わずにいる。この秋は講演や研修が入っている。内容や原稿を考えなければならない

だが、なかなか調子が出ない。つい、だらだらと過ごしてしまう。

そんなきょう、うれしいプレゼントが届いた。まるで私の体調を見抜かれているように。まずは、お仏壇に

お供えして後、冷やして戴いた。まさに絶品であった。美味しいものを戴けることはハッピーだ。

毎年この時期にフルーツをプレゼントして下さる贈り主に感謝しながら。

 

       

斎藤茂吉の歌に

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり   がある。

茂吉は白桃(歌はたぶん「しろもも」と読ませると思う)が好きだった。歌集にも「白桃」がある。私の亡

き母も桃が好物だった。生前にもっと沢山と食べさせてあげたらよかったとしみじみ。

母は短歌は茂吉に傾倒、アララギ派の流れを汲んでいた。長年、斎藤茂吉記念館の茂吉追悼歌集には毎年投

稿していた。繙いて見ると涙が滲む。私の歌など足元にも及ばない。

きょうは北陸も梅雨明けしたようだ。いよいよ本格的な夏に向かう。

梅雨あけて早秋彼岸待ちており         yo-サン 即興拙詠

 

末筆ながら、緩慢な更新の拙ブログにメッセージを頂戴致しまして痛み入ります。

個別にお返事をと存じながら失礼ばかりで申し訳ありません。

もう少しパワーがつきましたら、ご発信元のメルアドを頂けたお方にお返事などさせて頂きます。

どうぞご寛容に。 それでは今宵これにて。

     

茄子の花

2021-06-20 | life

亡き母の我に語りし言葉など思い出(い)でたり茄子の花咲く  

 梅雨の晴れ間、久々に畑に足を運んだ。少しばかりの夏野菜を植えたものの構ってやれず、一面草に覆われてしまった。亡き母がよく言っていた。「畑の作物は足音で育つ」と。足音が聞こえなかった畑は草ばかりが豊作である。 ナスはこの辺りだったかなと屈んでみると、1本のナスが草の中で花をつけていた。まだ小さな薄紫の花が、うつむき加減に咲いている。なんと、つつましやかで清楚な花なのだろう。しみじみと眺めていると母の声が聞こえてきた。恰も母がその辺りにいるかのように。

「親の意見と茄子の花は千に一つの仇はない」

 茄子の花が咲くと全てに実をつけるので、親が子を思って言うアドバイスは必ず役に立つので、親の意見をよく聞けよ。という意味である。(ここでいう「仇」とは「無駄」というとである。)この言葉は何度聞いただろうか。母は終生自分の父親(私の祖父)を尊敬し、父親の遺した言葉を生き方の基本に据えていた。それを機会あるごとに私に言って聞かせた。私は父が早く他界したので、母から教わったことが多い。必ずしも平坦な道のりではなかったが、今日まで曲がりなりにも生きてこられたことは母のお陰であると今更ながら噛みしめている。

 

「何事もやる以上は喜んでやろう。いやいやするなら初めからしないこと」

私は色々なことをやる時には結構躊躇した。仕事関係は勿論だが、幾つかの公的な役割もさせて頂いた。昔、亡き妻がよく言った。「あなたは本名で呼ばれるよりも肩書でばかり呼ばれる」と。実際その通りであった。

会長、理事長、委員長等々、そしてまた長年先生呼称が圧倒的だった。若い頃の話だがJC(青年会議所・社団法人)の理事長を仰せつかった。JCの理事長は1年きりの役職だがとてもハードである。その頃は選挙ではなく選考委員による推薦であった。選挙だったら立候補なんてやらない。悩んでいたとき母は「なりたくてなれるものではない。皆さんからの推挙だったら喜んで受けなさい」であった。それで私は理事長職の1年間全力投球した。11年間のJC時代は日本JC教育問題委員会にも出向してとてもよき学びでもあった。

娘たち2人が小学校のころPTA会長を2年務めさせて頂いた。これも周囲から是非にということで選考委員さんが訪ねてみえた。恒例だと選考委員さんが何日も日参されてから「それでは」と受けるものであった。その時も母は「本当にイヤなら土下座してでもお断りをする。子どもがお世話になっている学校だから、有難く受けて喜んでやりなさい。」と。それで都合2年間もさせて頂き自分なりに楽しくもありよき経験であった。こんな感じで諸々の役職を無事務めることが出来た。なので私は今でも何事も喜んでやれるので有難いことである。

