すっかり秋の装いですねぇ。自然も人も。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
先日、石川県で午前早めの講演だったので、かんぽの郷「白山尾口」で前日の宿をとりました。
早めの朝食(バイキングですが、和洋種類も多く美味でした。勿論、夕食は「白山麓の秋を満喫!名月膳」と銘打たれて美味しかったです)をすませて外へ出ますとコスモスの花が私を見送ってくれました。
近年、休耕田に何万本ものコスモスを植えて観光名所になっている所もあります。それはそれで素晴らしいですが、私は秋風にゆれながら、自然の野に楚々として咲くコスモスが好きです。
閑話休題
昔(なんて言うと何だか歳を感じさせますね)越後を旅したときのことです。
長岡から十日町方面へと向かう路線バスの中での出来事です。
突然、後部から苦しそうな声が聞こえてきました。振り向くと一人の老婦人が急病のようでした。
近くの座席の中年の婦人が駆け寄り声をかけています。どうも心臓の持病がある上に車酔いが重なったようです。
中年の婦人は運転士さんに事情を話しました。
間もなく次の停留所に着きました。他に乗降客もない田舎の小さなバス停です。
老婦人は、ここでしばらく休んでから次のバスに乗ると話しています。運転士さんは少し不安気な様子でした。
すると、先ほどの中年の婦人が「私も一緒に降りて、次のバスまで付いています。それほど急いではいませんので」と。
彼はほっとした様子で、小柄な体で老婦人を背負って降り、停留所のベンチに老婦人を座らせてあげました。
バスへ戻ると乗客に遅くなったことを詫びて発車しました。彼の越後弁がとても優しく耳に残りました。誰も文句がある筈もなく、安堵感が漂う車内でした。
車窓から振り返りますと、停留所の周りには群れ咲くコスモスの花が爽やかな秋風にゆれていました。
私は内心、咄嗟に何の行動も出来ずに傍観者でいた自分を恥じながらバスにゆられていました。
カウンセラーは人に会い心の援助をします。
人の悩みや苦しみを、あたかも自分のことのように感じ取れる共感性が求められます。
仏教でいう菩薩行です。聖書に説かれる「よき隣り人」になることです。
越後で出会ったあの婦人は、観音菩薩であり、よき隣り人でした。
群れ咲くコスモスの花を見ると、いつもこの想い出が懐かしく蘇えってきます。
それにしましても、あの頃のように緩やかな旅に出てみたいと思うことしきりの昨日今日です。
それでは皆さま、朝夕は肌寒くなりましたこの頃、どうぞご自愛なさって下さいませ。 ごきげんよろしゅうに。