価値観の多様性の認められる現代社会である。それはまた「個」の尊重にも通じることであると思う。しかし、それは必ずしも自分自身が、その違った価値観を肯定することではない。
「その人はそのように思うのだな」と。つまり、自分は相手の価値観とは違うけれども、その人がそのような価値観を持っていることは認めようとすることである。カウンセリングではそれを「受容」と呼ぶが、受容は「私も同感です」ということではない。
この概念は少しややこしいが、私のカウンセリング研修では「価値観の違いを理解する」というセッションもある。主として、価値観の相反するテーマでグループデスカッションをして頂くが、時には自分の価値観が疑わしくなって、他の人の価値観を取り入れることになる場合もあり、なかなか面白い。
閑話休題
前置きが長くなったが、しばらくブログを書く気力が失せていた。なぜ気力を失くしたかと言うと、今の日本の政権に対する苛立たしさである。
ひとり悲憤慷慨していても始まらないが、【私は】とても呑気にブログなど書いてはいられない気分であった。前述のように、これは私の価値観なので、他の人が如何にあろうとも、それはまたその人の価値観なので、一向に構いはしない。
毎度のグルメもいいし、ペットにも癒されるし、趣味の披露も、はたまた野外観察や植物図鑑も悪くはない。それなりの存在意義と言うものだろう。
勿論、私などよりも遥かに、日本の政治や社会状況に対して、見事な洞察力を持って警鐘を鳴らし続けている方も何人も<互いにフォローする間柄の中に>おられる。
特にブログ「行雲流水の如くに」(クリックOKです)を執筆されるmegii123氏のご慧眼には感じ入る。お訪ねするたびに、我が意を得たりという思いがする。是非、ブロガー諸賢にも一読を勧めたい。
彼のことをブロ友などとは呼べない。ブログを通してではあるが、当に畏友とも呼ぶべき方である。機会を得て是非お会いしたいと思っている。そのこともお伝えしてある。
恥ずかしながら、私は草深い北陸の片田舎に住んでいるが、物書きの端くれでもあると思っている。幾つかの著書、論文、文芸誌への出稿、広域紙のエッセイの連載、地元紙の人生・教育相談などの回答者も務めてきた。
子どもの頃から作文は大好き。読書感想文には最優秀なんてものはなかったが、いつも何かに入賞していた。つまり文章を書くのは三度の飯よりも好きだったのである。高校卒業のときに答辞を読んだ。担任が私の原稿をみて「本当に君が書いたのか」なんて言われた。内心、何を今更と思った。
しかしながら、この政権の横暴ぶりを見るにつけ、私のブログなどは、小学生の絵日記にも等しいと、つくづく感じるのであった。と言う訳である。
私は過ぐる太平洋戦争の勃発間もない頃に生を受け、戦時、戦後、そして、福井大震災とその復興期、物の無い時代に幼少期を送り、親世代の苦労もしっかりと見てきた。
だが、平和を享受出来た時代に生涯の殆どを生かさせて頂けたことは、とても有難いことだと思っている。今は亡き両親をはじめ、多くの先人たちに感謝している。
しかしである。物心ついて此の方、これほど国民を愚弄したこの国のトップを知らない。それに対して諫言・忠言する者もいない。大臣と言い、官僚と言い、忖度どころではなく、まさに諂上欺下(てんじょうぎか)ばかりである。「王様は裸だ」と言えないのである。
タイトルの「小学生の絵日記」についてであるが、実はそれは永井荷風の作品からの物真似である。
明治期のことだが、いわゆる「大逆事件」があり、幸徳秋水など12人もの社会主義者が無実の罪で処刑された。詳しく記す余裕はないが、このことにより当時の文人たちは驚愕し、且つ閉塞感に囚われた。啄木や志賀直哉もその日記などに記している。
啄木は、友人でその事件の弁護人であった平出修の家で幸徳秋水らの獄中書簡などを読んで「頭の中を底から搔き乱されたやうな気持で帰つた」と書く。
直哉は「その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。」と。
フランスから帰国した永井荷風は、小説「花火」の中で、
「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれぬ厭な心持のした事はなかった。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレヒュー事件について正義を叫んだ為め国外に逃亡したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引き下げるに如くはないと思案した。」と書いている。
