またひとり掛け替えのなき友の逝く花に埋もれて眠るかの如
浄土にて待つと言いたげ祭壇の君のうつしゑ笑みていませし
出逢いと別れは人の世の常、それが人生でもある訳だが、近年は別ればかりがつづく。
生来、気力体力ともにさほど強靭ではない自分にとっては、まことに悲しく切ないことである。
会者定離、愛別離苦とは百も承知のことなれど・・・。
今日は3月14日。ふと思い出す。 鳥海昭子さんのこのお歌。
「いちめんのムラサキハナナに埋まりてお伽話をほろほろときく」
黄色い菜の花の季節に、紫色の花を咲かせて色を競いこんでいます。
この景はまるでおとぎ話のような気がします。
(もう古くはなったが「ラジオ深夜便」の誕生日の花に因んだ短歌の3月14日の歌より。)
ムラサキハナナをペンネームにもつ方がある。他の交流サイトでの友である。
こちらも更新は緩慢な私、日頃あまり交流もないが3月14日には必ずメッセージをいれる。
近年、記憶が遠のくばかりの私だが、この歌は忘れずにいるひとつである。
旅に出たしと思えども、不要不急のことなので、ひとり書斎で書など繙きつつ。
浄土にて待つと言いたげ祭壇の君のうつしゑ笑みていませし
出逢いと別れは人の世の常、それが人生でもある訳だが、近年は別ればかりがつづく。
生来、気力体力ともにさほど強靭ではない自分にとっては、まことに悲しく切ないことである。
会者定離、愛別離苦とは百も承知のことなれど・・・。
今日は3月14日。ふと思い出す。 鳥海昭子さんのこのお歌。
「いちめんのムラサキハナナに埋まりてお伽話をほろほろときく」
黄色い菜の花の季節に、紫色の花を咲かせて色を競いこんでいます。
この景はまるでおとぎ話のような気がします。
(もう古くはなったが「ラジオ深夜便」の誕生日の花に因んだ短歌の3月14日の歌より。)
ムラサキハナナをペンネームにもつ方がある。他の交流サイトでの友である。
こちらも更新は緩慢な私、日頃あまり交流もないが3月14日には必ずメッセージをいれる。
近年、記憶が遠のくばかりの私だが、この歌は忘れずにいるひとつである。
旅に出たしと思えども、不要不急のことなので、ひとり書斎で書など繙きつつ。
「大切な縁が、住む世界が変わったところで断たれるはずがない」
この二つの考え方の間を、私はいまだにさまよっています。
この道の先達の貴兄にかける言葉もありませんが、見知らぬお人ではありますが、故人となられたお方のご冥福をお祈り申し上げます。
「一期一会」と「大切な縁が・・・」の両者は相反する概念ではないのです。
日々が全て一期一会です。「一期一会」については拙ブログにも何度か書いて
いますが、<今ここでという出会い>は、今、この時なんですが、それはまた
不連続に見えて限りなき連続なんですねぇ。後者については仏教でいうところの
「倶会一処」ですね。拙歌も彼との今生の別離れは哀しく寂しいですが、彼とは
お浄土で再会出来ると思っております。仏法に出逢って有難いことであります。
人身受け難し、いますでに受く
仏法聞き難し、いますでに聞く・・・(三帰依文より)
まさに、その通りと噛み締めております。どうも有難うございました。