コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

師走と言ひ、年の暮れと呼ぶ・・・。「忙」は使わない。

2019-12-22 | life
一周忌無事に勤めてただひとり母の遺影に語る夜半(よわ)かな

49日、お盆、そして1周忌と少しずつ心が静まってゆく。私にとっては、さしずめ遅れ馳せの卒哭忌なのだろうか・・・。

「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し」は「童子教」の言葉であるが、父母の恩の万分の一も返せなかった自分を想う。

故・高田好胤師が講話の中で「亡くしてから初めて真実の対話が始まる」と話された。まことにその通りである。今更ながらその言葉をしみじみと味わっている。



<閑話休題>
しておきたいこと。せねばならないことを淡々と済ませてゆくこの頃。
師走と言ひ、年の暮れ呼ぶこの月。以前は時の流れに慄きながら、あれもこれもとばかり、心を亡くし( 忄りっしんべんに 亡)ていたが、私はもう「忙しい」という言葉は使わないようにしている。心に死亡通知をしていては始まらないからだ。

年内の講演、研修・講義は全て終えた。これらも我が日々(にちにち)の終活。ていねいに・丁寧に、心を込めてさせて頂いた。画像はもうかれこれ30年近くお呼び頂いている社会福祉法人さんの職員研修資料である。シリーズでさせて頂いているが、メインテーマは【心がふれあうとき-いま、福祉職に求められるカウンセリングマインド-】である。私が30年余に亘り伝えつづけてきたことである。

私の研修資料は数百枚はあるが、いずれにも・いずれにも私の願い、或いは祈りが込められている。研究会などで長年受講して下さった方は、その殆どをファイルされていると聞いた。有難いやら恥ずかしいやら。
私はやはり、カウンセリングの話をする、或いはそのワーク(研修)をする時が一番力が入る。

画像のホワイトボードにタイムスケジュールが書かれている。一方通行の講義ばかりではない。カウンセリングは頭で分かるだけではいけない。体験して身に着かねばならない。なので毎回必ずロールプレーを入れる。スーパーバイズはきっちりとやる。

私の講義は皆さん「一言半句も聴き洩らさない」という真剣な眼差しで聴いて下さる。
もし、眠ってしまう方があれば私の負けである。
だが、グループに分かれてのロールプレーは、笑顔がこぼれる。それもまた楽しいひと時である。質疑応答はきっちりと納得されるようにお答えする。それは、30年余に及ぶカウンセリングスーパーバイザーとしての私の自負でもある。




受容・共感・自己一致は、まず相手の語る言葉に虚心に耳を傾けること、つまり「聴く」ことから始まる。
拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」にも縷々書いているが、受容・共感・自己一致の原点は、まず「聴く」ことに尽きると言っても過言ではない。それは、全てを差し置いて無心に聴く。それはまた相手の自己表現を助け、相手を理解するための基本である。おしゃべりの過ぎるのはよくない。相手の語ることに、じいっと耳を傾けて聴くことだ。本当の意味で「聴く」ことの出来る人はそうざらにはいないものだ。

他にも、今年最後の仏教婦人会での講話も若干の緊張感を伴いながらも、これまた楽しく、丁寧にお話しすることが出来た。(自画自賛デスネ)講話を終えると、皆さんで仏教讃歌の合唱であった。何故かしら目頭が熱くなり、不覚にも涙が・・・。
会長さんと目があってしまった。彼女は優しい眼差しで頷いてくれた。
「終活の旅路」もまだ続きを記したいと思うが、もう日付が変わってしまった。今宵はこれにて。
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