引用ばかりで長くなるが「講談社 書籍シリーズ・雑誌と既刊紹介」の中に下記のような一文があった。
【「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆 】
>20世紀初頭に日仏両国に勃発した二つの事件。冤罪被害者は、なぜフランスでは救われるのに、日本では救われないのか? 二大事件とそこに関わった人々のドラマを比較し、日本に潜む深刻な問題が白日の下にさらされる。「日本」という国家はなくても、日本という「社会」は存在できる。永井荷風の悲嘆を受けて、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するための処方箋を示す、日本の未来に向けられた希望の書。
>本書は、国家による冤罪事件として知られるフランスのドレフュス事件(1894-1906年)と日本の大逆事件(1910年)を取り上げ、日仏両国の比較を通して、日本に見出される問題が今日もなお深刻なまま続いていることを明らかにする。
スパイの嫌疑を受けて終身刑に処せられたユダヤ系の陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスは、軍部や右翼との闘いの末、最終的に無罪になった。その背景に作家エミール・ゾラをはじめとする知識人の擁護があったことはよく知られている。一方、天皇暗殺計画を理由に起訴された24名が死刑宣告を受けた大逆事件では、幸徳秋水をはじめとする12名が実際に処刑されるに至った。
二つの事件に強く反応した永井荷風は、ゾラと自分を比較し、自分の情けなさを痛感した、と告白している。そこで刻み込まれた悲嘆の深さは、荷風に戯作者として隠遁生活を送ることを余儀なくさせるほどだった。
ここに見られる違いは、どうして生まれたのか。本書は、両事件を詳しく分析することで、その理由が日本には「社会」がないという事実にあることを突きとめる。「日本」というのは国家の名称に尽きるものではない。国家が存在しなかったとしても、社会は存在しうる。そして、国家が個人に牙を剥いてきたとき、社会は個人を救う力をもっている。しかし、この国には、国家はあっても社会はない。それが、ドレフュスは無罪になったのに、幸徳らは見殺しにされた理由である。
今日も何ら変わっていないこの事実に抗い、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するための処方箋を示す、日本の未来に向けられた希望の書。
<以上引用終り>
小難しいことを記して、愛想を尽かされた向きも多いかもしれない。それも甘んじて受ける。
現代と明治と言う時代、そして上記の事件と今日の政治やその政権の問題とは、同じではないが、近年の様々な事件や政治状況を考えるとき、その根底にあるものは酷似していると思う。
それで、それでなんです。
平和のぬるま湯に浸かりきっている自分が情けなくて、一時的にしろ筆を折ったのであった。
荷風が江戸戯作までと言うのなら、私など小学生の絵日記程度であると思った。
でも、ある出来事と言うか、ニュース記事に接して、少し溜飲が下がりまた筆を(キーボードだが)持ち直した次第であった。
そのニュース記事はつづきとしたい。この文章もいずれまた削除するかも知れないが。
「その人はそのように思うのだな」と。つまり、自分は相手の価値観とは違うけれども、その人がそのような価値観を持っていることは認めようとすることである。カウンセリングではそれを「受容」と呼ぶが、受容は「私も同感です」ということではない。
この概念は少しややこしいが、私のカウンセリング研修では「価値観の違いを理解する」というセッションもある。主として、価値観の相反するテーマでグループデスカッションをして頂くが、時には自分の価値観が疑わしくなって、他の人の価値観を取り入れることになる場合もあり、なかなか面白い。
閑話休題
前置きが長くなったが、しばらくブログを書く気力が失せていた。なぜ気力を失くしたかと言うと、今の日本の政権に対する苛立たしさである。
ひとり悲憤慷慨していても始まらないが、【私は】とても呑気にブログなど書いてはいられない気分であった。前述のように、これは私の価値観なので、他の人が如何にあろうとも、それはまたその人の価値観なので、一向に構いはしない。