母からの教えは沢山あるが、物事をなし終えるときの大切さを「立つ鳥跡を濁さず」と教えられた。「立場を終えるときは後継の人に迷惑がかからぬように責任をもってやり終えること」であった。世に「後足で砂をかける」という言葉があるが「世話になった人の恩義を裏切るばかりか、去りぎわにさらに迷惑をかけてかえりみないたとえ」(精選版日本国語大辞典)である。人間ならば心せねばならない。

とは言いながら、私自身子どもたちに何をメッセージ出来たであろうか。振り返ってみると内心忸怩たる思いのこの頃である。

末筆になりましたが、メッセージなどお心遣いに感謝申し上げます。少し体調くずしましたがボツボツとやっておりますので。

それでは皆様、向暑の折からご自愛専一にと念じております。今宵はこれにて。


如何に死ぬるか・・・。三たび親鸞に遇う。

2021-05-10 | life

最初に親鸞に出遇ったのは、もう半世紀も前の若き日に「歎異抄」を手にしたとき、次いで「得度」をしたとき、そして三たび目は「親鸞全集」10巻を読み返した今日この頃である。コロナ禍と言ふもこれぞまた転禍為福

既に晩年と言って聊かの年の不足もない自分だが、本当に親鸞聖人との出逢いにしみじみと感謝と喜びを感じている。

親鸞の主著「教行信証」の総序の一節に、

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」とある。

「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」正にその通りなのだ。幾たび生まれかわり、死にかわり、どれだけの時を経ても「まことの信心」は得難いのである。今、それを得ることが出来たことは宿縁なのである。

人間誰しも平等に与えられているのは、1日24時間という時間である。趣味に生きるのも、グルメや旅行(まあ、これらも趣味の範疇なのだが)もいいだろう。はたまたブログの明け暮れも悪くはないだろう。
だがしかし、好むと好まざるとに関わらず人は皆、日々刻々と人生の終焉に向かっている。命の残りを刻む秒針の音が聞こえてきはしないか。

「そんなこと考えたこともないわ」という声も聞こえてきそう。それはそれで幸せかも。いやいや、考えるのが怖いからだろう。私をして言わしむれば「如何に生きるか」とは「如何に死ぬるか」と同義語にも等しい。死は待つものではない。見つめていくものである。

「コロナは怖い」「ガンはイヤだ」。コロナやガンで死ぬのではない。命があるから死ぬのである。
子の曰く「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり。」

 読了し気分も清し青葉風         いつもの私なんだけど何故か新鮮!

                        yo-サン元気です。今宵はこれにて。


お知らせ 今後の予定の件

2021-03-21 | Weblog
お問合せ有難うございます。
「参加させて頂ける研修や講演等がありましたら教えて下さい」とのメッセージを頂きました。
今までにも少し触れさせて頂いていますが、現状では全く予定が立たずにおります。講師を承っているカウンセリングを初め、文学関係の会(啄木・短歌・読書)もそれぞれお休み状態です。
状況が少し落ち着きましたら小人数のグループ学習は再開したいとは思っています。
 
前回も記しましたが、今月27日(土)に金沢で開催されます「あすなろ会」さんでの講演(北陸中日新聞共催)が本決まりになりました。コロナ禍で1年ぶりの例会になるそうです。
講演内容は主として不登校や引き籠りに関するものですが、カウンセリングや家族システム、或いは生き方・人間関係に資するお話をさせて頂きます。1、2名でしたらご参加出来ますようにお取り計らいをさせて頂きます。(事前予約が必要ですので私の方へご連絡下さい)会場は金沢市の中心部です。
 
  新年度に入りますと幾つかの講演依頼を頂いております が、いずれも、組織や機関の総会や内部研修なので公開型ではありません。私もこの1年半ぐらい皆さまにお話をさせて頂くことが殆どなくなり、また声も出にくくなったりして、とても心寂しく思っております。陸に上がった河童みたいです。(w)
上述のように小さなグループの学びは私宅(カウンセリングセンターの方で)実現したいと思っています。ご関心をお持ちの方のお力をお借り出来ますれば幸甚です。企画、準備、案内、運営等ひとりでは無理ですから。
 
まずは取り急ぎお返事に代えさせて頂きます。それではまた。

 

 


俳句と短歌 & 友よりの便り

2021-02-15 | Weblog
白梅やひと日南をあこがれぬ  啄木

物心ついてから啄木(或いは彼の短歌)に傾倒しているが、啄木と言えば短歌であろう。勿論彼は詩や小説、或いは論考も書いている。ところが彼は俳句も僅かではあるが残している。
私は俳句の素養はないので、しいて言えば手慰みに詠む程度である。なので啄木の少ない俳句にもさほど興味はない。しかしながら、冒頭の一句には共感しきりである。
彼は東北は岩手・渋民(過去記事・クリックOKです)の人である。東北は勿論だが、ここ北陸も雪国で春は遅い。彼は白梅(たぶん、シラウメと読ませると思う)が咲くのを見て、温かき南国に思いを寄せたのだろう。
私自身、終の棲家は気候温暖な地に、と思いながら生きてきた。でも、それは遂に実現せずに終わるかも知れない。(一縷の望みは捨てきれずにいるのだが・・・。)

