亡き母の我に語りし言葉など思い出(い)でたり茄子の花咲く
梅雨の晴れ間、久々に畑に足を運んだ。少しばかりの夏野菜を植えたものの構ってやれず、一面草に覆われてしまった。亡き母がよく言っていた。「畑の作物は足音で育つ」と。足音が聞こえなかった畑は草ばかりが豊作である。 ナスはこの辺りだったかなと屈んでみると、1本のナスが草の中で花をつけていた。まだ小さな薄紫の花が、うつむき加減に咲いている。なんと、つつましやかで清楚な花なのだろう。しみじみと眺めていると母の声が聞こえてきた。恰も母がその辺りにいるかのように。
「親の意見と茄子の花は千に一つの仇はない」
茄子の花が咲くと全てに実をつけるので、親が子を思って言うアドバイスは必ず役に立つので、親の意見をよく聞けよ。という意味である。(ここでいう「仇」とは「無駄」というとである。)この言葉は何度聞いただろうか。母は終生自分の父親(私の祖父)を尊敬し、父親の遺した言葉を生き方の基本に据えていた。それを機会あるごとに私に言って聞かせた。私は父が早く他界したので、母から教わったことが多い。必ずしも平坦な道のりではなかったが、今日まで曲がりなりにも生きてこられたことは母のお陰であると今更ながら噛みしめている。
「何事もやる以上は喜んでやろう。いやいやするなら初めからしないこと」
私は色々なことをやる時には結構躊躇した。仕事関係は勿論だが、幾つかの公的な役割もさせて頂いた。昔、亡き妻がよく言った。「あなたは本名で呼ばれるよりも肩書でばかり呼ばれる」と。実際その通りであった。
会長、理事長、委員長等々、そしてまた長年先生呼称が圧倒的だった。若い頃の話だがJC(青年会議所・社団法人)の理事長を仰せつかった。JCの理事長は1年きりの役職だがとてもハードである。その頃は選挙ではなく選考委員による推薦であった。選挙だったら立候補なんてやらない。悩んでいたとき母は「なりたくてなれるものではない。皆さんからの推挙だったら喜んで受けなさい」であった。それで私は理事長職の1年間全力投球した。11年間のJC時代は日本JC教育問題委員会にも出向してとてもよき学びでもあった。
娘たち2人が小学校のころPTA会長を2年務めさせて頂いた。これも周囲から是非にということで選考委員さんが訪ねてみえた。恒例だと選考委員さんが何日も日参されてから「それでは」と受けるものであった。その時も母は「本当にイヤなら土下座してでもお断りをする。子どもがお世話になっている学校だから、有難く受けて喜んでやりなさい。」と。それで都合2年間もさせて頂き自分なりに楽しくもありよき経験であった。こんな感じで諸々の役職を無事務めることが出来た。なので私は今でも何事も喜んでやれるので有難いことである。
母からの教えは沢山あるが、物事をなし終えるときの大切さを「立つ鳥跡を濁さず」と教えられた。「立場を終えるときは後継の人に迷惑がかからぬように責任をもってやり終えること」であった。世に「後足で砂をかける」という言葉があるが「世話になった人の恩義を裏切るばかりか、去りぎわにさらに迷惑をかけてかえりみないたとえ」(精選版日本国語大辞典)である。人間ならば心せねばならない。
とは言いながら、私自身子どもたちに何をメッセージ出来たであろうか。振り返ってみると内心忸怩たる思いのこの頃である。
末筆になりましたが、メッセージなどお心遣いに感謝申し上げます。少し体調くずしましたがボツボツとやっておりますので。
それでは皆様、向暑の折からご自愛専一にと念じております。今宵はこれにて。