毎度のグルメもいいし、ペットにも癒されるし、趣味の披露も、はたまた野外観察や植物図鑑も悪くはない。それなりの存在意義と言うものだろう。
勿論、私などよりも遥かに、日本の政治や社会状況に対して、見事な洞察力を持って警鐘を鳴らし続けている方も何人も<互いにフォローする間柄の中に>おられる。
特にブログ「行雲流水の如くに」(クリックOKです)を執筆されるmegii123氏のご慧眼には感じ入る。お訪ねするたびに、我が意を得たりという思いがする。是非、ブロガー諸賢にも一読を勧めたい。
彼のことをブロ友などとは呼べない。ブログを通してではあるが、当に畏友とも呼ぶべき方である。機会を得て是非お会いしたいと思っている。そのこともお伝えしてある。
恥ずかしながら、私は草深い北陸の片田舎に住んでいるが、物書きの端くれでもあると思っている。幾つかの著書、論文、文芸誌への出稿、広域紙のエッセイの連載、地元紙の人生・教育相談などの回答者も務めてきた。
子どもの頃から作文は大好き。読書感想文には最優秀なんてものはなかったが、いつも何かに入賞していた。つまり文章を書くのは三度の飯よりも好きだったのである。高校卒業のときに答辞を読んだ。担任が私の原稿をみて「本当に君が書いたのか」なんて言われた。内心、何を今更と思った。
しかしながら、この政権の横暴ぶりを見るにつけ、私のブログなどは、小学生の絵日記にも等しいと、つくづく感じるのであった。と言う訳である。
私は過ぐる太平洋戦争の勃発間もない頃に生を受け、戦時、戦後、そして、福井大震災とその復興期、物の無い時代に幼少期を送り、親世代の苦労もしっかりと見てきた。
だが、平和を享受出来た時代に生涯の殆どを生かさせて頂けたことは、とても有難いことだと思っている。今は亡き両親をはじめ、多くの先人たちに感謝している。
しかしである。物心ついて此の方、これほど国民を愚弄したこの国のトップを知らない。それに対して諫言・忠言する者もいない。大臣と言い、官僚と言い、忖度どころではなく、まさに諂上欺下(てんじょうぎか)ばかりである。「王様は裸だ」と言えないのである。
タイトルの「小学生の絵日記」についてであるが、実はそれは永井荷風の作品からの物真似である。
明治期のことだが、いわゆる「大逆事件」があり、幸徳秋水など12人もの社会主義者が無実の罪で処刑された。詳しく記す余裕はないが、このことにより当時の文人たちは驚愕し、且つ閉塞感に囚われた。啄木や志賀直哉もその日記などに記している。
啄木は、友人でその事件の弁護人であった平出修の家で幸徳秋水らの獄中書簡などを読んで「頭の中を底から搔き乱されたやうな気持で帰つた」と書く。
直哉は「その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。」と。
フランスから帰国した永井荷風は、小説「花火」の中で、
「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれぬ厭な心持のした事はなかった。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレヒュー事件について正義を叫んだ為め国外に逃亡したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引き下げるに如くはないと思案した。」と書いている。
引用ばかりで長くなるが「講談社 書籍シリーズ・雑誌と既刊紹介」の中に下記のような一文があった。
【「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆 】
>20世紀初頭に日仏両国に勃発した二つの事件。冤罪被害者は、なぜフランスでは救われるのに、日本では救われないのか? 二大事件とそこに関わった人々のドラマを比較し、日本に潜む深刻な問題が白日の下にさらされる。「日本」という国家はなくても、日本という「社会」は存在できる。永井荷風の悲嘆を受けて、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するための処方箋を示す、日本の未来に向けられた希望の書。