啄木は歌人であるが、世の俳人に(啄木忌を季語にして)詠んだ句が多いのも面白い。句も歌も5・7・5つながりで親戚のようなものだからかも。

いのち長き花買ひ求め啄木忌      鈴木真砂女 
真砂女 については以前にも記したことがあるが、この句にも啄木短歌に通じるものを感じる。彼女は恋多き往年の俳人であった。

閑話休題
達筆の便りとともに届きたる君の秀句を味わひて読む  筆者拙詠

 長年、交流頂いている方から便りが届いた。昔、講演にお呼び頂いた遠方の方である。たまには、メルのやりとりもあるが、お互い時々は手書きの便りを認める。
と言っても一筆箋が多い。一筆箋は気軽に書ける。頂いたのは箋3枚とプラス1枚である。その1枚に5句の俳句が書かれていた。達筆は元より、いずれも素敵な句であった。俳諧誌の入選作なのでご紹介は出来ない。検索すればヒットしてしまうので、個人情報が洩れもれになるのでネッ。
その巧拙はともかく、歌や句を詠めることは人生の彩の一つでもある。
最近の引き籠り生活で啄木を【情熱的に】!(^^)! 語る場が無いので、何だか寂しい。私はカウンセラーとして【聴くこと】に精進出来たのは、やはり講演・講義を通じて、思い切り【話すこと】が出来たからだと、今更ながら思う。
以前にもupしたが、啄木講座の時のyo-サン。
いつも「文学に触れずしてカウンセリングを語るなかれ」から始まる。そして自分が楽しんでいる。自らが楽しくなければ、参加者も楽しくならないよねぇ。勝手にそう思っている。
今宵はこれにて。







友・朋あれこれ・・・。 再編集

2021-01-24 | Weblog
有朋自遠方来、不亦楽乎 
  元はと言えばブログで知り合った方、所謂ブロ(グ)友であったが、ほどなく本物の友となった方である。以前にも書いたが、リアルな畏友として交流頂いている東京の、
くりのみさんこと鈴木新太郎氏クリックOKです)からニュースレター「落穂拾い」が届いた。便宜上「友」と記しているが、彼と私は「朋」である。共通点が多い。とてもよく似たことをやっている。彼の主催するワークショップにも伊豆は稲取へお招き頂き一宿一飯の恩義(ちょっと使って見たかった言葉です)でもある。
敢えてお名前を記したが、彼は(私も同様だが)ご自身のブログでも、お名前やお住まい等も公表されている。カウンセリングをする人間にとって【自己開示】は極めて当然である。何処の誰だか分からない他人(ひと)に、自分の人生や心を語れないからである。また、匿名で書いているカウンセラーなんて私は信用しない。たまにそのようなものに出くわしても、大したことなど書いていない。何処かで聞いたような受け売りばかりである。

「有朋自遠方来、不亦楽乎」は論語の「学而編」の中にあるが、一般的な読み下しは「朋有り、遠方より来たる、また楽しからずや」なのだが、便りが届くのも「朋来る」と同様に楽しいものである。
「友」と「朋」とは少しニュアンスが違っている。「友」とは気が合う、趣味が同じなどの感じ。つまり、友人、お友達である。
「朋」は同門、或いは「志を同じゅうする仲間」って感じかしら。まあ、その両方合わせて「朋友」なんて呼んでいるが。(出来の悪い元・束の間の高校国語教師の成れの果て。漢文は苦手ときているからご寛容に。)

親鸞聖人は常に「御同朋」「御同行」と呼びかけて下さった。同じお念仏に生かされているからに他ならない。ということで、くりのみさんと私は「同朋」「同行」であり「一味同心」とも言える。

いずれにしても英語ならfriendだろう。
友、友人、とてもいい言葉だ。私のカウンセリングも常にfriendlyな姿勢でやってきた。それはまたrapport(ラポール)でもあるから。
ブログのご縁で、友子さんという方との交流もある。とても佳いお名前だといつも思う。名は体を表すと言うが正にfriendlyな佳人である。

名前に因んでもうお一方。本ブログと他の会員制交流サイトでの「友達」に幸子さんと言う方がある。そちらでは本名や顔写真もupするシステムである。そのお顔が頗るいい。にこやかで幸せそうで、さすが!
「幸子」さん。
長年、講演や法話の中で【幸せそうなお顔でいると幸せになる。反対に不幸せそうなお顔だと幸せはやってこない】と話してきた。この幸子さんはお名前やお顔は勿論のこと、生き方もとても素敵な方だ。
それでは今宵ひと時、頬笑みのレッスンなど如何かしら。

ようやく雪害から解放されて、久々にゆっくり日曜を過ごしたyo-サンでした。 Let's take a tea break.



感謝!雪害お見舞い

2021-01-13 | Weblog

どうも有難うございます。
沢山の方々より温かな応援メッセージを頂戴致しました。心より感謝申し上げます。 
若干の不自由はありますが無事に過ごしておりますので他事ながらどうぞご安心下さい 
少しばかり近況をup致しました。(画像は2、3日ぶりの新聞です)
 






 幹線道路も少しずつ復旧しております。しかしながら路面状況が極めて悪い上に、放置車両(立ち往生でドライバーが脱出)もあり渋滞は顕著です。
  私も4駆ジムニーで数日ぶりの外出をしてきました。ふ だんなら10分程度の道のりですが、1時間ほど掛かりました。脇道に入ると、車は荒波の小舟のようです。でも、さすがジムニーです。雪路の段差も難なく乗り越えます。雪国では冬には4駆は必要です。私は56豪雪以来、冬期間はずっと4駆です。 
                                 
私宅は昔から食料や様々な物の備蓄が多い家なので特に困ることはないのですが、生鮮食品や日配物は限度がありますので、早い回復を願っています。   
大切なことはBe prepared 、「備えよ常に」という意味です。ボーイ・スカウトやガール・スカウトのモットーです。長年、そのリーダー研修等をさせて頂きましたが、私の方が学ばせて頂くことばかりでした。「いつ如何なる時・場所で、如何なることが起こった場合でも対処出来るように、常々準備を怠らないこと」なんですね。   


私の事務所前(本宅のお店の駐車場と併用)も重機が入りきれいに除雪されました。
スタンバイOKのジムニーとタント(フルタイム4駆・通年街乗り乗りです) 
今回の大雪は18年以来約3年ぶりですが(クリックしてみてね)
私の場合38豪雪(昭和38年)、56(昭和56年)豪雪も経験して来ました。38の時は家の2階の窓から出入りしたほどの積雪でした。   
56の時には、その前年に初めてジムニー(4駆)を買いました。冬用なのであまり乗らない(3シーズンはセダンに乗ります)ですが3度入れ替えています。   

  

  この道路状況では常用のセダンはしばらく乗れません。








           


 お店(本宅)の前はまだ雪がいっぱいです。当分は休業です。







    ということで、
    近況でした。今宵はこれにて。Thank you again.



淡い溜息

2021-01-11 | Weblog
(画像はWikipediaより拝借)

五十年経てなお慕う人がありスノードロップの淡いためいき       海昭子 
               
「雪の花」の別名を持つ、かれんな花です。半世紀を経てもなお大切に想う人がいます。うつむいた優しい花の姿は「初恋のため息」をついているようにも見えました。

再び(2018年2月以来の)大雪に振り込められて途方に暮れ、或いは寂寞感を覚えた昨日今日である。そんな時、ふと脳裏をかすめたのが冒頭の、ラジオ深夜便の誕生日の花と短歌の故・鳥海昭子さんの歌である。
このような歌を想ひ出すというのも、ほんのちょっぴり心の余裕が出てきたのだろうか。

それは、拙ブログ開設以来、互いにフォローしあっているM.mさんから大雪お見舞いのメールが届いたことに起因するのかも。
彼女は折々にお手紙やお心尽くしのお品を頂く。他のSNSでも交流があるが、未だお会いしたことはない。でも本当にお心のやさしい方である。
私が生涯かけて提唱してきたカウンセリングマインド「他人(ひと)の痛みの解る」心をお持ちの方である。とても感謝している。
北陸の大動脈である北陸道も国道8号もストップ、鉄道もバスも運休、昨日も今日も新聞は来ない。スーパーもコンビニも商品棚はガラガラだと言ふ。されど人々は黙々と除雪作業をしている。

冬はまだこれからなのだが、ひたすら春を待ち侘ぶyo-サンでした。
しんしんと雪降る夜に。




年末年始 近況・心境 (補筆修整)

2021-01-03 | life
何となく啄木の歌 口遊む大森浜の初恋の歌
(本文とはまるで関係がありません。いつも勝手に啄木の歌が口から出てしまうのです。)