>本書は、国家による冤罪事件として知られるフランスのドレフュス事件(1894-1906年)と日本の大逆事件(1910年)を取り上げ、日仏両国の比較を通して、日本に見出される問題が今日もなお深刻なまま続いていることを明らかにする。
スパイの嫌疑を受けて終身刑に処せられたユダヤ系の陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスは、軍部や右翼との闘いの末、最終的に無罪になった。その背景に作家エミール・ゾラをはじめとする知識人の擁護があったことはよく知られている。一方、天皇暗殺計画を理由に起訴された24名が死刑宣告を受けた大逆事件では、幸徳秋水をはじめとする12名が実際に処刑されるに至った。
二つの事件に強く反応した永井荷風は、ゾラと自分を比較し、自分の情けなさを痛感した、と告白している。そこで刻み込まれた悲嘆の深さは、荷風に戯作者として隠遁生活を送ることを余儀なくさせるほどだった。
ここに見られる違いは、どうして生まれたのか。本書は、両事件を詳しく分析することで、その理由が日本には「社会」がないという事実にあることを突きとめる。「日本」というのは国家の名称に尽きるものではない。国家が存在しなかったとしても、社会は存在しうる。そして、国家が個人に牙を剥いてきたとき、社会は個人を救う力をもっている。しかし、この国には、国家はあっても社会はない。それが、ドレフュスは無罪になったのに、幸徳らは見殺しにされた理由である。
今日も何ら変わっていないこの事実に抗い、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するための処方箋を示す、日本の未来に向けられた希望の書。
<以上引用終り>
小難しいことを記して、愛想を尽かされた向きも多いかもしれない。それも甘んじて受ける。
現代と明治と言う時代、そして上記の事件と今日の政治やその政権の問題とは、同じではないが、近年の様々な事件や政治状況を考えるとき、その根底にあるものは酷似していると思う。
それで、それでなんです。
平和のぬるま湯に浸かりきっている自分が情けなくて、一時的にしろ筆を折ったのであった。
荷風が江戸戯作までと言うのなら、私など小学生の絵日記程度であると思った。
でも、ある出来事と言うか、ニュース記事に接して、少し溜飲が下がりまた筆を(キーボードだが)持ち直した次第であった。
そのニュース記事はつづきとしたい。この文章もいずれまた削除するかも知れないが。
10数年前に生まれ故郷の北海道に舞い戻り、気ままな生活を送っておりました。
ボケ防止にブログを始め、初めはガーデニングなどを題材にしていたのですが、だんだん現政権のやり方に我慢ができなくなりました。
戦後大事にしてきた民主主義と平和主義を守るために、田舎の片隅からでも声を上げようと思った次第です。
今後ともよろしくご指導のほどお願いいたします。
いつも、多くの御示唆、ご教示を頂き有難く存じております。貴兄の今日の政治や社会状況に
対して深い洞察力と、ブログを通して啓発、喚起されるお姿に感じ入ります。
拝読しながら、まさに同感の極みでおります。また、私の疑問や理解不足も氷解し、学ばせて頂
き心より感謝申しております。
どうぞ今後ともご厚誼賜りますようよろしくお願い申し上げます。どうも有難うございました。
安心いたしました~~ yo-サンとご縁が出来たのはつい最近のことですので、お人柄やお考えなど殆んど分からなかったのですが、今回、予想以上に骨太の反骨精神に貫かれている方と知り、驚いております。 今後のお元気で真っ当なご意見の発信を楽しみにしております。 恥ずかしながら私は根っからの政治オンチですが・・・
拙い私のブログにお訪ねいただき、リアクションボタンを沢山押して下さり、感謝しております!!
お気づかい頂きまして、とてもうれしく存じました。心より厚く御礼申し上げます。
いつも、貴ブログを楽しみに拝見いたしております。素敵な絵やセンテンスに羨ましくも思いおります。
正直のところ私、近年は気力・体力も衰えました。熱い思いはありますものの、国会周辺へのデモに
出掛けるパワーはありません。世の若者たちに、もっと怒って欲しいと願わずにはいられません。
文人、知識層の発言は嬉しいのですが、聴く耳を持たない体制側には、もう憤りを超えて悲しみさえ
覚えます。せめて、ブロガーの皆様には、もっと積極的関心を持ってほしいと思っております。
今後とも、どうぞよろしくお付き合い下さいますようお願い申し上げます。