昨年(12月)最後のリモート・オンライン講義が無事終了した。画像左上が講義中の私。マスクをしてパソコン画面に向かって講義している。他の5画面は各会場でご参加風景。

終活の日々(ひび)、日々(にちにち)の終活に勤しんでいる私にとって、ブログを書くこと、或いは他者のそれを読むことも、その優先順位は随分と後方に遠ざかった。昔から他人(ひと)様の私生活には関心が薄いこともあるのだが。人皆等しく与えられている1日24時間の「時」の配分がブログにはあまり使えなくなった。やっておきたいこと、やらねばならないことが限りなく多いのである。

近年は年相応に目も見えにくくなり、右手指が第2関節変形症で痛くなり字が書きにくくなった。それでも愛用の万年筆は離せない。紙の上をすべるように、なめらかな書き心地は何とも言い難い。手紙や葉書は勿論、短歌や俳句もワードで打っても始まらない。
スマホやパソコンで字を書く(打つのだが)ばかりだと、漢字のゲシュタルトが崩壊する。私は字を書いていて、ある字が思い出せない時は躊躇わず辞書を引く。若い頃から辞書を買うのが好きであった。広辞苑や大言海からポケットサイズまで大小様々なものを持っている。最近は辞書を見るのにルーペを使うこともあるが、件の字をメモ紙に写して、序でにその前後の字を読むのも面白い。
長年多くの研究会・勉強会や講演会の講師をしてきた。いつもご参加の方より「何でもよくご存じですねぇ」なんて言われたが、未だに知らないことの多さに内心忸怩たる思いである。
今更遅きに失したが、それでも辞書は元より膨大な蔵書を読み漁っている。

閑話休題
近年、賀状は極力出さないことにしてきた。今年は往時の10分の1にも満たない程度で殆どを失礼した。生来、手紙や葉書を書くのは好きだ。特に昨年はメールなどのやり取りの無い方々に便りを認めた。頂いた返信も沢山あり、やはり自筆の便りは味わい深くよいものだ。

(この画像は12月に届いたもの)



中には巻紙に毛筆で認められたお便りもある。墨痕鮮やか、墨絵調の冬木立にも趣がある。スマホの画像も悪くはないが、このような人の心や温もりには程遠い。



私にとっては、このような方々が「友」と呼ぶに相応しい。ブログのコメントなど、どのように書いた(打った)としても、お顔は勿論、名前も住所も分からないのは何だか寂しい。所詮はバーチャル、何かの弾みに瞬時に消えてしまう。まあ、匿名性の中の慰みであるのかも。
「ブロ(グ)友」等と言う言葉があるようだが、私にとってそのように表現できる方はごく少数である。そのいずれの方もお顔(写真)は勿論、住所氏名も名乗り合っている。時にはお便りやメールでの交信もある。(私なりに)友と呼ぶにはその辺りが必須条件と思っている。当然のことながら、それは皆それぞれなので一向に構いはしない。
末筆ながら、冒頭の啄木の歌は
   砂山の砂に腹這(はらば)ひ
   初恋の
   いたみを遠くおもひ出(い)づる日
ご存じ「一握の砂」の1首である。

何故か、年が改まっても殊更何の感慨もなきこの頃のyo-サンでした。
コメント欄は閉じています。ご連絡は左側プロフィル画像上の「メッセージを送る」からよろしくです。



歌えるカナリヤに オンライン・リモート講義

2020-11-06 | Weblog

黙の半年間、唄を忘れたカナリヤでひたすら執筆であった。ようやく100枚を脱稿した。季節はもう秋も深まりゆく。
取り敢えずは、やれやれ、ホッとしている。未だ創作のパワーが残っていただけでも良しとしよう。
今回は上梓は考えていないので、推敲も適当だ。そのうちまた気が変わってガラリと内容を変えてしまうかもしれないが。



閑話休題
ようやく研修・講義が再開した。寡黙の時が長かったので声も出にくくなっている。やっと歌えるカナリヤになり、久々のボイストレーニングをしているが、なかなか美声が戻らない。(-_-;)
幸か不幸かオンラインのリモート講義なので、講演のように大きな声は必要がない。私はマイク利用の講演会などでも比較的大きな声で話すことにしている。小声でぼそぼそ話すことは自信無げで好きではない。第一迫力もない。私は話すこともプロを任じている。
★画像は、講義の前に係の方が機器の調整をして下さっている。向かって右側、テーブルには私の講義のレジュメが置いてある。ホワイトボードには、ご参加の5つの会場が写し出されていて、臨場感もある。このような講義は初めてであったが、まずまずの出来。yo-サンのyo-サンたる所以である。